• 締切済み

イメージする力が足りない人…

自分のことです なんか変だなと思って何とかかんとか今までやってきましたが、もう中年になってやっと気づきました。 自分にはイメージする力が欠けているようです。 昔から、学力的には何の不自由もありませんでした でも、「自由にやってみて」、とか「思いのままに」、とか「任せるよ」といわれると途端に頭が真っ白です。 ある程度経験したことや、お手本があると、そこそこできるのですが、絵や工作などはもちろん、自分の生活や仕事もそうです。 大学も有名大に進学しましたが卒論にはまったく手をつけられないまま(自分がやりたい研究がわからない、研究方法も、どこが分からないのかも)お情けで卒業した次第です 就職も、自分がどうしていいか全く分からず、真剣に悩んでも進学か教育関係かフリーターと言う選択枝しかうかびませんでした。 無気力ではありません まじめで不器用な方です センスがない人、マニュアル人間(当時はやった言葉で…)、…と自分では思っていたのですが、 どうなんでしょうか。こんなもんですかね 毎日料理を作ってますが、味付けや盛りつけってふつうはある程度イメージして作るんですか? わたしの頭には無いみたいです イメージできないって不便なんですが、こんなことで困ってる人っていますか? どうやって不便を解消していますか?

みんなの回答

  • pusai
  • ベストアンサー率38% (451/1161)
回答No.3

どうもイメージするのが苦手な方の中でも珍しい経緯の方のように見受けられます > 学生時代は国語が一番の得意科目でした。 > 常に学年でトップでした。 > たいていの場合、問題文の中に回答が隠されているからです。 さきのお礼の中で上記の部分が気に掛かりますね 『本を読む』ということは『お勉強』ではありません。 『文章の中に回答が隠されている』と言うこともありません。 そもそも正しい『回答』が『隠されている』ということもないのです。 読む人の数だけ『答え』はあり、それら全てが『正しい答え』なのです どうも学校での『お勉強』としての「出題者が求めている回答を探し出す」という「字面だけを追いかける国語」に毒されて、本来の物語を楽しむという読書自体をしてきていなかったのかもしれません (「作者はこの時何を思っていたでしょう?」という国語の問題に、作者本人は正解を出せないという逸話は有名で、所詮国語の問題など出題者の身勝手な思い込みに過ぎません) 文章の中に直接書かれていない内容のほうが、その作品の中で重要な場合も往々にしてあります。 ショートショートなど文章として書かれていない内容の方がむしろ多い作風ですし、『文章の中に回答を探す』などというお勉強癖は捨てて、もっと素直に文章自体を楽しみながら、文字と文字の間に書かれていないことまで読みこんでみると良いかもしれませんね

noname#194880
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます 「本を読む」ことについては、仰るとおりだと思います 作文も得意でしたが、文法や文章の技術などがすこしずつ分かってくると細かい部分が気になり(指示語や漢字表記にするかひらがな表記にするかなど)、大事な部分から遠ざかってしまっているような変なこだわりがありました。(大人から指摘されたことはありませんでしたが自分では違和感を感じていました) >本来の物語を楽しむという読書自体をしてきていなかったのかもしれません そうだと思います。 中学生以降になると物語は自分から読まなくなりました。 読みたくて手に取るのですが続きませんでした。最後まで読んでも結局は飛ばし読みでしたね…

noname#194880
質問者

補足

>どうもイメージするのが苦手な方の中でも珍しい経緯の方のように見受けられます このあたりをもう少し具体的にお話いただけるとありがたいのですが… 自分自身の感じる違和感、劣等感を持ち続けてなんとか生活してきましたが、自分自身何を努力して良いかわからない事が多いままここまできました。 学力については、自分の困っていることを考えるときに、個性の範疇なのか、常識がないだけなのか、それ以外の部分なのかを考えていくときに学力の部分ではないだろうと自分では確認している次第ですが、その先が見えません。 目の見えない人に「何が見えないか教えて」と言ってるようなものなんだろうなと思います…

  • pusai
  • ベストアンサー率38% (451/1161)
回答No.2

質問者様に適用されるか分かりませんが、イメージ力が欠如している人は子供時代に本を読んでいないケースが往々にしてあります。 ここでいう『本』とは『マンガ』のような『絵』ではなく、『小説』のような『活字』のことです。 マンガやテレビしか経験してこなかった人は、映像・絵で何も考えずに視覚的に直接見えることに慣れすぎて、自らの中でイメージを膨らませることが苦手になりやすいようです。 一方、活字を読んで育った人は『活字』から自らの頭の中でイメージを膨らませて、情景を思い浮かべることに慣れています。 ここにイメージ力の大きな差が生まれてきます。 子供時代の方がイメージ力を育み易いのですが、今からでも小説を読んでみるのも良いかもしれません。 1冊読みきるのに時間が掛かっても構いません。 小説に書かれている情景を思い浮かべるように意識しながら読んでいけば、イメージを浮かべる訓練になるかもしれません

noname#194880
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます 子供時代は暇さえあれば本ばかり読んでいました。 昔話や童話は何度も何度も一人で読み返しているような子供でした。 学生時代は国語が一番の得意科目でした。 常に学年でトップでした。 たいていの場合、問題文の中に回答が隠されているからです。 ただ、詩に関してはちんぷんかんぷんでした。 国語が得意だったので、本や文章に触れることは大好きだと思い込んでいたのですが、気がつくと情景描写の多い部分は飛ばしていたり、叙情的な作品は興味ありませんでした。 ショートショート、随筆、推理小説のようなものばかり読んでいたかもしれません。

  • kyo-mogu
  • ベストアンサー率22% (3398/15358)
回答No.1

 質問者はたぶん、発達障害があると思われます。想像が困難なので相当苦労はしていると思います。  最初から無理でも、少し手助け、足がかりになる物があれば大丈夫かな?見本を見るなど。  発達障害の子供を持っていますので、手本とか、具体的なアドバイスをすると、出来たりもしますね。   私はイメージします。料理も味付けや盛りつけも頭で組み立てて行きます。ただし、イメージ通りに成らないのはご愛敬で。

noname#194880
質問者

お礼

早速のご回答ありがとうございます! そうですよね~。やっぱり他の人はイメージしてるんですよね…(涙) こんな悩みは他の人には悩み事としても話しにくく、それでいて、自分の生きづらさのなかにいつも付きまとっているものなので今日はお話できてよかったです ありがとうございました

noname#194880
質問者

補足

私の頭の中は結構真っ白です。先のことをなかなか考えられません たとえば… (1)この前も、「この前作ったかぼちゃスープの残りを家族みんなで食べよう」と思い立ちました。 まず量が足りないので牛乳を足しました。 ここまでは「少し薄めにしよう」と思っていたので自分ではOKなんです。 温まったのでそのまま食卓に出しました。…味付けのことは食べるときまで全く考えませんでした。 (2)配達のアルバイトをしたときのことです 書類をし分けていました。 数箇所の配達先へ決まった部数のチラシを数えていましたが、先輩があまりにも早くて、私はなかなか追いつけません。 そこで、あせった私はチラシを数えずに適当な厚さをつかんで配達先へ送ってしまったのです。 他にも色々あります 人の気持ちもなかなか理解できません。 表情や、返答からはそれなりに理解できますが、表に出ない部分を慮ることはできません。 そんなわけで子供のころは「この人はどこまで言ったら(やったら)怒るんだろう」と相手が嫌がるそぶりを見せるまでずっとひどいことをしていたような気がします。 …今思えば全く不思議な行動ですが、その当時は真剣そのものでした 思慮が足りない、と言う言葉とは違うような気がします

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