江戸仕草についての疑問

このQ&Aのポイント
  • 江戸仕草に関する八代目林家正蔵の言葉に疑問を感じています。
  • このマナーは本当に江戸時代から伝わるものなのか、それとも正蔵師匠が勝手に作ったルールなのか知りたいです。
  • 挨拶をしないことに違和感を感じているので、御存じの方に教えていただきたいです。
回答を見る
  • ベストアンサー

コレっていわゆる「江戸仕草」?

マルチポストになるのですが、答えていただける方がいるかどうか不安なので、2か所で質問させていただきます。 噺家の八代目林家正蔵(彦六の正蔵)に関する文章を読んでいて、気が付いたことです。 八代目正蔵は「飲食店では、知り人にあっても挨拶をしたり声をかけたりしてはいけない」ということをしばしば弟子や知人に語っていたそうです。 「最後の江戸っ子」とまで言われた正蔵師匠のことですから、最初僕は、これを江戸時代から伝わるマナー、いわゆる「江戸仕草」の一種だろうと解釈しました。 ところが、いざこれを実践しようとなると、やはり「挨拶をしないことへの抵抗感」があって、違和感を感じざるを得ません。 これは果たして本寸法のマナーなのか、それとも正蔵師匠が勝手に決めていたルールなのか。御存じの方、教えてください。

  • 落語
  • 回答数2
  • ありがとう数4

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.2

おそらく、まず、江戸時代と今とでは「飲食店」のありかたがまったく違う、ということを考えなくてはならないでしょう。 江戸時代の飲食店と言えば、本格的なのは「料理茶屋」、少しカジュアルなので「そば屋」「うなぎ屋」になりますが、 どちらも、いい店は基本的に2階などの「座敷」で食するもので、つまり個室が前提でした。 そば屋や、飲み屋などの安い店になると、手前の土間は今の飲食店のような感じで、 店の奥の大座敷を屏風やついたてで区切ってあり、そこが一応「個室」的に使えるのですが、 ここでも、相互不干渉が暗黙のマナーであったことは間違いありません。 また、当時は、これらの「座敷」は、食事の場であるとともに、種々の会合の場でもあったので、 誰が誰と食事をしているか、覗き込むのは非常に無作法なことであったでしょう。 「家族や仲間内でちょっとおいしいもの食べたい」となったときは、今はレストランなどに行きますが、 当時は仕出し料理屋からデリバリーを頼んで家で宴会、という方法が、むしろ一般的でした。 外で食事をするのは、食事が目的ではなく、人を合うのが目的なことが多かったのです。 以上の「江戸時代の外食」のイメージで現代の飲食店を見れば、 昔で言えば、土間しかないような安い飲み屋にあたるような店しかない、ずいぶん安っぽい手軽な時代になったものだなあ、と思うでしょう。 それでも昔の感覚を大事にするなら、 「飲食店で人に会っても他人のフリ」 となるだろうと思います。 今の飲食店は、店によってはむしろ社交の場でありましょうから、誰かに会って声をかけないと失礼になりかねないのは間違いありません。 「飲食店」に求められているものがそもその違う、思えば混乱しないのではないでしょうか。 これとは別に、 これは江戸時代の役者さんのエピソードですが、 当時はテイクアウトができるおそうざい系の屋台が非常に多かったのですが、 誰かに見られるかと思うと、ここに並んで買うのに非常に抵抗がある。 どうしても食べたかったので、ヒトが少ないときにさっと買った。 他の人々は、買ったその場で美味そうに食べているが、自分はどうしてもそれができず、持って帰って家で食べた。 このかたは大人気というほどでもない、中堅の役者さんだったのですが、 やはりヒトに顔を知られる商売をしていると、日ごろの振る舞いであっても少しでも行儀の悪いことはしにくいのだ、というようなエピソードです。 顔の広い噺家さんであれば、飲食店で誰かに会うのもちょっとイヤなものであったのかもしれません。 交友関係も有名人や、社会的地位の高いひとも多かったでしょう。 自分が嫌だから、ひとにもやらない。という理由もあったかもしれません。

orkney
質問者

お礼

なるほど! プライバシー尊重の思想ですね。 たしかに自分の懐具合を覗きこまれているという風に考えると、ちょっと気味も悪いです。 早速のご回答、ありがとうございました。

その他の回答 (1)

noname#180427
noname#180427
回答No.1

こんにちは。 面白い質問ですね。 同時に面倒な質問でもあります。 簡潔に・・・ 先代の正蔵さん、彦六さんですね、 私はその文章を読んでおりません、ただおそらく、 あなたの解釈のとおりなのでしょうね。 江戸時代から伝わるマナー、伝わっているかは知りません。 でも「江戸仕草」の一種・・・おっしゃるとおりでしょう。 飲食店で知り合いに、挨拶をする・・・ これは、人様の懐を覗くことですものね。 お金などと言うものはあるように見える人ほどないものです。 人様に恥をかかせるようなことをしてはいけない・・・。 彦六さんは、お弟子さんにそう言いたかったのでしょうか。 「挨拶をしないことへの抵抗感がある」 これは私も良くわかることです。 おそらく私もその場にいれば同じだと思います。 あなたも私も、現代人と言われる我々は失くしたものが、 実に多いように思います。 人への、おもいやり、あるいは優しさのようなものでしょうか?! あなたが「江戸仕草」を言われる・・・。 正直、私は感心してしまいました。 「本寸法」、面白いおっしゃりようです。 彦六さんが勝手に決めたルールなのか? あるいは本寸法のマナーなのか? 私はわかりません。 でも、そこに相手に対する気配りと優しさがあれば、 いつだって本寸法のマナーのように思いますが・・・。 回答になりましたでしょうか・・・。

orkney
質問者

お礼

ありがとうございます。 飲食店での立居振舞いに関して、改めて考えさせられました。

関連するQ&A

  • コレっていわゆる「江戸仕草」?

    どこにポストしていいのかわからないので、まことに失礼ながら2カ所のトピで質問させていただきます。 噺家の八代目林家正蔵(彦六の正蔵)に関する文章を読んでいて、気が付いたことです。 八代目正蔵は「飲食店では、知り人にあっても挨拶をしたり声をかけたりしてはいけない」ということをしばしば弟子や知人に語っていたそうです。 「最後の江戸っ子」とまで言われた正蔵師匠のことですから、最初僕は、これを江戸時代から伝わるマナー、いわゆる「江戸仕草」の一種だろうと解釈しました。 ところが、いざこれを実践しようとなると、やはり「挨拶をしないことへの抵抗感」があって、違和感を感じざるを得ません。 これは果たして本寸法のマナーなのか、それとも正蔵師匠が勝手に決めていたルールなのか。御存じの方、教えてください。

  • 名跡の貸し借りについて

    当代林家正蔵師匠(元こぶ平)の父は先代三平師匠で祖父は先々代正蔵師匠です 先代正蔵師匠(弟子に木久扇師匠孫弟子に小朝師匠や彦いち師匠きく姫師匠等)は弟弟子の先代柳家小さん師匠との襲名争いに破れ、弟弟子より名跡が小さいのは嫌だと海老名家から名前を借り襲名したと聞きました だから、先代三平師匠が死去した折には名前を返し、彦六と名乗ったと聞きました 又歌舞伎は世襲で名跡は継がれますが 落語家は子息が落語家で無い場合でも名跡は遺族が預かるものなんでしょうか? 数年前に起こった圓生襲名問題も先代圓楽師匠と圓生師匠の遺族そして落語協会側の弟弟子(圓窓師匠圓丈師匠)の話し合いが食い違い起こったと聞きました この辺りの事を教えて戴きたいと思います

  • 落語について

     江戸落語の勉強で、一つの噺が弟子と師匠ではどう違うものか、最低三代くらい読み(聞き)比べたいと思っています。しかし同じ名前でも師弟関係でなかったり、弟子が多すぎたり、違う落語家に師事していたり…もう関係が入り組んでいて全然わかりません。  上方落語で言う桂春團治みたいに、直系で初代、二代、三代と(四代、五代、六代でも)ポンポンポンっと分かりやすく続いてきている噺家さんをどなたかご存知ありませんか? 落語家事典とか落語家名鑑を調べれば載っているのでしょうか??

  • 落語家の留め名について

    江戸では古今亭志ん生 柳家小さん 桂文治 三遊亭圓生 林家正蔵 上方では 桂文枝 笑福亭松鶴 林家染丸等が落語家の一門の留め名とされております 桂文楽 立川談志 三遊亭圓楽 柳家小三治等は若手真打ち格の芸名だったのが文楽は8代目等が名跡を大きくしたので 大名跡になったのですね 芸名の継承は一門の系統が重んじられますが、 名跡が空いていれば別系統からも襲名されるのですね 例えば 今の橘家圓蔵師匠は先代橘家圓蔵が師匠で先代桂文楽が大師匠です 橘家圓蔵と云う名は三遊亭圓生系統の方が名乗る芸名で先代圓生師匠が圓生の前に名乗っていたと聞きました なぜ三遊亭でない方に受け継がれているのでしょうか この辺りのことを教えて戴きたいと思います

  • 江戸っ子・東京人の優れた行動様式と言えば?

    東京が大好きな20代の者です。 「江戸しぐさ」という言葉があります。 今や純粋な江戸っ子は減りましたが、 現代の東京人にも受け継がれている 昔からの優れた行動様式は存在するはずです。 日本の他地域にはない、 東京人ならではの優れたマナーや、 公共の場での他人への気遣いと言えば、 どんなものが思い浮かびますか?

  • 歌舞伎役者の名跡と屋号について

    教えてください。 芝居噺を聞いていたとき、歌舞伎役者さんの屋号について気になったことがあります。 江戸時代の名優中村仲蔵(秀鶴)は、林家正蔵(後の彦六)の『中村仲蔵』で聞いた時は”栄屋”と言っています。 しかし、『淀五郎』では志ん生だけでなく、正蔵も仲蔵のことを”舞鶴屋”と言っています。 『中村仲蔵』の仲蔵は初代で『淀五郎』の仲蔵は三代目だという話を聞きましたが、このように代が違えば同じ名跡でも屋号が違うというのは普通にあることなのでしょうか?

  • サラリーマンは江戸時代の小作農と同じか? 派遣社員は江戸時代のエタヒニ

    サラリーマンは江戸時代の小作農と同じか? 派遣社員は江戸時代のエタヒニンと同じか? 知り合いの人と、社会の仕組みについて話をしていたときに 「サラリーマンなんてのは所詮、江戸時代の小作農と同じだ。  自らは生産手段(田畑)をもてず、地主(使用者)に好きなだけ搾取されている。  徳川家康は  百姓は生かさぬように、殺さぬように  と言ったらしいが、あきれるほど感心する名言だ。  300年後のわれわれも  サラリーマンは生かさぬように、殺さぬように  存在させられている。  300年前にそれを実践していたのだから、会社経営者が家康の本(歴史小説など)をこぞって読む理由がわかる。  小泉首相の【派遣社員規制の緩和】によって作られた大量の非正規社員は現代におけるエタ・非人だ。士農工商の”農工商”の連中に  上見て暮らすな、下見て暮らせ  と、一種の優越感と一種の恐怖心を持たせるために作られた新階級と同じ役割をさせられているのだ」 といっていました。  私は 「なんとなく言いたいことはわかるが、江戸時代と現代日本では人権のあり方も違うし、職業選択の自由もある。そこまで同一視することはないのでは?」 と思う一方、彼の意見にも一理あるような気がします。 彼の意見は正しいのでしょうか?

  • 江戸しぐさが・・・

    最近すごい気になってたんですが・・・ このごろ「江戸しぐさ」という言葉をよく聞くようになりました。 そこでお聞きしたいんですが、なぜ最近になって「江戸しぐさ」が取り上げられるようになったんでしょうか? 自分なりに江戸しぐさを調べたんですが、江戸時代の方達はマナーがとてもよかったように思えますがそういうのも関係あるのでしょうか? よろしくおねがいします。

  • 江戸しぐさ

    江戸しぐさとはどういうものでしょうか? いつからあり、出典などはあるのでしょうか? 賛否についても割れているようですが、なぜそういうことになっているのでしょう。 否定派の意見というのは何を否定している? 存在しなかったというのは無理がある気がするのですが。

  • 「江戸しぐさ」について情報求む

    10年以上前に、雑誌で「江戸しぐさ」というものがあるとだけ聞いて、 それ以来気になっていますが、追加情報がまったくありません。 江戸に生活した人々の、江戸ならではの習慣ということだったと思います。 なにかご存知の方、いらっしゃいますか?