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「ボランティア」の意味合いについて教えてください

nagasakikunnchi5の回答

回答No.5

こんにちは。大学時代にボランティアサークルで活動していた者です。ボランティアの語源は、英語以前のラテン語で、自由意志などもありますが、「自主性」だったと思います。そこから志願兵などの意味もでてきたと思いますけれど、自分が自主性を持って行動を起こすことだと思います。  ボランティアでやっていること自体は、大したことではないと思います。大抵の活動よりは、普通のお母さんが子ども育てる方がよっぽど大変です。でも、人と人が至るところで疎遠になって離れて、助け合いが特別なことになってしまった現在においては、ボランティアという概念をあえて使って自主的に周りの人や社会に関わって行動を起こすことは、必要なんだと思います。  私のやっていたことは子どもと遊んだり、高齢の人と話したり、国際協力、海岸清掃でしたが、本来普通に触れあったり学びあったり、地域の掃除をしたりするのは当たり前のことだったと思います。ただ、それは奮起しないと、今ではやるのが恥ずかしくなってしまっただけで。現在は仕事っていうのが自分の能力や労働力をお金やモノに換算するだけになってしまいましたけど、本当は仕事そのものが面白かったり、学べたり、喜びなんだと思います。趣味と同じで。  それで、「こっちが時間と労力を損してるから、代わりにお金やモノをくれ」という原則が関係なくなるというのがボランティアかなあとも思います。ですから、交通費や必要経費などがある程度必要になっても、それはそれでお互いの納得次第で別に良いかなと思います。

sinjiro
質問者

補足

ありがとうございます。 みなさんの言われるとおりと思います。 私も「こんなにやってんだぞ」「ボランティアってなんだろう」なんて いつもは考えません。 ただ 障壁にあたり煮詰まると そう考えたりします。が、(特に自分がリーダー役の場合)一緒にやっている人たちの顔みたら 「楽しいなっ」「気持ち良いな」って感じちゃいます。 答えてくださる方は、みなさん ボランティアを自分なりに考えてキチンと(納得して)やられている方々ですね。 私は、「ボランティアに参加したことがない」「ボランティアってそんなもの」とかの方の意見が出てこないかなぁって思ったのです。 やってない人、否定的なひとから 意見をもらうのって難しいですね。 (marketingと同じですね。買わない人、興味ない人に買わせるってのと) 「代価(お金)が出てこないと動かない」人って多いと思います。 煮詰まったとき そう考えちゃいます。 だから 「代価よりも少ない金額でボランティアを募集したら」とも思っちゃうときもあります。(代価と受け取る金額の差額がボランティアになる) でも、この考えは 「労働力の叩き売り」になって企業に悪用されちゃいます。 (労働基準法で禁止されているカモ) みなさん りょーかいです。 自分が楽しめて 気持ちの良い ボランティア-になるよう心がけます。 ありがとうございました。 ああ あと やったことに対して「気持ち良いな」「たのしいな」って言うと「なんだ自己満足ジャン」って言われますね。それで いいんですよね。(批判になってないってこと)人間(動物) その個体がやろうと脳みそで考えたことしか 意識的には行動できないんだから。 自分で考えて判断するのが 民主主義の根源ですが、やはり それは 個々人の意識の高さによるわけで、ああっ また 拡散している。 点数つけるのイヤですが ルールなので。

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