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「五月雨の降り残してや光堂」について 沢山お願

奥の細道の 「五月雨の降り残してや光堂」 という部分を、芭蕉は何を思いながら書いたのでしょうか? (できるだけたくさん) 他にも特別な技法とかあったら教えてください。

みんなの回答

  • TANUHACHI
  • ベストアンサー率31% (791/2549)
回答No.5

 夜分遅くに失礼します。昨夜の追記です。 >七宝散うせて、珠の扉風にやぶれ、金の柱霜雪に朽ちて、既頽廃空虚の叢と成るべきを、四面新たに囲て、甍を覆いて風雨を凌。暫千歳の記念とはなれり。  この部分を解釈に含めるならば、平安末の古に立てられた御堂が本当ならば藤原氏の没落によって見る影もない形になっているはずだが、時を隔てた今でも覆い屋に囲まれて往事の栄華を今に伝えるべく佇んでいる。この姿を実際に目の当たりにしてみると、人々が何を守り伝えたいのかとの心情に思いを馳せざるを得ない、との芭蕉の言葉を聴くことも可能でしょう。  頼朝個人からすれば義経は実弟ですが、政治的立場からは追討せよとの宣旨が出されている以上、反逆者として追討せざるをえない。そして彼を庇護した奥州藤原氏も同罪にあたる。こうした板挟みの間で苦悩したやもしれないがそれを表に出すことも叶わない理不尽さ。覆屋を造って御堂を守り続けてきた人々の心の内はそうした頼朝の思いを代弁しているとも感じる。このようないにしえに思いを馳せて、この句を詠んだとも考えられます。  他にも芭蕉には「ふるさとや 臍の緒に泣く 歳の暮れ」などの作品があります。臍の緒は子どもがまだ胎児として母親の胎内にいる時に唯一母体と胎児を結ぶ絆ですが、絆との意味に着目するならば、自分の生まれ故郷を訪ねても既に親兄弟は他界していてこの世にはいないとの寂寥感を醸し出す材料としてうってつけともいえるでしょう。

  • TANUHACHI
  • ベストアンサー率31% (791/2549)
回答No.4

 こんにちは。  俳聖芭蕉には訪ね歩いた各地で思いを馳せて詠んだ数々の作品があり、その一つが『奥の細道』と呼ばれる旅路の紀行に折々の句を綴った作品です。  さて芭蕉は彼の地を訪れた時に二首の句を詠んでいます。その地とは「平泉」です。  「夏草や兵どもが夢の跡」と「五月雨の降り残してや光堂」。夏草やの句は彼の地に三代の栄華を築いた奥州藤原氏と源氏の大将として平氏追討の大役を演じた源義経が終焉を迎えた衣川で詠まれた作品。  「平泉」で二首の句を詠むにあたって芭蕉は次の前置きを書き残しています。少々長い文章ですが引用します。     「三代の栄耀一睡の中にして、大門の跡は一里こなたに有。秀衡が跡は田野に成りて、金鶏山のみ形を残す。先ず高館にのぼれば、北上川南部より流るる大河也。 衣川は和泉が城をめぐりて、高館の下にて大河に落入。康衡が跡等が旧跡は、衣が関を隔て南部口をさし堅め、夷をふせぐとみえたり。偖も義臣すぐつて此城にこもり、功名一時の叢となりぬ。『国破れて山河あり。城春にして草青みたり』と笠打敷て、時のうつるまで泪を落とし侍りぬ。    夏草や 兵どもが 夢の跡   兼ねて耳驚かしたる二堂開帳す。七宝散うせて、珠の扉風にやぶれ、金の柱霜雪に朽ちて、既頽廃空虚の叢と成るべきを、四面新たに囲て、甍を覆いて風雨を凌。暫千歳の記念とはなれり。    五月雨の 降のこしてや 光堂」      この地を芭蕉が訪ねた背景は、西行を抜きにして話すことは困難です。武士であった西行が出家して各地を行脚し多くの和歌を詠みますが、芭蕉もそれに倣っての形ともいえます。西行は奥州藤原氏と遠戚にあり、幾度か平泉を訪れ和歌を残しています。「ききもせず 束稲やまの さくら花 よし野のほか にかかるべしとは」は束稲山の桜の見事さを吉野のそれと比定し、「とりわきて 心もしみて 冴えぞわたる 衣河みにきたるけふしも」は荒天の中を前九年の合戦の舞台となった衣川の古戦場を訪れた時の作です。  かつて栄耀栄華を極めた藤原一族とその庇護を受けた一代の武勇人は歴史の表舞台から去ってしまったが、それを伝える光堂は今もそこに従容として佇んでいる。歴史の流れに比べれば時の狭間に生きる人間の姿は何と空しいものであろうことか、との思いを綴っていると僕は解釈しています。  授業では古文を現代文に訳することで「問題を解決できた」と誤解しがちですが、古典は私たち現代に生きる人間にとっても心の支えとなる部分が多くあります。様々な『古典』を読むことは先人の知恵に触れることのできるかけがえのない機会でもありますので、「言葉を恃んで」いただければと存じます。

  • Pinhole-09
  • ベストアンサー率46% (597/1294)
回答No.3

「夏草や兵どもが夢の跡」と一対ですね。 五月雨は頼朝の奥州藤原氏攻めの兵火を暗示。 兵火を免れよくもまあ残ったものだ。 千載のかたみを見て感慨あらたなるを知った。

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15297/33016)
回答No.2

    五月雨が、まだ完全に降り止んでいないかのように(お堂の屋根が)まだ濡れている、その濡れた反射の光で、いつもと違った霊気を感じる。      と言う可能性も。

  • mapu2006
  • ベストアンサー率31% (145/463)
回答No.1

「絵になる光景だな」