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今の教育の教員にはどちらがふさわしいですか??

cafe-maniaの回答

回答No.4

元教師です。 あえて言うなら「その中間」でしょうか。 PTAの飲み会で、「なるべく家では仕事をしないようにしています」というと 「最近の先生はサラリーマンだな」と保護者に言われたことがあります。 私自身、家にまで「学校モード」を引きずるとキリがなかったですし 一杯いっぱいでいることが決して子どもにもいい影響を与えるとは思えなかったので 切り替えるように心がけていました。 1に関して言えば、教師の仕事には終わりというものがなく 授業でも学級経営でも時間をかけようと思えばいくらでもかけられるものなのです。 なので、休日返上で働くことが美徳のような考え方ではなく、 やるべきことはやった上で、自分の時間(心の休息)をもつのが 一番いいと思います。 2についても何でも手伝っていれば相手のためにはならないですし かといって全く無視することもないと思います。 助言できるところや一部手伝うなどということは日常的だと思います。 極端に偏るのではなくバランスの取れた教師が 続けられるし、認められるのかなと思います。

maemukini7
質問者

お礼

ありがとうございます。前の回答してくださった方の補足・お礼にもいろいろ 書かせて頂きましたのでご意見やお考えなどよろしくおねがいします。

maemukini7
質問者

補足

ありがとうございます。確かに偏ったりせず、バランス感覚大事だと思います。 熱心も大事ですが、人間ですので適度にやすんだり心のゆとりを持ち接したほうが 続けていけるのだと思います。最近では、非正規雇用も多くなり、 非正規雇用の場合は短期で結果を求められるため、 自分のことも余裕がなくかつ、熱心にしないと認められない 仕事も失うというきつい状況での教育ということになります。 逆に正規になるとなまけてしまったり、自分の生活設計が安定しているため 自分を犠牲にしてまで、評価を落としてまで衝突してまで 教育する必要はないというケースもありえます。 教員の数がもっと多ければ、もっと心にゆとりのある教育もでき 子供達のためにもいいと思います。 年輩の方の再雇用もして若者の雇用も多くして伸ばしていけば 戦争時代の年輩の方のすばらしい点を未熟な若者がみならって いけるとおもいます。 再雇用でも、やり遂げたという感じではなくて 指導をして、先生たちにも怒りながら指導するぐらいで 若者を育ててくださるといいのではないかと思ってしまいます。 若者を評価するのではなくて、やる気のある人間性のある若者には 指導をしてほしいと思ってしまいます。社会では上が下を怒るのに 若者はあまり怒られないので、自分はえらいと思ってしまうのでは ないでしょうか。(若者も学びながらどと思いますし、一くくりにできず こういうケースもあるということですし、上記のことは すでにされていらっしゃると思いmこのようなケースもあり こんな考えや意見、提案もあるということです。失礼な言い方ですみません) (懸命にされている先生にいろいろと失礼な言い方をしまして  すみません。このようなケースもあるのではいかと思い  書かせて頂きました。いろいろ勝手なことを書いてすみません) 若くて熱血な場合はやはり問題も多く起こると思います。

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