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哲学は進歩したのか

古代ギリシャから現代にかけて哲学に進歩はあったのか  

みんなの回答

  • LOLIPON35
  • ベストアンサー率30% (855/2831)
回答No.8

言葉が言葉の外に出られないのと同様に、 宇宙を外から見ることはできないし、 どんなに知識を重ねて行っても、 人が人であることに変わりがない。 結局、無知の知に還る、という気がします。

noname#181697
noname#181697
回答No.7

カントまでは良かった。哲学は確実に進歩していた。だが、ヘーゲルが弁証法によって真理に近づけると錯覚し、多くの人々がそれに賛同した時点で、哲学は死んだ。 キルケゴールはその間違いを正そうとしたが、残念ながら一歩及ばなかった。今の哲学は、いくらやっても妄想逞しくなるだけで、真理に到達する人は出てこない。 真理に到達するには、消去法しか無い。論理の積み重ねではなく、因果関係を掘り下げていく事でしか、真理には到達しない。その為に思考を駆使するのは良いことだ。 人間は死ぬまで考え続ける定めにある。だが、考え方の根本が歪んでいたら、一生を棒に振る。だからこそ、正しい考え方を教え伝える必要があるのだ。

回答No.6

人の道がここ数年の間にどれほど進歩したのか以下に示そう。 1.神は宇宙の法則であると悟り、万物の根源、宇宙の法則、アルケーの神を発見した。 2.漬かった人と語り合うことが可能であることを証明した。 3.宇宙の公理を生み出した。 4.ビッグバン宇宙論はただのギャグであることを証明した。 5.「人の道 十ヶ条」を生み出した。 6.その他etc.・・・ >まだ足りんか。 おお、まさに哲学だな。すばらしい。

hitonomichi26
質問者

お礼

  ここに挙げた事柄について少なくとも人の道が自己完結していると感じて貰えればそれで十分である。  

回答No.5

>哲学は進歩したのか  人の道の進歩と同じ。

hitonomichi26
質問者

お礼

  人の道がここ数年の間にどれほど進歩したのか以下に示そう。 1.神は宇宙の法則であると悟り、万物の根源、宇宙の法則、アルケーの神を発見した。 2.漬かった人と語り合うことが可能であることを証明した。 3.宇宙の公理を生み出した。 4.ビッグバン宇宙論はただのギャグであることを証明した。 5.「人の道 十ヶ条」を生み出した。 6.その他etc.・・・ まだ足りんか。  

  • takionn
  • ベストアンサー率50% (2/4)
回答No.4

進歩というのが近代科学的な発展の事を指しているのでしたら、哲学は進歩していません。 というのは、近代科学や数学において、発展、進歩が起こった時、 前の時代にあったものは全て引き継がれ新しい形で定義されなおされるからです。 例えば天動説は科学の発展により地動説という形で弁証法的な進歩を遂げています。 この、あたかもテーゼがジンテーゼに至るような発展はイデア的な「数」と経験論的な方法論の賜物でしょう。 まるで石を積んで高い塔を作るが如きものです。 けれど、哲学のみならず他の学問において、 このような「前時代を内包しながらそれを新たな形で調停する」という形式は見られません。 ことに哲学においては、まず基礎となる石から掘り起こし塔を立て直す、賽の河原のような事が度々起こります。 ホワイトヘッドが「西洋哲学の歴史とはプラトンへの膨大な注釈である」と言っていますが、 哲学は全時代の人間の問題意識を引き継ぐ形で進んでいくのです。 仮に哲学に近代科学的な進歩があるとすれば、想像すればそれは哲学そのものを否定しかねないものと解ることでしょう。 けれど、全くの進歩が見られないということを時代感に差異が見られないこととすれば、 哲学は思考の多様化という点で紛いなく進歩しています。 時代と時代をつなぐのは問題の引き継ぎでしょう。 余談ではありますがマックス・ウェーバーに「職業としての学問」というのがあり、 これに「現代の人間は、その成果を耐えず未来へ受け渡しているが為にその生活は無価値なものとなる」 というような事を行っています。 今となっては天動説が無価値となったように、科学的において我々の努力は絶えず未来に吸収されていくわけです。 もし天動説に価値を与えるとしたら、それには歴史や思想が必要でしょう。 ですからある程度自分の枠内で完成されるものというのはそれだけでありがたいものだと想います。 冗長になりましたが、これでどうでしょうか?

hitonomichi26
質問者

お礼

御回答ありがとうございます。 >進歩というのが近代科学的な発展の事を指しているのでしたら、哲学は進歩していません。 つまり哲学は芸術のよーなもので、進歩するのが非常に難しい、または進歩しているのか進歩していないのか判別できない領域と見做しているのでしょうか。 事実芸術の世界はまさにこのよーな領域であり、今だに18世紀に生きたベートーベンを超える音楽は生まれていません。 これについて私の考えは明確です。 哲学は思考の道具であるべきと考えます。 思考の道具であれば、科学的思考とは何かについて答えを出すものであり、本来であれば物理や化学の上位概念なのであり、言わば科学的研究の方法論を提供すべきものだと考えます。 しかしこれまでの哲学はそのようーな重要な使命を果たさず、認識論だの、存在とは何かとか、神の存在証明とか、このよーなつまらない議論を繰り返しているうちに世の中から忘れ去られる事態になったのではないでしょうか。 医療倫理の問題にしても哲学は何らの答えを出していない。 科学が進歩すれば進歩するほど哲学が必要になるのにである。 だからここで哲学は進歩したのかと問うたのですが・・・。  

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.3

また、某氏に怒られるよ?

hitonomichi26
質問者

お礼

  君は誰かさんに怒られるのが怖いのかい。   そんなんで哲学は出来るのかい。   

  • Nakay702
  • ベストアンサー率80% (9721/12092)
回答No.2

文化は蓄積し、後世に伝えられる。それを哲学の観点から見れば、「哲学史」は貴重な遺産である。人は古代から、それを営々築いてきたという意味では、そして、現代哲学はその頂点にあるという意味では、ある種の進歩と捉えることができるかも知れない。 一方、philosophieren「哲学する」という観点から見ると、人間誰でも生まれるときは丸裸で、いかなる身分の者であろうと、「己の知見」は自らの手で掴み取り、かつ研鑽を積まなければならない。 逆説的だが、これまでの哲学的遺産が豊かなほどに、哲学する者の吸収消化は手間取り、自家薬籠中のものにしづらい。ましてや、その上に個性的な発想・知見を積み上げることにおいておや、である。 以上の意味では、現今「哲学する者の進歩はむずかしい」、と言えるのかも知れない。ただし、絶対に進歩できないとも考えない。個人的には、「人間がロボット化しつつある」ような現代こそ、哲学の存在価値が見直されるべきであるし、それを進歩させるべきである、と思う。人類が、「自滅する」という愚行を犯してしまわないうちに!

hitonomichi26
質問者

お礼

ありがとうございます。   >以上の意味では、現今「哲学する者の進歩はむずかしい」、と言えるのかも知れない。ただし、絶対に進歩できないとも考えない。個人的には、「人間がロボット化しつつある」ような現代こそ、哲学の存在価値が見直されるべきであるし、それを進歩させるべきである、と思う。人類が、「自滅する」という愚行を犯してしまわないうちに! 全く同感です。 今の時代ほど哲学が重要な時代はありません。 これまでの哲学には一つの共通項があった。 それはいたずらに難解な表現を用いたこと。 難解な表現を散りばめればそれだけで哲学であるなどと勘違いをしてきたこと。 内容のないものを内容のあるものの如く繕おうとするには難解な表現を用いるのが手っ取り早いからである。 しかしこれは子供だましにすぎません。 これはこれまで哲学者が真の哲学を欠いた結果そーなってしまったのでしょう。    

回答No.1

変化はあったが、進歩と言えるかどうかは、個人の選択だな。 古代ギリシャでは哲学が分子や原子を論じたが、いまじゃあ、化学と物理にとられた。 その結果、哲学は、主観的、属人的、選択的な認識論ぐらいしか対象が残っていない状態になった。 さて、主観的、属人的、選択的な認識論の分野で、ギリシャの哲人と現在の哲人に優劣(進化の形跡)があるかどうかは、はなはだ疑問だな。

hitonomichi26
質問者

お礼

>古代ギリシャでは哲学が分子や原子を論じたが、いまじゃあ、化学と物理にとられた。 >その結果、哲学は、主観的、属人的、選択的な認識論ぐらいしか対象が残っていない状態になった。 化学や物理学など、自然科学が発展したことは事実であるが、それ故に哲学に残されたものは粗末な認識論しかないとゆー考えには賛成できません。 もしこのよーな歴史的流れの中にあって、哲学に残されたものが粗末な認識論しかないとゆー結末なのであれば、それはこれまでの哲学が怠慢であったからに他ならないと思う。 >さて、主観的、属人的、選択的な認識論の分野で、ギリシャの哲人と現在の哲人に優劣(進化の形跡)があるかどうかは、はなはだ疑問だな。 認識論の中では、古今東西、人の考えることは皆同じです。   何の進展もない。 あ~、哀れ認識論、 あ~、哀れ哲学。    

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