• ベストアンサー

太政官布…

よく明治に○○の太政官布告が発せられ… というのを聞くのですが 太政官布告とは何でしょうか? また太政官とは誰の事なのでしょうか?

  • 歴史
  • 回答数2
  • ありがとう数2

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
noname#235638
noname#235638
回答No.1

太政官は、総務事務官鈴木一郎→略して鈴木官 の官と違くて、今で言うところの内閣です。 その太政官の長官が太政大臣で、 現代の総理大臣に当たります。 明治期は、三条実美です。 それで布告ですが、最高官庁の太政官が公布した法令です。

azuki-7
質問者

お礼

ありがとうございました わかりました

その他の回答 (1)

  • TANUHACHI
  • ベストアンサー率31% (791/2549)
回答No.2

 こんにちは。「太政官」は「太政官制」に基づいた、政治機構そのものを指す呼称です。 明治維新政府の「太政官システム」は二官六省で構成され、律令期のそれとは少し異なります。律令に基づく太政官制が政治組織としての太政官と宗教祭祀を司る神祇官が並列的関係にあったのに対し、神祇官を太政官の上に位置付ける異様な形態です(王政復古とそれを支えるイデオロギーとしての国家神道に基づく祭政一致)。  太政官制は内閣制度の成立に伴い廃止される形となります。そして「太政官布告」はこうした政治組織からの通達に相当するものであり、現在の内閣告示や通達などの法形式と説明すれば解りやすいかと存じます。

azuki-7
質問者

お礼

ありがとうございました わかりました

関連するQ&A

  • 太政官布告について

     明治7年に出された太政官布告の「服忌令(ふっきれい?ぶつきれい?)」の全文が知りたいのですが、どこかによいサイトはありませんでしょうか?

  • 太政官札の「通用期限は13年間」としたのは。

    Wiki「太政官札」によれば、 「明治政府は戊辰戦争に多額の費用を要し、殖産興業の資金が不足したので、慶応4年5月15日(1868年7月4日)の布告により、通用期限は13年間との期限を決めて太政官札を発行した」とあります。 通用期限を”13年間”としたのはなぜですか。 よろしくお願いいたします。

  • 太政官と太政大臣

    太政官と太政大臣って同じですかね?

  • 「太政官」の「太政」の意味について質問です。

    「太政官」の「太政」の意味について質問です。 「太政官」(だいじょうかん、おおいまつりごとのつかさ)とは、日本の律令制における司法・行政・立法を司る最高国家機関を指すのですが、ここで質問です。 「太政官」の「太政」とは、何の意味から由来しているのでしょうか? ●『太政官 - Wikipedia』↓ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E6%94%BF%E5%AE%98

  • 太政大臣の権限。

    かつて日本には太政大臣があることは知っています。特に朝廷での官職での太政大臣の権限は どれ程あったのでしょうか? 明治維新前後の日本でも太政大臣のポストはありましたが呼び名は『だじょうだいじん』という呼び名です。それも三条と言う公卿が一時的になっただけです。 (1)太政大臣の呼び名が『だいじょうだいじん』という名であった頃の立ち位置どうなんでしょうか? 武家での太政大臣は平清盛、足利義満、豊臣秀吉、徳川家康、徳川秀忠、徳川家斉。 特に徳川秀忠や徳川家斉は本格的に江戸時代になってからと認識してます。 (2)また、豊臣秀吉も太政大臣を頂点とした武家官位制考えてたともありました。本当でしょうか? (3)太政大臣は世襲できますか? (4)太政大臣の引退後の呼び名はどう呼ばれるのでしょうか?征夷大将軍は大御所。関白は太閤など。 (5)太政大臣は関白や摂政と兼任しないと権力の立場が不安定なのか? 5つ質問の回答をお願いします。

  • 太政官三院制について

    太政官三院制はなぜ制定されたのでしょうか?

  • 万歳三唱の要領は定められているの?

    万歳三唱は巷でよく行われていますが、実施の要領については万歳三唱令(太政官布告第168号(明治12年4月1日))により定められていたと聞きました。しかし調べてみましたが、そのような布告は確認できませんでした。この布告の詳細について教えてください。

  • 再び「太政大臣」の読みについて

     このカテゴリーの何番か前の「太政大臣について」の問答を聞いて感じたことですが、今の高校教育では明治の太政大臣は「だじょう」で古い奴は「だいじょう」と読むことになっているようです。  そしてテストでは、この読み方以外は「X」ということになっているようです。  私なんかは高校を卒業して50年近くになりますが、どちらもずうっと「だじょう」だと思っていました。  どのような根拠で高校日本史資料集が両方を峻別したのかわかりません。  明治のは比較的新しいですから、当時「だじょう」と読んでいたのはは間違いのないところだと思います。  昔のやつを「だいじょう」と読まなければならない根拠はどこにあるんでしょうか? もしそれが正しいのならば、明治の役人が制定時「だじょう」と読んだこと自体も誤りのような気がします。  なんだかややこしい話になってきましたが、現在の歴史教育で両方を峻別している根拠を教えてください。 (私としましては、テストで「だじょう」と書いたら「X」では、チョッと気の毒という感じがします。)

  • 太政官札

    太政官札とは、初の全国通用貨幣であるということと習いましたが、 この太政官札が発行されたことの意義はどんなことがあげられますか? 何か検索すると江戸時代の貨幣が存在していたから、その貨幣との兼ね合いで発行されたという感じのことが書かれてあったのですが、 江戸時代の貨幣というのは、金貨であれば両、分、朱ですよね? ちょっといまいちなので教えてください。

  • 太政大臣について

    テスト採点のアウトソーサーの会社で、採点のバイトをしてます。 前にある塾の社会科のテストの採点チェックをしたら、正解が「太政大臣」の問題について、採点基準には、「だいじょうだいじん→〇」と添え書きがありました。そして、答案を見ると、「だいじょうだいじん」は基準どおり〇になっていましたが、「だじょうだいじん」は×になっていました。 「だじょうだいじん」も〇にしなければと思い、管理担当の正社員の方に伝えました。でも、そのままにしてよいと言われました。 「だいじょうだいじん」だけが正しくて、「だじょうだいじん」は間違っているとする理由が分かりません。ひょっとして、今の中学校では、「太政大臣」は「だいじょうだいじん」と読むのが正しくて、「だじょうだいじん」では間違いだと教えているのでしょうか?