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我に返ること

形而上的な世界を頭に構築し、はたまた現象としての見神体験や、野狐禅による禅の見性、あるいはその先に何かをみようとして別世界に陥ってしまう、そんな境遇のあることを理解できる方にお尋ねしたいのですが、かかる思考の延長上や、行き過ぎた没思考から我に返るには、どのような態度、あるいは何某が必要と考えられるでしょうか。わかりにくい質問文かと思いますが、どうぞよろしくお願いします。

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noname#180507
noname#180507
回答No.5

好奇心で、そういう体験はしないほうがいいと思います。昔、参禅会に参加したことがありますが、別世界を覗きたいと思った訳ではありませんよ。 県外の大学参禅会と一度交流した時、トリップがどうのこうの言ってて、びっくりしました。住職さんは、座禅するのに、そういう向き合い方では駄目とおっしゃってました。 哲学って、ものの見方や考え方を深めていく学問ですね。 文学や音楽など他分野にもつながっているので、違う入口から深めていくこともできると思います。 昔、ニーチェの哲学に関心を持ちましたが、スタンダールやリルケなどの文学を読むことも勧められました。ベートーベンやマーラーの音楽を聴くのもいいよとか。「苦悩を通して歓喜へ」を音楽を通して理解せよという意味だったのかな・・と捉えています。(マーラーはよくわかりません) このように観念的に深めることと、空想の世界は別物だと考えます。 切り離された観念的な思考には限界があって、無限連鎖に陥らないことが大切だと思います。 哲学には、論理的なものと、直観的なものとがある・・どちらが自分に合っているかは、それぞれ個性があるので、教養課程のなかで探していけばいいと言われました。進路変更して、わからずじまいですが。 態度としては、自分のものの見方を時には客観視して、煮詰まり過ぎないことが大切だという気がしています。

noname#181644
質問者

お礼

今となっては真相もわからないですが、二十歳前くらいの頃に、所謂光明体験を、意図せず体験したことがあります。以降、空や無と言った思想にしばらくかぶれていました。(思想としての空や無を否定するわけではないですが、)観念の世界や、思考を越えた世界といったフレーズが散見される中で、少しく警鐘を鳴らしたいという気持ちもあり質問させていただきました。詳しいご回答いただきうれしくおもいます。

その他の回答 (9)

回答No.10

人間は『思い込みの世界』と『現実の真実の世界』を行ったり来たりして人生を送っています。ですがどちらの世界も頭の中に存在しています。ただ違うのはどちらにウエイトが傾くのか?と言う違いはあると思います。 真実の世界に深く入って、自我の分別が粉砕されたなら、真実の世界が展開する事になります。その時からは『苦しみの世界はなくなります。』幼子と同じく天国に住む事になるからです。 その反対に、真実の世界に目を瞑る場合では、苦しみの世界が展開します。何故なら『自我の思うような天国など何処にも存在していないからです。』 自我が天国を求めれば求めるほど、地獄から抜け出すのが難しくなります。天国を求める事が『意識地獄に、自我を留める事になるからです。』 野狐禅に代表される世界観は『思い込み』です、架空の世界を現実にあると勘違いする事だからです。妄想の世界に住んでいる事を意味するからです。 この世界から抜け出す方法は『現実の世界と、現実の自分を素直に認める事です。』頭に描く世界観は現実を受け入れたくないとする自我意識の自分としての願望でしかありません。否応無しで現実の世界は『自分の意思とは無関係に展開しています。』 世の中は『自分の意志の力では変える事が出来ない事』を認める必要があります。必要な事は自分自身を世の中に合わせてゆく事だけです。 この事が分かるなら、『自分が力も入れないのに、自分が生きている事』が実感出来ます。 力を抜けば抜くほど、心が休まって行く事を実感出来ます。 力を入れて生きて行く時、何処かしら『不安に対応しようとする、心構えが』滲み出ている事を意味するからです。

noname#181644
質問者

お礼

おっしゃるような、現実認識の力はとても大事と考えます。現実を無視すると、独りよがりのとんでもない考えに陥ってしまうから。 ご意見ありがとうございました。

noname#189751
noname#189751
回答No.9

感性の拡大の体験というのでしょうか、 そうした思わぬ体験をしてしまうと、現実というものが、つまらなく感じられてしまう といった事があるかと思います 感性の欲求を抑えるのではなく、解放してしまうのも、一つの方法かもしれません 或いは、それしかないかもしれない そんなふうにも思います 感性が最重要としている事に、突き進む・・時 現実はその傍らに、冴え冴えと見えてくる 中途半端では、感性は納得しない、ごまかしきれない・・ 全感覚を集中できるものを与えよ・・と感性は言っている 迷いなくそうできれば 我に返ることができるのではないでしょうか 生きている我に返る、出会えるように思います。 難しいのは、意識における最重要と、感性的欲求の最重要が、必ずしも一致しないことだと思います 一種の行き詰まり状態になりやすい そんな時、これだけはどうしてもやっておきたい・・という事を決めてかかることではないでしょうか すぐにはやれなくとも、着実に実行できるようにしていけば、いいのではないでしょうか 生き生きとした自分が近ずいてくる・・ そんな感じがします。

noname#181644
質問者

お礼

思考に頼り切らず、感性の求めるところに従う、そうすれば生き生きとした生が近づいて来る。そんなご意見と受けとりました。ありがとうございました。

  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.8

>我に返ること ○正信なくば正見なく、正見なくば正思なく、正思なくば正語なく、・・・・なんですね。 我に返るためには、最初の「正信」にたどり着かないと我に返ることはできません。 正信とは、何を信じてますかということですが、それが問題なんですね。 常識は正信にはなりえないのですね。多数の常識が必ずしも正しいことであるとは言えないからですね。 我に返ったと思っていることが、単に多数の呪縛に戻っただけということもありますので、我に返ることは難しいのですね。我に返るためには、子供のようになることですね。物心ついてから今までの世の常識にまみれた自分を一度白紙に戻して考えてみることですね。それが子供になるという意味ですね。まずゴミ知識を全て捨て去り、子供のような新鮮な気持ちになって考えて見ると、本当の自分に戻れるかもしれませんね。

noname#181644
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 新鮮な気持ちになって、ということですね。本当の自由も、そういうものかもしれません。

noname#194289
noname#194289
回答No.7

私には、我に返るというのは、体あっての私と実感することです。しかしこの認識は退屈しているときにのみ可能です。あるいは重い病気で苦しんでいる時です。頭あっての私と思えるのは体が健康な人なのですが・・・。

noname#181644
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 そのお気持ちとてもよくわかります。

  • amaguappa
  • ベストアンサー率36% (140/385)
回答No.6

良い師匠が必要です。 本人1人でなんとかなると思っていてもどうにもなりません。 それをかつて経験し、またかつて指導者から導き出されたことのある人が、導くまでです。

noname#181644
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。師を求められるくらいに慢心が抑えられていればいいのですが、。

回答No.4

ひとつの感情を消すには、また別の感情をそこに「上書き」するしかない、と言われます。 ここでは、 任意の感情(たとえば悲しみ、喜び)を10秒間継続してみて、 それを5秒に縮めていきます。 そして、きっかり一秒間だけ、その感情をもつという実験をしてみてください。 一秒間の「悲しみ」(訓練すればできます)とは、どんなことかが分かれば、 神をみることも、目の前のコップを見ることも、同じこと(同じ覚醒度)だと気づくはずです。 舌足らずですが、以上です。

noname#181644
質問者

お礼

いえ、ご回答頂けただけでもうれしいです。感情も大事ですよね。考え込んでしまうと排斥されがちなそれですから。

  • kanto-i
  • ベストアンサー率30% (180/596)
回答No.3

感覚が妄想や空想の中に埋没してずれが生じた場合は 事実に焦点を合わせ直すことです。 感覚が自身にとっての事実に思えても 現実的な事実に自分を向かせることですね。 本当に別世界までずれてしまったら、相当回数が必要となります。

noname#181644
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。現実や事実に向き直ること、大事ですよね。

  • MOG777
  • ベストアンサー率14% (20/139)
回答No.2

難関大学の受験問題を解いてみる。 美しい女性を口説いてみる。 短距離走を走ってみる。 トイレで自分のうんちを観察してみる。 これで自分に関する幻想は解けます。

noname#181644
質問者

お礼

ふふ、なかなか楽しいご意見頂戴致しました。自身の傲慢を鎮めるのには手頃ですね。最後のウンチが一番効きそうです。ありがとうございました。

回答No.1

その「我」を、本質的に掘り下げることです。 結果として、その果てに宇宙に至るのです。

noname#181644
質問者

お礼

お早いご回答ありがとうござます。

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