• 締切済み

いじめ・体罰の原点

いまある高校で、部活のキャプテンが部長の教師から体罰を受けて、自殺し、大きな社会問題になっています。私が正月休みに見た昔の映画「人間の条件」第3部、第4部では主人公の民間人の梶(仲代達也が演じる)が満州で招集され、関東軍に入隊しますが、そこでは初等兵が古参兵から強烈ないじめ・私的制裁を受けるシーンがいくつも出てきて、同じく民間人で招集された気の弱い初等兵(田中邦衛演じる小原2等兵)はいじめに耐えられず自殺してしまいます。日本の「いじめ」あるいは教師による体罰などを見ていると、これらの原点は日本軍隊内のいじめ・私的制裁・体罰にあるのではないかと思えるのですが、外国の戦争・軍隊映画で、「人間の条件」に出てくるような古参兵による初等兵のいじめ・私的制裁が出てくる場面はあるのでしょうか?なお、この「人間の条件」を見るにいたったいきさつについては  http://okwave.jp/qa/q7811282.html での私の回答をご覧ください。

  • 洋画
  • 回答数7
  • ありがとう数5

みんなの回答

  • any007
  • ベストアンサー率100% (1/1)
回答No.7

どう考えても、日本で起こっているいじめ問題と、過去の戦時中の軍隊の統制教育とは直接関係ないですよね。 いじめは家庭問題です。 こういう極端な情報掲載は該当する関係者の問題認識を全く違う方向に反らす恐れ、正しく問題解決するための思考を阻止、阻害してしまうのでやってはいけません。 軍隊の統制下での暴力教育は 現代のいじめ問題の解決に絡めて論じられることではありません。 今すぐにやめなさい。 いじめは家庭問題です。

  • shobiz
  • ベストアンサー率0% (0/1)
回答No.6

“日本の「いじめ」あるいは教師による体罰などを見ていると、これらの原点は日本軍隊内のいじめ・私的制裁・体罰にあるのではないかと思える” 目も当てられないような、ひどい事件が目立ちますよね。質問者様の考え、一理あると思います。 ■「いじめ」 人のエゴによるところが大きいと存じます。 優劣、序列、縄張り・・・○○よりも、と比較し上に立ちたいと思うは世の常、人の常かと。 ■体罰 なぜ体罰があるのか? 修正の為か、戒めの為か、人に求めた理想と現実のギャップを埋める為なのか・・・。 ■軍隊 人が人を殺すための技術、精神を仮想訓練の積み重ねによって刷り込む。 究極の暴力、「殺人」を遂行できる人間を量産するために、暴力を持って暴力を教え込む必要性がある。 また、一人でも多くの敵を殺害するために、常人を超える「生存欲求」を植え付けなくてはならない。 考えますと、軍隊は異世界の問題です。 人の死が前提条件として含まれる軍隊は、この問題を考えるにあたっては排除をしていいかと存じます。 「いじめ」「体罰」は、認めたくはないですが、人の自然な形なのかと、それもあっての人なのだと存じます。

  • ucok
  • ベストアンサー率37% (4288/11421)
回答No.5

ネタバレになりますが… ベトナム戦争時代のアメリカ陸軍を舞台にした『フルメタル・ジャケット』には、古参兵による初等兵のいじめ・私的制裁および自殺が登場します。基本的に、古今東西、軍曹といえば鬼軍曹で、アメリカなどの子供向けのマンガにも、軍曹によるしごきが頻繁に登場します。 なお、欧米の新旧の学園を舞台にしたいじめシーンが登場する映画も多数ありますが、ご質問からズレるので、ここでは回答しません。

statecollege
質問者

お礼

・この質問をしてから、体罰がほかの高校・中学でも行われていることが明るみに出たり、日本の(女子)柔道界を揺り動かす大事件に発展したりしましたが、私はどちらかというと、上で述べたことにますます確信をもつようになっています。映画「人間の条件」で描写されたような体罰・私的制裁がみゃくみゃくと現代の日本に引き継がれているような気がしてなりません。 ・「人間の条件」をご覧になっていないなら、ぜひ見てください!(体罰の視点からでなくとも、昭和30年代の日本映画の傑作の一つだと確信するからです。) ・たとえば、アメリカ映画「愛と青春の旅立ち」(↓)などをみても、主人公の青年が海軍士官への訓練期間中にルールを犯し、教官から厳しいお仕置きを受けるシーンがありますが、決して殴られたり、平手打ちの体罰を受けることはありません。   http://www.youtube.com/watch?v=l1Ehz_cAMGc 体罰がテーマの映画ではないと言われると、それまでですが。。。 ・例をあげていただいた映画は機会があればぜひ見て見たいと思っています。

statecollege
質問者

補足

日経新聞2月10日号には上で引用した「春秋」のコラムをさらに敷衍したコラム「日曜に考える」がこの問題を取り上げているので、ちょっと長くなりますが引用してみましょう。江森一郎「体罰の社会史」に基づいてこのコラムはつぎのように書いています。「江戸時代の藩校や寺子屋は総じて体罰には抑制的で、・・・少なくとも近世の日本には教育に暴力を用いることを忌み嫌う文化があった・・・。こうした素地があったせいだろう。明治政府も1879年に教育令で体罰禁止を法制化し、1900年の第3次小学校令では戦後の学校教育令と同じように児童への懲戒権を定めたうえで体罰を禁じた。日本は脱・体罰に関しては欧米よりずっと進歩的だったのである。」「明治の初め、日本にやってきた西洋人はこの国の大人たちが子どもを慈しみ、決してムチで打ったりしないのを驚きの目で見て、多くの記録を残している。」「そんな空気を変質させたのが軍隊だった。軍隊は、とりわけ徴兵制によってさまざまな階層の国民を集める軍隊は、厳しい規律と懲戒を必要とする。世間と隔絶し、閉鎖性が際立っていた旧日本軍ではそれが日常的な私的制裁へと逸脱し、古兵のうっ憤ばらしと相まってゆがみを大きくしいったに違いない。軍隊と共通する性格を持たされた戦前日本の学校にこういう負のエトスが持ち込まれたのは不思議ではない。軍が教育への介入を強めた昭和期に、学校での体罰は常態化する。戦後旧軍は解体され、[このような]世界は根こそぎ消滅した。ところが、学校やスポーツ界にはそれが息づき、いまあらためて体罰・暴力問題が噴出している。背景にあるのはそうした集団や組織に色濃い閉鎖性、排他性、そして同調・横並び圧力にほかならない。いじめやパワ-ハラスメントの発生と土壌は同じである」、と。

回答No.4

「人間の条件」を見ていないので 求める回答とは違うのかもしれませんが いじめ・私的制裁・体罰の線引きが個人の価値観や組織、立ち位置で いとも簡単に指導などの言葉に置きかわる作品なら沢山あると思います 「GIジェーン」1997年米 「ア・フューグッド・メン」1992年米  など 暴力が肯定される背景がわかりやすく描かれています 今回の事件を受けて「ビンタ30~40回は体罰」といった偉い人がいますけど 回数の問題じゃなくて「ビンタ」を「指導」ととらえている事が問題とは言わないんですよね

statecollege
質問者

お礼

・この質問をしてから、体罰がほかの高校・中学でも行われていることが明るみに出たり、日本の(女子)柔道界を揺り動かす大事件に発展したりしましたが、私はどちらかというと、上で述べたことにますます確信をもつようになっています。 ・「人間の条件」をご覧になっていないなら、ぜひ見てください!(体罰の視点からでなくとも、昭和30年代の日本映画の傑作の一つだと確信するからです。) ・たとえば、アメリカ映画「愛と青春の旅立ち」(↓)などをみても、主人公の青年が海軍士官への訓練期間中にルールを犯し、教官から厳しいお仕置きを受けるシーンがありますが、決して殴られたり、平手打ちの体罰を受けることはありません。   http://www.youtube.com/watch?v=l1Ehz_cAMGc ・例をあげていただいた映画は機会があればぜひ見て見たいと思っています。

statecollege
質問者

補足

日経新聞2月10日号には上で引用した「春秋」のコラムをさらに敷衍したコラム「日曜に考える」がこの問題を取り上げているので、ちょっと長くなりますが引用してみましょう。江森一郎「体罰の社会史」に基づいてこのコラムはつぎのように書いています。「江戸時代の藩校や寺子屋は総じて体罰には抑制的で、・・・少なくとも近世の日本には教育に暴力を用いることを忌み嫌う文化があった・・・。こうした素地があったせいだろう。明治政府も1879年に教育令で体罰禁止を法制化し、1900年の第3次小学校令では戦後の学校教育令と同じように児童への懲戒権を定めたうえで体罰を禁じた。日本は脱・体罰に関しては欧米よりずっと進歩的だったのである。」「明治の初め、日本にやってきた西洋人はこの国の大人たちが子どもを慈しみ、決してムチで打ったりしないのを驚きの目で見て、多くの記録を残している。」「そんな空気を変質させたのが軍隊だった。軍隊は、とりわけ徴兵制によってさまざまな階層の国民を集める軍隊は、厳しい規律と懲戒を必要とする。世間と隔絶し、閉鎖性が際立っていた旧日本軍ではそれが日常的な私的制裁へと逸脱し、古兵のうっ憤ばらしと相まってゆがみを大きくしいったに違いない。軍隊と共通する性格を持たされた戦前日本の学校にこういう負のエトスが持ち込まれたのは不思議ではない。軍が教育への介入を強めた昭和期に、学校での体罰は常態化する。戦後旧軍は解体され、[このような]世界は根こそぎ消滅した。ところが、学校やスポーツ界にはそれが息づき、いまあらためて体罰・暴力問題が噴出している。背景にあるのはそうした集団や組織に色濃い閉鎖性、排他性、そして同調・横並び圧力にほかならない。いじめやパワ-ハラスメントの発生と土壌は同じである」、と。

  • uyuyuyw
  • ベストアンサー率5% (3/53)
回答No.3

暴力は中毒性や慢性化、また快感も起きてきます  いじめは人間のやる行為ではないという原点を知っておく必要があります

statecollege
質問者

お礼

日経新聞2月10日号には上で引用した「春秋」のコラムをさらに敷衍したコラム「日曜に考える」がこの問題を取り上げているので、ちょっと長くなりますが引用してみましょう。江森一郎「体罰の社会史」に基づいてこのコラムはつぎのように書いています。「江戸時代の藩校や寺子屋は総じて体罰には抑制的で、・・・少なくとも近世の日本には教育に暴力を用いることを忌み嫌う文化があった・・・。こうした素地があったせいだろう。明治政府も1879年に教育令で体罰禁止を法制化し、1900年の第3次小学校令では戦後の学校教育令と同じように児童への懲戒権を定めたうえで体罰を禁じた。日本は脱・体罰に関しては欧米よりずっと進歩的だったのである。」「明治の初め、日本にやってきた西洋人はこの国の大人たちが子どもを慈しみ、決してムチで打ったりしないのを驚きの目で見て、多くの記録を残している。」「そんな空気を変質させたのが軍隊だった。軍隊は、とりわけ徴兵制によってさまざまな階層の国民を集める軍隊は、厳しい規律と懲戒を必要とする。世間と隔絶し、閉鎖性が際立っていた旧日本軍ではそれが日常的な私的制裁へと逸脱し、古兵のうっ憤ばらしと相まってゆがみを大きくしいったに違いない。軍隊と共通する性格を持たされた戦前日本の学校にこういう負のエトスが持ち込まれたのは不思議ではない。軍が教育への介入を強めた昭和期に、学校での体罰は常態化する。戦後旧軍は解体され、[このような]世界は根こそぎ消滅した。ところが、学校やスポーツ界にはそれが息づき、いまあらためて体罰・暴力問題が噴出している。背景にあるのはそうした集団や組織に色濃い閉鎖性、排他性、そして同調・横並び圧力にほかならない。いじめやパワ-ハラスメントの発生と土壌は同じである」、と。

statecollege
質問者

補足

弱い者を「いじめる」というのは人間の本能で、どの社会にもある人類の普遍的現象で、別に日本に特有の現象ではない、と言う意見もあるようですが、それはそれで正しいでしょう。しかし、その普遍的現象がどのように表れるかは社会・文化によってずいぶんと違います。現代日本の「いじめ」や「体罰」に通ずる原点(あるいは原点という言葉がおかしければ、「伝統」)は戦前の日本の軍隊の組織のありかたに遡れるのではないかというのが質問の趣旨です。この質問をしてから私と同じように考える見方が日本経済新聞1月11日のコラム「春秋」に現れたので、ちょっと長くなりますが、引用してみましょう。「むかし、軍隊では一般社会のことを「地方」と呼んでいた。軍に関係のない世間の人々は「地方人」、世間の人々の言葉は「地方語」である。軍隊こそが日本の中心だといわんばかりの尊大な物言いなのだ。旧軍の閉鎖性、密室性、排他性をいみじくもあらわしている。「地方」と切り離された空間では私的制裁やいじめがまかりと通った。30人ほどが起居をともにする陸軍内務班で、古兵が新兵に加えるリンチはときに凄惨を極めたという。かつてわれらの父の世代が戦争を語るとき、そんな体験をよく口にしていたのを思い出す。営門の外に広がる「地方」を夢のように遠く感じたそうだ。大阪の市立高校で、バスケットボール部顧問の教諭から体罰を受けていた男子生徒が命を絶った。顧問の行為は「つい手を上げて...」の域などはるかに超えた虐待であり犯罪だ。生徒が自殺する前日も試合でのミスを叱責し、30-40回殴ったらしい。旧軍のリンチもかくや、と思わせる無法者をどうして教育者と呼べる。・・・」こういう旧軍の伝統(あるいはそれを許した社会のあり方)が、教師の体罰、先輩の後輩へのいじめとなって現在の社会に引き継がれているのではないか、といっているのです。これらが日本特有の現象でないとしたら、上のコラムに描かれたのと同様にの、軍内部の実情が描かれている外国映画を見たことがあるでしょうか、あったらご指摘くださいと尋ねているのです(ここは「洋画」についての質問の場所です!)

  • rokometto
  • ベストアンサー率14% (853/5988)
回答No.2

人間は集団になると必ず仲間外れを探し攻撃します。 これは本能的、生理的なものです。 それをいかに倫理や知識で乗り越えるか、が問われるわけです。 体罰については指導死という言葉を検索してみるといいですよ。 まあ今の教師や保育士、幼稚園教諭を目指す学生の過半数が体罰が必要と言ってますけどね。 同じく学び中の私から言えば手を出さずにいかに導けるか、だからこそのプロです。 教育や指導に手を出すというのはもともと入ってません。 逆にいえば家庭でやるべきことを学校に押し付け、倫理も道徳も常識もない保護者が増えてるのが実態です。 厚労省はそういう方針であり、現場の学校などは厚労省と家庭から上下に突き上げられて窒息寸前に追い詰められています。

statecollege
質問者

お礼

日経新聞2月10日号には上で引用した「春秋」のコラムをさらに敷衍したコラム「日曜に考える」がこの問題を取り上げているので、ちょっと長くなりますが引用してみましょう。江森一郎「体罰の社会史」に基づいてこのコラムはつぎのように書いています。「江戸時代の藩校や寺子屋は総じて体罰には抑制的で、・・・少なくとも近世の日本には教育に暴力を用いることを忌み嫌う文化があった・・・。こうした素地があったせいだろう。明治政府も1879年に教育令で体罰禁止を法制化し、1900年の第3次小学校令では戦後の学校教育令と同じように児童への懲戒権を定めたうえで体罰を禁じた。日本は脱・体罰に関しては欧米よりずっと進歩的だったのである。」「明治の初め、日本にやってきた西洋人はこの国の大人たちが子どもを慈しみ、決してムチで打ったりしないのを驚きの目で見て、多くの記録を残している。」「そんな空気を変質させたのが軍隊だった。軍隊は、とりわけ徴兵制によってさまざまな階層の国民を集める軍隊は、厳しい規律と懲戒を必要とする。世間と隔絶し、閉鎖性が際立っていた旧日本軍ではそれが日常的な私的制裁へと逸脱し、古兵のうっ憤ばらしと相まってゆがみを大きくしいったに違いない。軍隊と共通する性格を持たされた戦前日本の学校にこういう負のエトスが持ち込まれたのは不思議ではない。軍が教育への介入を強めた昭和期に、学校での体罰は常態化する。戦後旧軍は解体され、[このような]世界は根こそぎ消滅した。ところが、学校やスポーツ界にはそれが息づき、いまあらためて体罰・暴力問題が噴出している。背景にあるのはそうした集団や組織に色濃い閉鎖性、排他性、そして同調・横並び圧力にほかならない。いじめやパワ-ハラスメントの発生と土壌は同じである」、と。

statecollege
質問者

補足

弱い者を「いじめる」というのは人間の本能で、どの社会にもある人類の普遍的現象で、別に日本に特有の現象ではない、と言う意見もあるようですが、それはそれで正しいでしょう。しかし、その普遍的現象がどのように表れるかは社会・文化によってずいぶんと違います。現代日本の「いじめ」や「体罰」に通ずる原点(あるいは原点という言葉がおかしければ、「伝統」)は戦前の日本の軍隊の組織のありかたに遡れるのではないかというのが質問の趣旨です。この質問をしてから私と同じように考える見方が日本経済新聞1月11日のコラム「春秋」に現れたので、ちょっと長くなりますが、引用してみましょう。「むかし、軍隊では一般社会のことを「地方」と呼んでいた。軍に関係のない世間の人々は「地方人」、世間の人々の言葉は「地方語」である。軍隊こそが日本の中心だといわんばかりの尊大な物言いなのだ。旧軍の閉鎖性、密室性、排他性をいみじくもあらわしている。「地方」と切り離された空間では私的制裁やいじめがまかりと通った。30人ほどが起居をともにする陸軍内務班で、古兵が新兵に加えるリンチはときに凄惨を極めたという。かつてわれらの父の世代が戦争を語るとき、そんな体験をよく口にしていたのを思い出す。営門の外に広がる「地方」を夢のように遠く感じたそうだ。大阪の市立高校で、バスケットボール部顧問の教諭から体罰を受けていた男子生徒が命を絶った。顧問の行為は「つい手を上げて...」の域などはるかに超えた虐待であり犯罪だ。生徒が自殺する前日も試合でのミスを叱責し、30-40回殴ったらしい。旧軍のリンチもかくや、と思わせる無法者をどうして教育者と呼べる。・・・」こういう旧軍の伝統(あるいはそれを許した社会のあり方)が、教師の体罰、先輩の後輩へのいじめとなって現在の社会に引き継がれているのではないか、といっているのです。これらが日本特有の現象でないとしたら、上のコラムに描かれたのと同様にの、軍内部の実情が描かれている外国映画を見たことがあるでしょうか、あったらご指摘くださいと尋ねているのです(ここは「洋画」についての質問の場所です!)

  • poppey
  • ベストアンサー率26% (8/30)
回答No.1

そんな映画を観ていないのであれですが、 「いじめ・体罰の原点」と、言うよりは、 「教師等による生徒等のいじめ・体罰の原点」って、感じの話ですよね。 江戸時代やそれ以前にいじめが無かったと言えますか? たとえば「忠臣蔵」もしくは「赤穂浪士」等の話で赤穂藩藩主の浅野内匠頭が、殿中にて、 高家、吉良上野介に対して、刀を抜き切りつけたことが問題になり切腹することになりますが、 浅野内匠頭が切りつけた理由が、吉良上野介の陰湿な嫌がらせやいじめだったと言われています。 体罰にしても、武家社会では体罰など当たり前でしょうし。 「いじめ」の原点を辿ることなど出来ません。 人間の根本とも言えるものです。 そしてはっきり言って無くなることなどありえません。 (幼少時から、理性が感情などを完全に抑えられる人間に全員がなれれば別ですが。) 今回に関しては、いじめの典型的なもの、権力を持つ者が弱い者をいじめる、 「教師が生徒をいじめる」体制が出来上がったのは、その映画の様に日本軍からかもしれませんが、 そのいじめすら、また過去に遡ればまだあるはずです。

statecollege
質問者

お礼

日経新聞2月10日号には上で引用した「春秋」のコラムをさらに敷衍したコラム「日曜に考える」がこの問題を取り上げているので、ちょっと長くなりますが引用してみましょう。江森一郎「体罰の社会史」に基づいてこのコラムはつぎのように書いています。「江戸時代の藩校や寺子屋は総じて体罰には抑制的で、・・・少なくとも近世の日本には教育に暴力を用いることを忌み嫌う文化があった・・・。こうした素地があったせいだろう。明治政府も1879年に教育令で体罰禁止を法制化し、1900年の第3次小学校令では戦後の学校教育令と同じように児童への懲戒権を定めたうえで体罰を禁じた。日本は脱・体罰に関しては欧米よりずっと進歩的だったのである。」「明治の初め、日本にやってきた西洋人はこの国の大人たちが子どもを慈しみ、決してムチで打ったりしないのを驚きの目で見て、多くの記録を残している。」「そんな空気を変質させたのが軍隊だった。軍隊は、とりわけ徴兵制によってさまざまな階層の国民を集める軍隊は、厳しい規律と懲戒を必要とする。世間と隔絶し、閉鎖性が際立っていた旧日本軍ではそれが日常的な私的制裁へと逸脱し、古兵のうっ憤ばらしと相まってゆがみを大きくしいったに違いない。軍隊と共通する性格を持たされた戦前日本の学校にこういう負のエトスが持ち込まれたのは不思議ではない。軍が教育への介入を強めた昭和期に、学校での体罰は常態化する。戦後旧軍は解体され、[このような]世界は根こそぎ消滅した。ところが、学校やスポーツ界にはそれが息づき、いまあらためて体罰・暴力問題が噴出している。背景にあるのはそうした集団や組織に色濃い閉鎖性、排他性、そして同調・横並び圧力にほかならない。いじめやパワ-ハラスメントの発生と土壌は同じである」、と。

statecollege
質問者

補足

弱い者を「いじめる」というのは人間の本能で、どの社会にもある人類の普遍的現象で、別に日本に特有の現象ではない、と言う意見もあるようですが、それはそれで正しいでしょう。しかし、その普遍的現象がどのように表れるかは社会・文化によってずいぶんと違います。現代日本の「いじめ」や「体罰」に通ずる原点(あるいは原点という言葉がおかしければ、「伝統」)は戦前の日本の軍隊の組織のありかたに遡れるのではないかというのが質問の趣旨です。この質問をしてから私と同じように考える見方が日本経済新聞1月11日のコラム「春秋」に現れたので、ちょっと長くなりますが、引用してみましょう。「むかし、軍隊では一般社会のことを「地方」と呼んでいた。軍に関係のない世間の人々は「地方人」、世間の人々の言葉は「地方語」である。軍隊こそが日本の中心だといわんばかりの尊大な物言いなのだ。旧軍の閉鎖性、密室性、排他性をいみじくもあらわしている。「地方」と切り離された空間では私的制裁やいじめがまかりと通った。30人ほどが起居をともにする陸軍内務班で、古兵が新兵に加えるリンチはときに凄惨を極めたという。かつてわれらの父の世代が戦争を語るとき、そんな体験をよく口にしていたのを思い出す。営門の外に広がる「地方」を夢のように遠く感じたそうだ。大阪の市立高校で、バスケットボール部顧問の教諭から体罰を受けていた男子生徒が命を絶った。顧問の行為は「つい手を上げて...」の域などはるかに超えた虐待であり犯罪だ。生徒が自殺する前日も試合でのミスを叱責し、30-40回殴ったらしい。旧軍のリンチもかくや、と思わせる無法者をどうして教育者と呼べる。・・・」こういう旧軍の伝統(あるいはそれを許した社会のあり方)が、教師の体罰、先輩の後輩へのいじめとなって現在の社会に引き継がれているのではないか、といっているのです。これらが日本特有の現象でないとしたら、上のコラムに描かれたのと同様にの、軍内部の実情が描かれている外国映画を見たことがあるでしょうか、あったらご指摘くださいと尋ねているのです(ここは「洋画」についての質問の場所です!)お礼入力 クリックしてお礼を入力してください。 お礼入力cancel あと文字入力できます。確認する ベストアンサーにする

関連するQ&A

  • いじめ、体罰で自殺した。

    いじめ、体罰で自殺した。 ↓ 両親が加害者に7600万円の慰謝料を請求。 なぜいじめ、体罰から慰謝料に繋がるんですか? もう本人は死んでるのに、なぜ謝罪やクビにしろと要求せずにお金なの? お金が欲しいだけに見えるんだが。 どういう心理なんだろう。 普通は、 いじめ → 謝罪しろと裁判 体罰→クビにするように市に裁判 なら分かるが、 いじめ→慰謝料を裁判 体罰→慰謝料を裁判 そこはお金じゃなくてさ。 もういじめが起こらないように謝罪を要求とかさ、 もう体罰が起こらないように教員をクビにするように要求する裁判とかさ それが普通じゃないの? なぜお金なの? 7600万円貰ってなにすんの? その前にさ その体罰をした教師をクビにしようよ。裁判で訴えて。 なぜ慰謝料を要求するのか教えて欲しい。

  • 体罰について

    20代半ば男性です。ゆとり教育といわれ育ちました。 体罰について皆さんはどう思いますか。 今話題になっている、大阪市の自殺問題。 これはやりすぎでしょう。明らかに。 しかし、これを機に次々と体罰が摘発されています。 柔道関連の体罰やハゲといわれ体罰を行った教師。 これらは体罰ですが、アスリートの世界と言うのは厳しい上下関係があり、監督の存在は鬼。 それぐらいしないと成長しない。 私も高校大学とスポーツをして厳しい上下関係、監督の暴言・暴力を受けてきましたが、 今となっては愛の鞭と真摯に受け止めております。 「そんな考えは古い」と仰る方、大勢いるかと思いますが、 それが今の「ゆとり教育」を作っています。 教師は保護者らからの批判が怖くて生徒を叩けない。 生徒が教師を殴ってももみ消されるケースが多い。 私は今の体罰の規制というのがダメな日本を作っている気がしてなりません。 かといって、大阪の自殺問題に関しては完全なる体罰。当然、体罰を肯定しても限度と言うものがあります。 その許容範囲と範囲外の区別と言うのは非常に難しいと思いますが、それは司法の裁量に一任するも良しだと思います。 立法府が法で規制するには限度があるかと思いますが、ある程度の制約はするべきだと思います。 また、いじめによる自殺に関しては殺人罪と同等の規制を設けるべき。更には少年法も見直すべき。 憲法改正も大事かもしれないが、憲法改正より安易に出来るこれらの一般法改定も検討してほしい。 私は、このゆとり教育が近年増加傾向であるイジメの要因の一つでもあると思います。 天秤にかけるようであれですが、イジメと体罰。 許されないのはどちらですか。 私の結論としては、大阪の体罰による自殺は償う必要があるが、他の柔道や生徒の暴言による体罰は許容範囲。

  • これは体罰やいじめと言えますか?超長文 暇なときにでも

    これは体罰やいじめと言えますか?超長文 暇なときにでも こんにちは質問させて頂きます。 もう10年以上前の中学時代の話なんですが、当時私は部活の顧問の先生に酷く嫌われていました。 嫌われていた理由は、その先生は熱血体育教師という感じの人だったのですが「努力、根性、熱血」という言葉がこの世で一番美しいと考えてる人で、結果よりもその過程を重視する人でした。 しかし私は人に努力をあまり見せなかったので(見せないというより、わざわざ努力をアピールする必要ないと考えていました)努力をしてないと勘違いして嫌われました。 さらに悪いことに、自慢話のようになってしまいますが、成績は常に学年で一桁、部活では全国大会出場、習い事でやってた空手でも全国大会優勝、生徒会役員という感じで、努力もしないで結果ばっかり出しやがって!許せん!!という感じだったのです。(実際にはそれに見合う程度のことはやってました) 大体月二回ほど、放課後個室に呼び出され、努力をしないお前が気に入らないとか、努力しないで何で結果が出せるんだとか嫌味をいわれたり、殴られたり蹴られたりしました。 最初は努力のアピールをあまりしたくなかったのですが、あまりにもウザイので自分が普段どの程度のことをやっているのか一日のスケジュールを教えたのですが聞き入れず、 お前がそんなに努力するわけないと更に殴られたりしました。 次第に私は心の中でこの先生を見下すようになりました(言葉にはしませんでしたが) 可哀想な人だ、最低な人間だ、こんな人相手に殴り返したりしたら、自分もその最低なレベルまで落ちてしまうと考え、殴りたければ勝手に殴れば?という感じで一切抵抗しませんでした。 自分の方が精神的に大人だと考えていたので、他の先生や両親に助けを求めようとも思いませんでした。 子供が絡んでくるけど、大人として適当にあしらっておこうぐらいの気持ちでした。 そのうち、その先生が数名の生徒に指示を出して、私を殴ったり、持ち物を隠したり、落書きをするようになりました。 しかし同じ理由で一切抵抗しませんでした。ただ靴を隠されたときは帰れないので、隠したやつの靴を履いて帰りましたし、教科書を隠されたり落書きされたときはそいつの教科書を奪って使っていました。 この件に関しても、自分の方が上の立場だと思っていたので、先生や両親に相談しようという気持ちはありませんでしたし、辛いとも思いませんでした。(せいぜいウザイ程度です) 結局卒業するまで続いたのですが、私は体罰を受けているとも、いじめられているとも思っていませんでした。アホが無意味に絡んでくる程度の認識でした。 このように苦痛を与えられている側が体罰やいじめと認識していない場合、それを体罰、いじめと言えるのでしょうか? 先日、ふとしたことから両親に「昔こんなことがあったなあ」と話したら、それは体罰、いじめだろ、周りに相談しろと言われてしまいました。

  • 体罰を日常的に行う人

    大阪桜宮高校のバスケット部の体罰による自殺が問題になっております 悪い事(いじめ等)をしての体罰なら解りますが 組織に於いては 統制をとる 志気を高める 奮起させる と云う名目で肯定されている方がおられます 私の同級生に 父親が「強くなれ鍛える」をモットーに躾された人間がおり 彼は父親に喧嘩で負けると殴られ家に入れて貰えない いじめ等の問題も「俺は鍛えている それで強く育てた だからそれぐらいの事でさわぐな」と彼からの被害にあった子にも言っておりました 彼は逞しく育つ反面大変乱暴に成りました 彼は日常的に家でも体罰を受けておりましたので、部活動で先輩等の酷い体罰には動じず、大人しい同級生や後輩に意味もなく因縁をつけ、暴力や暴言をしておりました 人間としてはどちらが正しいとか間違っているとか申しませんが 体罰が日常の組織の指導者は「普通に任務はこなす 唯絶対服従や他で失礼な事をしてまで特定の所には従えない」人間が一番扱い難いらしいです 上述の彼等は 「強いから従い 鍛えられ 奮起する そして大人しい同級生の暴力暴言も鍛えていると云い 正当化する」 彼の様な感覚なら指導者や組織に取っては問題にならず良かったのでしょうか?私は躾を超えて 鍛える 強くさせるとか云う暴力暴言は嫌いです 唯幼い頃から体罰の日常で育つとそれが当たり前になる方がおります そして組織 指導者もそれが当たり前になり耐えれないのが悪いと云う風潮になります ご回答宜しくお願い致します

  • ニュースよりネットの悪口もいじめになるようですが

    昨日のニュースで体罰だけでなくいじめという定義を幅広くして、掲示板やブログなどに悪口を書くのもいじめに入れるべきということがありました。 自民党の馳浩衆院議員は「いじめも体罰も、やられた側の人間の立場に立って物事を考えるべきだ」とおっしゃっていました。 自民党が議論を始めた「いじめ防止対策基本法案」では、教師による体罰のほか、インターネットの掲示板やブログなどに悪口を書き込むことや仲間はずれもいじめとしています。今後、公明党や野党にも賛同を呼びかけ、今の国会で成立させたい考えです。 という内容です。そこで皆さんにお聞きしたいですが、この件についてどう思いますか? 掲示板やブログなどに悪口を書くのもいじめに入れるべきという考えに賛成か反対かもお願いします。

  • 体罰 血の気の少ない時点で駄目なんでしょうか?

    「テレビタックル」と云うテレビ番組で体罰についての討論会があり  賛成の野々村直通氏と反対の尾木直樹氏の意見がありましたが、  私は悪い事をしたり、口で云っても聞かない場合や立たせる、  走らせる等のペナルティはあっても  良いと思いまし、全面否定  又、明らかに反抗的な態度をとった事も体罰と一括りにするのは問題があると思います。  基本体罰反対の尾木直樹氏も欧米で認められている罰則権的な体罰(殴るとかではなく停学や法的に処分される)法的に限定すればと断片的には云っていたと思います。   尾木氏も野々村氏も子どもを教育し、   社会的存在にすると云う事は一致しているのですが、   尾木氏は血の気が少なく、道徳を守り、普通にやる事をやれば、  そしてそこからはみ出ると法的処分と云うものはあっても良いと  云う考え方だと思いますが、   野々村氏はそれでは強く成れないと云う思いがあるのだと思います。   手の付けられない不良を圧倒的な力で叶わないと思わせる、   そこで初めて枠組みに入るこれはその通りなんですが、   部活動などでは理不尽な事も、この様な形で行う教師がおります   だから体罰が問題に成ったのだと思いますが   偏見で済みませんが、私の同級生で怖い教師の力で枠組みに入り   怖い教師が気合を入れると殴ったり、白でも黒と云えと事も受け容れ   後輩や同級生を苛めるが大荒れに成らずに纏まると云う感じで、   それで鍛えられ強く成り、苛めや喧嘩を行うが怖い教師が居るので纏まり、   忍耐と処世術を身に着けたと云う者がおりましたが、   多分目指すところはこの様な感じなんだと思います   私は非行や校則違反は行いませんでした、   別に暴れてみたいと云う気持ちもありませんでした、   普通の教師でも怖い教師でも基本的な事は聞いておりました、   唯怖い教師が顧問をする部活動の   人間関係等は引いてしまい入りませんでしたが、   これだと軟弱者 鍛えられない 超えられないと   云うのが野々村氏の考えなんですね?   欧米の罰則 放校処分等もあり、学校に於いては   日本の学級崩壊の問題は片づけられているようですが   ドロップアウトした彼らが外で犯罪を犯していることも問題に成っているようです   だから、野々村氏の指導も彼らには合い、   彼らの個性を引き出すのでは良いと思えるのです   唯、私の様な感覚の人間に同じ事を行い、ついていけないと根性が無い 軟弱者と云うの  が問題だと思えるのですが、私は問題は起こさないが使えない軟弱者で   不良少年血の気が多く、怖さで枠組みに入り(そこには愛情もあると思いますが)   怖い人間の理不尽さ(私は思うが彼らは思っていないかもしれません)も受け容れ   鍛えられ強く成る、これが野々村氏等の目指すところなんでしょうか?   ご回答頂ければ幸かと思います。    (学校の問題は戦後民主主義 何でも自由と云うのも一因があると思いますが、     私の同級生で父親が「俺には逆らうな でもお前は強く成れ 男に成れ」と     暴力(体罰)三昧で育った者は、意味もなく暴れ、野々村氏タイプの怖い教師の云う   事は聞き、その辺りの事までは頷ける話もあるのですが、     同級生の父親や怖い教師は自分達に絶対服従し、同級生を適度に苛める事を容認し、     やり過ぎると、厳しく鉄拳制裁をしたりしてましたが、     怖い教師はこの様な生徒が好きで、非道はしていなくても絶対服従は出来ない人間を嫌う傾向にあります )

  • イジメは教師に解決できるのか?

    最近は、いじめを苦にした少年少女の自殺が相次いでおり、学校側の対応が 不十分だったと取りざたされていますが、教師が自分のクラスのイジメの 現状を把握したとして、どんな対応がとれるものなのでしょうか? 私は高校時代、いじめというか、ある種の差別を受けて心を痛めていた 時期がありました。しかし、このことを担任教師に話そうとは思いませんでした。所詮、自分のことをゴミのようにしか見ていないクラスメイトが、今更、自分のことを人間としてみてくれるとは思えず、担任教師にもなす術もないと思ったからです。 いじめでも、陰湿で差別を含むいじめというのは、もはやどんな教師にも 解決する無理だと、高校の三年を必至で我慢して過ごしました。 私は卒業して10年以上たった今でも、気持ちは同じです。 それとも、現場の教師にはいじめを解決する手段を何をお持ちなのでしょうか?

  • 戸塚宏氏の体罰の論理とは?

    戸塚宏氏は体罰は心身を鍛える為に不可欠である それをしないから今軟弱な人間が増えたと云っております 先日、テレビ朝日のテレビタックルで 酷い虐めや悪質な行為をした生徒を止める為に体罰を行使する事までが問題になるのは可笑しいと現役の教師の方が申しており、これは同感でありますし、昔から悪い事をすれば時には体罰があっても良いと云うのが私の認識何ですが、 戸塚宏氏の体罰論はそれとは違う様です チャンネル桜の討論番組で保守的な層の意見 非行少年と桜宮高校の生徒を同一に扱うのは止めませんか と云う意見や 引きこもりにも色んなタイプがいるので一緒に扱うのは無理があるのでは?と云う意見にも お前ら現場知らん癖に色々云うなと一括しておりました 戸塚宏氏の意見を整理すると 1 幼少時から体罰の日常により鍛えろ 問題をおこしていない人間も、桜宮高校の被害者の生徒、もヨットスクールで死亡した生徒や運動部の不祥事の被害者も体罰により鍛えられていないから弱いと云う意見 2 善悪より強いから従うのが良い 戸塚宏氏自身は屈強なコーチ陣の頂点にいるから誰も逆らわず、尊敬されていると云っておりました 3 戸塚宏氏の教育方針なら強くなる事が第一でいじめなども肯定している この辺りの事をご回答戴きたいと思います

  • 戸塚宏校長の躾は闘犬を躾ける様な感覚でしょうか?

     私は、忘れ物をするとペナルティーがあったり(廊下に立つ 走る位)、  酷い苛めや授業妨害等には時には体罰があっても良いとは思うのですが、  その事を踏まえた上で所謂保守と言われる、戸塚宏氏や田母神俊雄氏  (防衛論や経済の事は差し引いて)や野々村直通氏等は  罰則や止む得ない体罰位では強い人間が育たない、  所謂超えられる強い精神(戦時中の軍隊的な)  ものを第一に置いており、それを育成する為に体罰で  鍛えていくというものなのでしょうか?  例えば、尾木直樹氏(尾木ママ)タイプの教師は生ぬるいという意見があります  が、私自身は小中学時代も(1980年頃)  尾木直樹氏の様なタイプの教師も 野々村直通タイプの教師も基本的な事は聞いて おり、野々村氏タイプだと緊張感が入り纏まる事は確かですが、これはおかしい  理不尽で従えない、でも尾木氏タイプの教師にも特に反抗はしないという感じでし た。  が、野々村氏タイプの教師にはまっていた生徒はこの様な教師が「気合いを入れる」「最近たるんどるぞ」と殴っても有難いと受け入れ、超えられる強い精神を身に付けたという事なのでしょうか?(反面大人しい教師に反抗したり、同級生を苛めておりましたが、それが怖い教師がいるので、大荒れにならず枠に囲い込んでいた、ということになるのでしょうか? 軍隊の自治と同じ)  だから、戸塚宏氏の躾は闘犬を躾ける様なもので、普通にいう事を聞く事は  超えられない軟弱者で超えられる強い精神を造る為に体罰 序列は必要で、  その枠組みでは法律に触れない程度の苛めは容認されるということなのでしょう  か?  ご回答お願い致します。

  • こんなんで、いじめって解決できる?

    いじめの問題って解決が難しいですよね。 これは私の意見ではなく、あるところからの引用です。 “いじめの問題は、近年、深刻な問題の1つとなっています。 ひどい場合には、それが原因で自殺をする人もおり、その数は少なくありません。 そんないじめを止めるために私たちが出来ること、それはいじめに対するそれぞれの立場によっても異なりますが、3つあります。 信頼出来る友達をもつこと、 相手の良い所を見付けること、 教師がしっかり相談に乗ること。 まず、信頼出来る友達を持つこと。これはいじめられる側の立場の人が取るべき行動です。 いじめられる人の多くは、寡黙でいつも1人でいる人や、相手のことを考えずに自分勝手に行動する人です。 このような人は、数は少なくてもいいので、とにかく気の合う親友を見付けるべきです。 そうすれば、人と話す機会も増え、1人でいることも少なくなり、相手が親友となればおのずと相手の気持ちを考えるようにもなると思います。 確かに、人と話すのが苦手な人には初めは難しいかもしれませんが、ちょっとした挨拶からでもいいので、人とコミュニケーションを取るように心がけると良いと思います。 次に、相手の良い所を見付けること。 これはいじめの傍観者を含む、いじめている側の立場の人が取るべき行動です。人には誰にも良い所と悪い所が必ずあります。 しかし、いじめというのはその中の悪い所ばかりを取り立ててしまうことにより起きてしまうのです。 そこで、「常に相手の良い所を見付ける目を持つこと。」 こうすることによって相手を価値のある人間と認めることができ、その人をいじめることが、いかに相手にとってそして自分にとって損であるかということに気付けるのです。 互いの良い所を褒め合い、悪い所があれば、それを原因にいじめるのではなく、直すようにアドバイスをしてあげる、言われた側はそれを受け入れる、そうして信頼が深まるのです。 最後に、教師がしっかりと相談に乗ること。 これはあえて「いじめを受けた生徒が教師に相談すること」とは書きません。 というのも、近年、いじめが原因による自殺が増えている理由の1つは、生徒にとって最後の砦であったはずの教師がいじめに対して真剣に向き合ってくれなかったからなのです。 僕の学校の教師がそうだとは思いませんが、事実、世の中にはこういう教師もいるのです。 「自分のクラスにいじめがあると知られてしまったら今後の昇進に響く」とか「自分の学校のいじめが発覚したら学校の評価が下がってしまう」とか思っている教師が。 また、いじめの事実を極力広めたくないためか、いじめた子の親にも何も言わない教師もいるそうです。 「我が子を正しくきちんとしつけたい」と思っている親もたくさんいるのに。 教師は、いじめを唯一公平に解決させることの出来る存在だと思うので、自分のことばかり考えず、しっかりといじめと向かい合うべきだと考えます。 結論として、私たちがいじめを止めるために出来ることは、 いじめられる側の立場の人がもっと社交的になり、友人との交流を通じて思いやりの心を学ぶこと、 いじめる側の立場の人が相手の良い所を見付けたら褒め、悪い所を見付けたら直してあげること、 そして教師が自己防衛に走らずにいじめ問題と真摯に向き合うことなのです。” いじめと言っても、ちょっとした悪ふざけや意地悪のような軽いものから、もう手のつけようのない悪質で陰湿なものまであります。こんな甘いことでいじめは解決できるんでしょうか?