英語の冠詞a, theの概念について

このQ&Aのポイント
  • 英語の冠詞aとtheの使い方が分からないと困っています。可算不可算の概念やルールについて教えてください。
  • 冠詞aとtheの使用には慣習があり、具体的な存在物にはtheを、一般的な概念にはaを使います。しかし、このルールには例外もあります。
  • 冠詞の使用には文脈や意味の違いが関係しており、実践的な理解が必要です。冠詞の使い方については、具体的な例文を見ながら学ぶと良いでしょう。
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英語の冠詞a,theの概念にお強い方

こんにちは。英語初心者です。aとtheの付け方も分かりません。 Wikipediaにおける、冠詞の説明が難しくて困っています。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8B%B1%E8%AA%9E%E3%81%AE%E5%86%A0%E8%A9%9E そもそも、可算名詞、不可算名詞の概念が分かりません。「数えられないもの」など存在しないからです。水でさえ汲めば数えられます。 私は色々あってこう考えました。 「具体的な「存在物」はthe(定冠詞)をつけて、どれでもいいという「概念」にはa(不定冠詞)をつけて、では冠詞の付かないものは何なのかというと、実現化不可能な「究極の概念」(例えば円のような)である。」 しかし、これは間違いのようです。 上の理屈に従えば、 Eat the rice.は「その飯を食べろ」 Eat a rice.は「飯を食べろ」 Eat rice.は「実現不可能な完璧な飯を食べろ」=「観念の上でそうしろ」=「真似をしてそう観念していることを示せ」 となってしまいます。 実際には、 Eat rice.で「飯を食べろ」という意味らしいです。 Eat a rice.だと変になってしまう(予想では「米粒1個を食べろ」となる)みたいなのです。 実践的な解説は数多く聞きましたが、あまり概念を把握し切れていないので、応用に結びつきません。 西洋人は一体何を考えて冠詞を使っているのでしょうか。そこには何らかの概念があると思うのです。人間が本当にあのWikiに書いてあるような、難解なルールを考えて冠詞をつけるつけないと判断しているのでしょうか? 可算不可算の概念、冠詞の概念を教えて下さい。 ルールなど無い、全ての名詞に慣習があるというのなら、現地に居ない私にはつかみどころがなく、もう冠詞を使用することが出来なくなってしまいます。

noname#177461
noname#177461

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  • Nakay702
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回答No.9

>可算不可算の概念、冠詞の概念を教えて下さい。 >ルールなど無い、全ての名詞に慣習があるというのなら、現地に居ない私にはつかみどころがなく、もう冠詞を使用することが出来なくなってしまいます。 ⇒可算不可算の概念について 質問者様の“「数えられないもの」など存在しない”というご指摘は、例えば「物理学の中」ではそのとおりです。けれども、「英語での表現というレベル」では、「数えられないもの」があって、それを不可算名詞と呼ぶわけです。 英語では、「液体や粉など」を表わすものが不可算名詞です。そして、この場合、「それを入れる容器などで数える」わけですね。例えば、a cup of coffee, two cups of coffee...のように。 ⇒冠詞の概念について ごくごく大雑把に分けると、冠詞は「指示方法」と「指示範囲」という2つの基準で、定冠詞・不定冠詞を使い分けます。 A.指示方法の違いによる使い分け 「特定のもの・既知のもの」を表わす語には定冠詞をつける: the sun、 the man (I met yesterday)。ただし、極めて明確に限定されているが、人名などの固有名詞には冠詞をつけない。 「不特定のもの・未知のもの」を表わす語には不定冠詞をつける: a star、 Yesterday I met a strange man...。ただし、話者には分かっていても、相手が知らない場合を含む。 B.指示範囲の違いによる使い分け 国民・階級・種族などの「全体を表わす場合」には定冠詞をつける: The Spanish are very fond of soccer. ただし、man, womanなどは例外扱い( Man is mortal.)。 「部分を表わす場合」には不定冠詞をつける: There is a stature in the park. Give me a cup of coffee. ただし、「質のみ」を表わす場合は、通常無冠詞: I'm at home.(「在宅」している)。Is there any fish that doesn't live in water?(「水中に」住まない魚)。 注: 以上は、あくまでも「基本原理的」な理解を目指した説明です。ごく簡単な区分なので、これだけでカバーできない部分も多々ありますし、最初にもお断わりしたとおり、例外もたくさんあり得ることをご了解ください。

noname#177461
質問者

お礼

範囲の概念に触れられたのはこの回答が最もメインだと思います。 Dusts are decided to classify by administration in the tokyo. 東京(という全体)では、ゴミは行政によって分別することに決められている。 There is a Tokyo in Japan.(there is a named(called) of Tokyo in Japan.) 日本には東京という街がある。 どうでしょうか? ありがとうございました。

その他の回答 (13)

  • neKo_deux
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回答No.3

30年近く前に出た本ですが、 岩波新書「日本人の英語」マーク・ピーターセン著 Amazon.co.jp: 日本人の英語 (岩波新書): マーク・ピーターセン: 本 http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%AE%E8%8B%B1%E8%AA%9E-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%94%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%BB%E3%83%B3/dp/4004300185 の最初から30ページ程度までで良いので、読んでみる事をお勧めします。 (時代が違ってるので、本文中の例は、一部今の実態と合わない部分もありますが。) -- そちらによると、 > aとtheの付け方も分かりません。 この「名詞にaやtheの冠詞がお飾りみたいにくっ付いてる」って概念が間違いって事になります。 極端な話ですが、riceって単語を一瞬ド忘れしたような状況、日本語だと「今日、え~と、ん~、ご飯を食べてたら~」とかってなるような状況を想像してみて下さい。 その場合でも、前後の文脈や状況によって意味は変わるんですが、 I eat a, a... a rice. I eat the... the... the rice. I eat eh... um... eat rice. とか、riceって単語に先立って、対象の範囲や意味やカテゴリを決めるaとかtheが出て来るって事になるそうです。 -- 逆に言うと、どんな冠詞が付いた場合でも、意味が取りにくくなるだけで、文法的に間違いって事はありません。 > Eat the rice.は「その飯を食べろ」 > Eat a rice.は「飯を食べろ」 これも間違いって訳でなく状況次第で、 米料理がいくつか出されてる中で、こっちの黄色い米が美味しいねって話の中でなら、 Eat the rice.「今言ったお米を食べてみて」 もっと良く言うと Eat the (yellow) rice.「その(黄色い)お米を食べてみて」 ってのはアリです。 Eat rice. って言っても、「どの?」「どれよ?」「もう食べてるよ」とかって言われるかも知れません。 Eat a rice. は、質問文中にもありますが、米1粒を残さず食べなさいって場合には適切ですし。

noname#177461
質問者

お礼

riceは不可算名詞という認識で良いでしょうか。だとしたら、 Eat rice.は可算不可算からすると正しいのですよね・・・ このご意見は、可算不可算で冠詞を付ける付けないを判断するのは「怪しい」という感じでしょうか。 他のカテでは可算不可算で断定される意見もあるようなのですが、それは机上のテスト用の意見と考えた方が良いのでしょうか。 「あの~、その~、え~」とかいう意味もある、ということでしょうか。 ありがとうございました。

  • gldfish
  • ベストアンサー率41% (2895/6955)
回答No.2

定冠詞・不定冠詞の概念・・・ということでしょうか。 当然のことながら、日本人が日本語を話す時にいちいちその文法・概念・・なんてものを考えないように、英語圏の多くの人もいちいちそんなこと考えていないと思うので、「なんとなくどう認識しているか」ということになると思います。 「なんとなく」なので簡単に言えます。  定冠詞  ・・・その会話に加わっている者の共通認識として、「(あの時のあそこの)あれ」と特定されるもの  不定冠詞  ・・・特定されていないもの です。 これではイメージしにくいと思うので例を挙げます。 "an apple"はとにかく「1つのリンゴ」であって、その場の認識としてどこのどのリンゴかは特定されていません。 一方"the apple"は、たくさんある「リンゴ」という候補の中から「その下の方にあるちょっと腐ってるやつ」とか「Aさんがくれたリンゴ」とか「さっき話の中に出てきたリンゴ」など。これを(冠詞でいう)「特定されている」と認識します。(ちなみにappleが複数形ではないので、これは当然「1つのリンゴ」を指します。) ・・・このように、英語では話の中で、「特定か、不特定か」を意識します。 これは日本語にもあると思います。例えば「これ・それ・あれ」「この・その・あの」や「かの」「例の」など。これが無いと言いたいことがわかりにくくなることはおおいにあると思います。その役割が英語の定冠詞にあると思ってください。 冠詞は慣習や作法ではなく、むしろ「意味」と考えた方がいいです。 そこで。 appleは観念的に「1つ、2つ・・」がはっきりしていすが、riceはそういうわけにはいきません。そういう場合に"an apple"のような使い方として、無冠詞の"rice"が用いられるのです。つまりこれは「特定されていないもの」という認識です。「米は数えるようなものではないから"a rice"ってのは変だよね・・」となった時に自動的に無冠詞"rice"になってしまうのです。 おっしゃる通りこれは「具現化できないもの」ではありません。米は物質として存在します。つまり、無冠詞が「実現化不可能な・・」という捉え方自体が一般的ではなく、そもそもの間違いです。もしそういう用法もあるのだとしても、あくまで「無冠詞のたくさんある用法の1つ」として考えてください。

noname#177461
質問者

お礼

water 水(不特定の)ただなんとなく a water (数えられないからおかしい、成り立たない)が、厳密に言えば水分子H2O ただなんとなく The water(数えられないからおかしい、成り立たない)が、厳密に言えばみんな知ってるあの水分子、そうH2O ただなんとなく という感じでしょうか。 ありがとうございました。

  • MOG777
  • ベストアンサー率14% (20/139)
回答No.1

THEは「これぞ」といったニュアンスを付加するものです。 the riceだと、偉大なお米というニュアンスになり、例えば、お米の歴史といった文章で使われる感じです。 >「数えられないもの」など存在しないからです。水でさえ汲めば数えられます。 はい。そのとおりです。 では、どういう単位で汲んで数えるかという話になります。 カップ単位ならa cup of waterとなります。 >可算不可算の概念、冠詞の概念を教えて下さい。 概念は多数の具体的事例から帰納的に発生するため、多数の具体的事例を知らない初心者には正直難しいです。 実際に、自分がそういう実生活で会話をなげかけられて意味がわかるか想像することが大切かと思います。

noname#177461
質問者

お礼

water 水(という概念) a water (おかしい、成り立たない)が、厳密に言えば水分子H2Oのこと。 The water まさに水 みんな知ってるあの水 その水 という感じでしょうか。 ありがとうございました。

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