• ベストアンサー

お墓参りは本当に必要?

小さい頃からお墓も近いし、当たり前のこととして墓参りがありました。 父が信仰を持っていたのでよその家より、かなり墓参りをしてきたと思います。 でも、最近キリスト関係のとても、良い人にあってから、墓参りの意味って何かも知らずに、よく生きてこれたなと思います。 そもそも意味意義あるのでしょうか? 教えられたまま、先祖を敬い、合掌していたけど、一体何だったのかと感じ始めたこのごろです。 今更遅いけど、質問させてください。 墓参りに意味ありですか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
noname#184677
noname#184677
回答No.9

日本の土着信仰は先祖崇拝です。災害や病気などの災いや様々な危機や不安に遭遇すると我々の先祖は、神仏に祈ったわけです。本来、神社とお寺は一つのもので(神仏合宗)でしたが、明治政府が管理のためお寺と神社をわけたのです。 先祖崇拝は、仏教が入る前からあり、今でも沖縄には集落の近傍に先祖の墓地を祀り先祖が村の安全を守る役割をしています。 墓参りは自分の身内が亡くなると、とても重要な意味を持ちます。死んだ人に報告したり死んだ人に相談したいことがでてきたら、仏壇に手を合わせるのでなくお墓まで出向いていきたいと思うものです。 3回忌7回忌などは、あきらかにお寺の営業のためにあるのですが、法事があることで故人とのつながりが持てる習慣は大切なことのように思います。 私は、中学生のときに3つ離れた弟を病気で亡くしました。それまでお墓といえば父母の実家のお墓しか知らなかったのが、いきなり弟の墓というものに対面させられました。弟の死は私の人生に計り知れない大きな影響を残しましたが、とにかく自分が極めて宗教的な人間になったことは間違いないです。 キリスト教は神は心の中、もしくは天上にいて見守っていて、先祖なぞ崇拝しても仕方がない。亡くなった人は個別に悼めと教えるのでしょうか。 放牧民族、騎馬民族に「墓地」は意味ないですよね。先祖崇拝は農耕民族に固有の考え方かもしれません。 要は好きかどうか。私は田舎のお寺が好きだし、もう他界した父・母の眠っている寺があって墓があることは、唯一故郷の証しなので、墓参りはし続けます。 ただ、自分が死んだとき、あるいはカミさんが墓参りしやすいためには、自分は弟や父母の墓とは別の場所に埋葬されてもいいかなと思っています。私の子供たちが、10年に一度くらい自分の祖父母や伯父の眠る墓を訪ねてくれたらうれしいですけど。墓を移すのは禁忌らしいのでしません。 わたしの先祖の墓は、父の実家の菩提寺、母の実家の菩提寺に眠っているのですが、よく調べると母の方は途中で血縁が途絶え入り婿・養女の家系だったようです。 とりとめのないことを書き連ねてすみません。男と女でも意識は違いますね。

その他の回答 (21)

回答No.1

信心や信仰は人それぞれ。 私は格家族で生まれ育ち両親の実家はどちらも遠方。 ほとんど墓参りや法要の経験なく育ちました。 でも必要なものだと最近は思いますよ。 両親もまだ健在で参るべき墓がないのは幸せでもありますが。 ご先祖の存在って自分の存在を証明するようなものではありませんか? 自分のルーツは確かにそこにあると信じられることは尊いものです。 たとえば自分の父親や母親が誰なのかも知らずに育った人もいます。 それがどれだけ心許ない寂しいことか考えたことがありますか? 両親がいて、さらにご先祖の存在を身近に感じてこれたこと、感謝に値することだと思いますよ。 「こうして生かされていることに感謝しよう」と素直に思えるのじゃありませんか? あなたの知らない先人の努力の末に自分が存在しているのですから。

関連するQ&A

専門家に質問してみよう