• ベストアンサー

古文の質問です!

1~3の( )に、助動詞「き」を正しく活用させてかけ。 1 四方の海の深き心を見()に、 2 横笛、琵琶、筆の琴をなむ次々に習ひたまへると、上も思しのたまはせ() 3 絵はなほ筆のついでにすさびさせたまふあだ事とこそ思ひたまへ() 1~2に「き、けり」を正しく活用させてかけ。 己が師、なにがしと申し(1)人、東国にて、いろをしと申すぼろに殺され(2)と承り(3)ば、その人に逢ひ奉りて、恨み申さばやと思ひて、尋ね申すなり。 よろしくお願いします。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • fumkum
  • ベストアンサー率66% (504/763)
回答No.1

活用させよなどの問題の場合は、( )の下の単語に第一に注目します。 例えば1は、下に「に」があります。短い文で、下の部分がないので、この「に」が格助詞なのか、接続助詞なのか判読が難しいところがありますが、両者共、連体形接続なので、上に来る語(この場合は「き」の活用語)が連体形になります。ですから、「き」の連体形の「し」が答えとなります。 同じように2は、下が、実際は句点(「。」のこと。ここで文が終了すること。)で、文が終了しているようですから、終止形の「き」になります。 3はひっかけ問題で、文の終わりで、答えは終止形のように思いますが、文の途中に係り結びをつくる係助詞の「こそ」がありますので、「こそ」⇒已然形で、「しか」が答えとなります。 次の文についても文が短いのではっきりしないところもあるのですが、要は直接体験の「き」を用いるか、間接伝聞過去の「けり」を用いるかということを理解しているのかを問う問題です。 1については、「己が師」とあり、「~と申し」となっていますから、直接体験の「き」で、下が「人」という名詞(体言)なので、体言に連なる形である連体形の「し」になります。 2は下の「と承り」は「(他の人から)~と、うかがう・お聞きする」という意味ですから、伝聞の「けり」で、格助詞の「と」は引用文・会話文などを受けますので、「と」の前で文は終了していますから、終止形の「けり」になります。 3は「承り」は自分自身が聞いた事なので直接過去の「き」を使いますが、その後に接続助詞の「ば」があり、「已然形+ば」で確定条件をつくり、「~だったので」の意味になりますので、已然形の「しか」が答えになります。 以上、参考まで。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

関連するQ&A

  • 可能動詞 について

    一連の質問をさせていただいた総括としての質問です。 多少、新しい見解も提示しております。 http://okwave.jp/qa/q6524818.html の続編と受け止めていただくと良いと思います。 ラ抜き動詞に関しては別掲いたします。 <結論> 可能動詞は主体重視、動詞+助動詞れる・られるは対象重視。 <前提 1> 以下はウィキからの抜粋です。 『「行かれる」のような「~れる・られる」の形は、古語の「~る・らる」の形から変化したものだが、「行ける」のような可能動詞はそれとの関係は不明である。 由来には大きく2説があり、「知るる(知れる)」等からの類推で、従来からあった四段(後に五段)活用動詞に対する下二段(後に下一段)段活用の自発動詞が一般化した(類似の動詞の項を参照)という説[1]と、 「行き得(る)」のような「連用形+得(る)」の表現が変化したという説[2]とがある。』 この後者、「連用形+得(る)」の表現が変化したという説に、かなり共感を覚えます。 <前提 2> 以下は、 http://okwave.jp/qa/q6524818.html に寄せられた#16さんのご回答です。 『そのように感じられるのは、「れる・られる」の可能以外の意味(受身、尊敬、自発)に大きく影響されているからではないでしょうか。 受身、尊敬、自発には、主体の積極的意志が感じられません。 「れる・られる」には4つの意味あると言っても、一つの言葉ですから、「れる・られる」の可能表現でも、可能以外の「受身、尊敬、自発」に引っ張られることがあってもよいと思います。』 これら2点を主な前提にさせていただきつつ、私の感じたことを総括いたします。 率直な(しかし可能なかぎり論理的な)ご感想をお願いできれば幸いです。 1. 可能動詞の誕生は次のような過程を経ていることになると思います。   読む(YOMU)→読む[を]得る(YOMU-ERU)→読める(YOMERU)   休む(YASUMU)→休む[を]得る(YASUMU-ERU)→休める(YASUMERU)    泳ぐ(OYOGU)→泳ぐ[を]得る(OYOGU-ERU)→泳げる(OYOGERU) これが、「動詞+得る」が可能動詞の発生過程と推測します。 [U]は発音上の便宜性で消滅したと考えることに無理はないでしょう。 3. そして、「得る」が可能の意味であることは当然ですが、「【主体(人とは限りません)】が(何事かを)得る」という用法だと思います。 つまり、可能動詞は主体性重視を意図した表現である、ということの根拠となり得るのではないか、ということです。 例を2点挙げます。 a. 「【会社を休むこと】を得ない」という意図ではなく、 「【わたしが休むこと】を得ない」という意図の場合、 『風邪を引いたが、繁忙期なので会社を休めない』 と表現する所以です。 逆に、 「会社が、休むことを得ないほど繁忙状態にある」という意図を表現したい場合には、 『風邪を引いたが、繁忙期なので会社を休まれない』 となる。 「会社は、わたしに休まれると困るような状態にある」 という受身の要素、 「私が意図したわけではないが、会社は、わたしに休まれると困るような状態になっている」 という自発の要素、 なども含まれているでしょう。 いずれも、【休むという行為の主体(=わたし)】の存在を薄めるニュアンスが込められていると思います。 b. 「海が汚れているために泳ぐことを得ない」という意図ではなく、 「わたしが泳ぐことを得ない」という意図が強い場合、 『わたしは泳ぐのが大好きだが、この海は汚れているので泳げない』 と表現するでしょう。 ただし、「私という主体」ではなく「海が汚れているために」泳げない、という意図でも、 「この海は汚れているので泳げない」と表現することは、往々にしてあるでしょう。 その場合は、 「この海は汚れているので(私たちは / 人々は)泳げない」という主体の転換がなされているにすぎません。 逆に、私という主体に強い関連性が乏しい場合、 つまり、「海が汚れているために泳ぐことを得ない」という意図を表現したい場合は、 「この海は汚れているので泳がれない」となる。 タンカー事故などによる油の大量流出で、観光地である【海自体の明らかな汚染】を嘆く人は、 「この海は汚されて、泳げない海になってしまった」ではなく、 「この海は汚されて、泳がれない海になってしまった」と表現する割合が高くなるように思われます。

  • 古文の質問です!

    里びたる心地には、なかなか、定まりたら む里住み よりは、をかしきことをも見聞き て、心も慰みや(せむ) と思ふをりをりありし を、いとはしたなく悲しかるべ きことにこ そ(あべかめれ)と思へど 、いかが(せむ)。 師走になりてまたまゐる。局してこのた び は日ごろさぶらふ。上には時々、夜々も上 りて、知らぬ人の中にうち伏して、(つゆま どろまれ ず)。恥づかしうもののつつましき ままに、忍びてうち (泣かれ)つつ、暁には夜 深くおりて、日暮らし、父の老 い衰へて、 われをことしも頼もしからむかげのやうに 思ひ悩み、向かひゐたるに、恋しくおぼつ かなくのみ 覚ゆ。母(なくなりにし)姪どもも 、生まれしより一つに て、夜は左右に伏し 起きするも、あは れに(思ひいでられな)どし て、心もそらにながめ(暮らさ る)。立ち聞き 、かいまむ人のけはひして、いといみじ く ものつつまし。 ()の品詞分解をお願いします!!

  • 古文について質問です。

    今浪人生なのですが、四月から古文法から始めてやっていたのですが、胃潰瘍になってしまいずっと休んでいました。他の教科はなんとかなりそうなのですが、古文が文法どま りになっています。試しにセンターやってみましたが、全然わかりません。そこで半分の点数でいいのでなんとかセンター古文とりたいです。今から何をすべきでしょうか?

  • 古文についての質問です!

    同格は提示した事物をより詳しく説明するときに用い、英語の関係代名詞のような名詞節をつくる。 また、訳すときは、体言を補う必要がある。 次に文章に体言を挿入せよ。さらに、同格によって作られた名詞節(句)を囲め。 いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めき給ふありけり。 母北の方なむ、いにしへの人の由あるにて、 匂欄のもとに青き瓶の多きなるを据えて 桜のいみじうおもしろき枝の五尺ばかりなるを、いと多くさしたれば、 よろしくお願いします!

  • 古文に付いて質問です。

    とても基礎的なことだと思いますが分からないので質問します。 「読む」という単語を活用すると「四段活用」なのですが、では、 「恨む」という単語は「上二段活用」なのです。この違いはどこで判断すればよいですか? 学校の先生は、未然に「ず」、連用に「て」、連体に「とき」、已然に「ども」、をつけると分かるというのですが、「恨まず」・「恨みて」・「恨み」・「恨むとき」・「恨めども」・「恨め」、と四段活用のようにして活用すると間違うのです。でも僕は何が違うから「読む」は「四段活用」で「恨む」は「上二段活用」だと判断すればいいのか分からないのです。他の上一段や下二段も同じく判断できません。 どんな判断基準があるのか教えてください。 お願いします。

  • 古文について質問です。

    古文について質問です。 年来おぼつかなく思ひたまへる事ども、はるけはべらばや とあるのですが、この、へる、となっているので、るのまえeの音は完了のり、より 完了の、りという識別でいいのでしょうか?

  • 古文についての質問です。

    古文についての質問です。 次の古文を現代語訳していただけないでしょうか? 鈴虫の声すなり。 宜しくお願い致します。

  • 古文の質問です。

    古文の質問です。 「奉り給ひてけり」 で、"奉り"が尊敬の本動詞だったら、"給ひ"は、必ず尊敬の補助動詞になりますか? 謙譲の補助動詞になることはありえませんか? 教えてください。

  • 古文の質問です。

    古文の質問です。 逆接確定条件は、已然形+どもと思っていました。 しかし、 (1)松山の浪のけしきはかはらじ(を) (2)今は人知れぬさまになりゆく(ものを)と思ひ過ぐして、 ()内の文法的働きは?という問題で、 どちらも逆接確定条件でした。 なぜですか?

  • 古文に関する質問

    Z会古文上達基礎編実践問題5より 誰のことば(主)か答える問題です。 前後関係が大丈夫だと思われるとこから抜粋します。口に米を詰め込み頬が赤くなる話です。 いよいよ色も赤くなるを見、隣の者集まりて「婿殿のはれもの、大事におはすなる、あさまし」とてとぶらふ。 さるほどに、医師を呼ぶべきにて、藪医師の、近々にありけるを呼びて見すれば、「ゆゆしき御大事のものなり。とくとく療治し参らせん」とて、火針を赤く焼きて、頬を通したれば、米のぽろぽろとこぼれてけり。 問題は’参らせ’に線が引いてあり答えるのですが。自分は前後から藪医師が言ったのだと思いました。しかし答えは隣の者。 説明には「隣の者集まり」てに続く会話なので、隣の者の言葉とありました。 訳文を見ても納得いかないし藪医師が言ったのだと思うのですが… どなたか解る方いらっしゃいましたら、御力添えお願いします。