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「正しい日本語」は、何を基準に定義するか

タイトル通りです。 日常的に使われている言葉の意味と本来の意味が食い違っている、あるいは文法的におかしい、という場面がしばしばあります。 例えば、「見れる、食べれる」は間違いで「見られる、食べられる」が正しいとされています。 この場合、辞書に載っている用法が「正しい日本語」とされ、学力試験や国語検定ではこちらが正解とされます。 しかしながら、そもそも辞書の用法が正しいという根拠は何でしょうか? テストの問題文のどこにも、「広辞苑を基準に」などとは書いてありませんよね。 むしろ、社会一般で使われている用法を「正しい」とすべきであり、テストでも社会一般を正解とすべきと考えますが、いかがでしょうか?

noname#189769
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  • 回答No.8

No.4です。すこし補足させてください。 役所の審議会(文化庁の国語審議会など)の使命は、「正しい日本語」についての厳密な基準を決めたり、「これは正しい日本語で、これは正しくない日本語」と単純に判定したりすることではありません。 それは、当の審議会自身が表明しています。例えば平成7年に第20期国語審議会が文部大臣に提出した「新しい時代に応じた国語施策について(審議経過報告)」の「I 言葉遣いに関すること 1 基本的な認識 (2) 言葉遣いの標準の在り方」は次のように述べています。 世論調査等によって問題の実態を把握しつつ,慎重かつ十分に審議を重ねた上で,言葉遣いの理念を示し,具体的な事柄についてはそれぞれ本来の語形・用法,変化の方向性を示すことが国語審議会の責務とも言える。さらに,将来はその見識に基づいて,言葉遣いに関する,強制力のない緩やかな標準を示すことに取り組んでいく必要もあろう。ただし,標準を示すとしても,その性格は,緩やかな目安・よりどころという程度であり,なおかつそれを必要とする人の参考に供することを旨とするにとどまるべきであろう。(引用終わり) また上記の文章には「付 「言葉のゆれ」について」という文章が付加されていて、その中には次の一節があります。 共通語の可能表現において従来の「見られる」に並んで,いわゆる「ら抜き言葉」の「見れる」も使われることは,「見る」の可能表現の「ゆれ」である。ところが,「見られる」を本来の正しい形と見,「見れる」を否定する立場からは,この両形並存の状態は「乱れ」ととらえられる。すなわち,「ゆれ」は客観的な認識,「乱れ」は価値判断を伴った認識ということになる。(引用終わり) これについて平成12年に第22期国語審議会が出した答申(I 言葉遣いに関する基本的な認識)では、次のように述べています、 いわゆる「言葉の乱れ」の中には言語変化にかかわる問題も多く,すべてを一定の規準に照らして価値判断を下すことには問題がある。国語審議会としては,言語の変化を客観的にとらえ,変化の過程で,ある語について新たに生じた別語形が従来の語形と併存する状態については,これを基本的には言葉の「ゆれ」としてとらえた上で,現時点でのより適正な言葉遣いを考えていきたいと考える。(引用終わり) ところで本居宣長の「玉勝間」の中に肥後(熊本)から訪ねてきた客が、当時すでに「見える」「聞こえる」と話していた言葉を「見ゆる」「聞こゆる」と話すのを聞いて、「熊本では一般にそうした昔の雅な言い方をするのか」と聞いたら「熊本でも田舎の方のものは皆そうだが、少しでも改まってものを言うような人の多くは「聞こえる」「見える」と話している」という答えが帰ってきたという一節があります。 付け加えれば現代の熊本でも「聞こゆる」「見ゆる」という言い方は年配の人を中心に根強く残っています。玉勝間が書かれた時代から少なくとも200年以上も動詞の活用形の変化(というか古語から現代語への変化あるいは共通語化)という「言葉のゆれ」が継続中であるともいえると思います。もちろん「見ゆる」「聞こゆる」も古語「見ゆ」「聞こゆ」に由来する「正しい日本語」です。

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質問者からのお礼

詳しい解説、ありがとうございました。 勉強になりました。 審議会などで「正しい日本語」の明確な基準を示すべきとは思いませんし、そもそも不可能だと思います。 回答中にあるように、「言葉遣いの理念を示し,具体的な事柄についてはそれぞれ本来の語形・用法,変化の方向性を示すこと」が大切ですね。

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その他の回答 (9)

  • 回答No.10

 こんにちは。『基準』あるいは『定義』そして『正しい』との言葉に僕は一抹の不安を感じます。少しばかり前の話ですが、この質問サイトに奇妙な質問が寄せられていました。表向きは『広辞苑』は正しい辞書か、とのものでしたが、実際の質問意図は別にあるようで寄せられた回答内容を理解できないのか或いは一方への誘導を暗に求めているのか、ともかくに悉く無意味な反駁を示しているにすぎないものでした(現在でも回答を受付中のようです)。  『言葉の世界』に「文法的に」や「定義」「基準」といった一種の指針を設けてしまった場合に、それが恰も金科玉条の様に絶対的なものであるとの印象を与えてしまいかねず、特にそれが強制力を伴う機関や組織によって行われたならばと考えてしまうと、一層余計に案じてしまいます。  学校文法では未だに「形容動詞」なる胡散臭いものを教えていますが、実質的に形容動詞が文法学の分野で意味を持っているかといえば、それは既に破棄されているも同然です。また「全然」との言葉も、今から100年程昔の夏目漱石の時代には「全然いい」との肯定表現も自然に使われていました。それが現在(それも戦後)になって「全然~ない」と完全否定の形に変化したとの経緯もあります。  時代によって言葉が変化することは既に他の回答者様がご指摘になっていらっしゃいますが、他にも同じ時代でも「階層毎で」言葉の使われ方は異なり、更には地域による違い(方言)もあり、それらを面白可笑しく描いた井上ひさしの作品もあります(『国語元年』)。新たな近代国家として歩み始めた明治維新当時を背景に世界に比肩する近代国家として船出するために「新たな国語」「恥ずかしくない国語」をどの様に創るか、そしてあるべきかとのグラウンドデザインをめぐって右往左往する一人の官僚を通して、「『正しい』にまとわりつく疑わしさ」を描写する作品です。  辞書に記されている「語釈」のほとんどは社会通念として許容されている部分に重なります。特定のイデオロギーに基づいているなどの指摘は全くの的外れといっても過言ではありません。それは一冊の辞書を編纂するには編集委員を選定する必要があり、その編集委員が学界を代表する識者であることと関係し、彼らの大方は世間一般の良識を兼ね備えてもいます。  「人」という言葉一つをとっても、鴨長明や吉田兼好のように冷静で時にはシニカルな観察眼で「人の姿やありようを綴る」近代批評に近い言葉もあれば、アナクロニズムの虜となった本居宣長や賀茂真淵の神の御託宣もあります。もし言葉を一つの定義で括るならば、この様な現象は発生しないことともなります。  言葉が精神的生産の所産であるとするならば、それはあくまでも文章全体、文脈の中で理解されることを求めて使われているものであり、それだけを全体の中から取りだして議論することはその言葉を殺してしまうともいえましょう。  質問の御主旨からはそれてしまいましたが、僕は「正しい」との言葉が水戸黄門の印籠のように一人歩きする危険性を感じ、「一般的に」「ほぼ共通に」使われている、程度の考えが妥当と考えます。墓場から蘇ってきたゾンビの様な元総理大臣がしきりに『美しい~』と叫んでいましたが、この言葉は川端康成氏の『美しい日本の私』や大江健三郎氏の『あいまいな日本の私』に足下にすら及ばない空念仏と同じです。人それぞれによって「言葉に生命を吹き込む」ことが言葉を恃む秘訣です。  もし吉田兼好が現在に生きていて、『徒然草』の解釈や文法をめぐって「ここは活用形がどうだから、どの様な意味になる」などとの授業風景をみたら、「あ~っ、そんなこと求めて、ワシはこの駄文を書いたのではないのだよ。もっと『読む楽しみ』や『書く楽しみ』に目を向けたらどうかね」と溜め息混じりに苦笑してしまうでしょうね。

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質問者からのお礼

貴重な回答、ありがとうございました。 作者ごとに、その時代にあった言葉で、自らの考えたストーリを伝え、全体として素晴らしい作品になったのですね。

  • 回答No.9

私も、言葉の勉強をした一人として発言させていただきます。 >社会一般で使われている用法を「正しい」とすべきであり、テストでも社会一般を正解とすべきと考えますが、いかがでしょうか? ご質問は、なにやら誘導的に思えますが、現実的には、我々の使用する一般的な言語は、何かの統制や規制には入らないはずです。 「社会一般で使われている用法を『正しい』とすべき」とは言えません。私たちの国は、民主国家ではあるけれども、社会一般で使われている言葉の用法は、非常に流動的なものです。流行、地域、世代、性別など、言葉を使う人たちは様々であり、多極的であって、統一的なものはひとつもありません。それを、少なくとも、外部からの圧力を加えて、言葉を規制や決定させてしまうというのは、おっしゃっていることと、相矛盾するからです。 「ら抜き言葉」等は、今は、口語表現としては認められているはずです。また、我々に、その使用の制限はないはずで、私たちは、誰かに許可をもらう必要はないはずです。しかし、「正式・正当な」とするには、おそらくは時代的な流行や変遷に変化せずに定着していく、という年月という名の監視が必要だと考えます。それは他の方が述べた通りです。 「ら抜き言葉」が、「ら抜き言葉」として認識される間、逆の言い方をすれば、「らを入れた言葉」が使用される限りは、「正式・正当な」という地位にはないものだと思います。それに満足できないとしたら、単に権力的なものに対する反動を感じているとしか思えません。例えば、ジャーナリストの本多勝一氏らのように、「ら抜き言葉」が正しい日本語だというような意見は、その典型としか言えません。そうした反動的な言動自体は、少なくとも私は認めることはできません。ただ、「ら抜き言葉」は、省略した部分がある限りは、よる口語的な印象が強いということだと思います。 ネット内を検索してみると、そうした議論というのは、不毛というか、くだらなさを感じています。「ら抜き言葉」の擁護派も、推進派も、同じテーブルに載せて、やれどちらが正しい・間違いなどいうのは、どちらも根本的な問題が抜けています。言葉というものには、TPOがあるわけで、その言葉が通用する場所と、ふさわしくない場所があります。そのTPOを使い分けるようになるのが、言語の感性であり、その上達であって、そうした背景(コンテクスト)を抜きにしては、どちらが正しいと語れるものではありません。 個々に、こうした議論の元になっているのは、言葉の感性の問題であって、それがおかしいと認識する人と、いやそうではない普通だとする人との間には、それぞれの使用者の社会的経験や自分の使用している言語の環境の違いによる対立です。これ自体は、言語の文法の問題ではありません。したがって、それだけでは、この問題を一般論化にするわけにはいかないのです。しかしながら、なぜ、言葉の感性から、それがおかしいと感ずるか、という論点も見逃すことはできません。それは、日本語を母語とする人の内在する国語の文法だと思います。いわゆる言語学者・チョムスキーのいう「普遍文法」のことです。それを、標準化し体系化し保存するというのは、未来に対する国の仕事としての役割だと思います。

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質問者からのお礼

詳しい解説、ありがとございました。 御指摘の通り、社会一般の言葉は流動的であり、それを「絶対に正しい」とする事も、また誤りだと思います。 言葉が通用するかどうか、TPOによって判断する事も必要ですね。

  • 回答No.7
  • 3nk
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「正しい日本語」はこちらで定められています。 http://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/index.html

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質問者からのお礼

ありがとうございました。

  • 回答No.6
  • 3nk
  • ベストアンサー率28% (619/2183)

文部科学省「国語審議会」というものがあります。 http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/old_bunka/kokugo_index/

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質問者からのお礼

ありがとうございました。

  • 回答No.5

何が正しい日本語かと言われるとドキっとしますね。答えになっていないかもしれませんが、 おかしくない日本語なら正しいとするのはどうでしょうか。自分でもずるい気がしますが。 おかしい日本語例 1たばこする(このコマーシャルは受けましたが)、地団駄する、主婦する。  登下校は学校するなんてふざけている分はいいですけど。  地団駄踏んで悔しがったら足が痛くならないかって。 2怒り心頭に発す=頭にきたは誤解、この”に”はよりの意味。目的ではありません。  激怒したのだから気持ちはわかりますが。  私の母は”このお土産はやまださんにいただいた”と経由の意味で言ってました。 3観れるか、食べれるかなどは私の地方では可能の意味で使っていました。  標準語の食べられる、観られるは受身の感じがしたものです。  五段活用以外の動詞にれるを使ってはならないと教えられたのですか。 4雨こそ降れ、途中の山道でそれは難儀しましたわ。それは大変でしたなあ。  子供の頃、年配のおばさんのこの日常会話をきいておかしいと思いました。  高校で古文を習い、こそ+已然形の係り結びを知り、そのおばさんに  申し訳なく思いました。 5花の下、足下、をはなのした、あししたとよむこと  灯台下暗し、もとうだい した くらし ですかね

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質問者からのお礼

ありがとうございました。 「おかしくない日本語なら正しい」という考え方もありますか・・・

  • 回答No.4

すべての人が納得するような「正しい日本語」の基準や決まりごとはありませんし、「辞書に載っている用法」も「社会一般で使われている用法」も時代によって変化していますし地域によっても大きく異なります。まったく論理的ではありませんが、「ほとんどの日本人が「正しい日本語」と認めている日本語を「正しい日本語」とする」としか言えないでしょう。 例えば現代の私たちは「しまりがない」「節度がない」ことを「だらしない」と言いますが、もともとの言い方は「しだらない」で、「しだらなし」をひっくり返して「だらしなし」にしたといわれています。つまり昔は「しだらなし」が「正しい日本語」で、「だらしなし」は「ビンボー(貧乏)」を「ボンビー」というような流行の言い方でした。しかし今では「だらしない」は「正しい日本語」とされています。 ここで難しいのは、その境目や「正しいかどうか」を明確に決めることは誰にも(偉い学者先生にも役所の審議会にも)できないということです。暦を旧暦から新暦に改めたように、「○年○月○日から「だらしない」を「正しい日本語」とします」などということは決められません。決められるのは、せいぜい学校教育(教科書など)での国語の表記や文法の基準、さらには公的な漢字使用の基準(常用漢字・人名用漢字)くらいまでです。 「見られる」「見れる」(らぬき言葉)をめぐる果てしない(?)論争についても、同じことが言えると思います。将来「見れる」が「正しい日本語」とされるであろうことはまず確実ですが、現在はまだ「ほとんどの日本人が「正しい日本語」と認めている日本語」とまでは言えないと考えます。平均的な考え方は「日常の話し言葉としては認められるが、あらたまった席(例えばテレビのアナウンサー)の発言や書き言葉としてはまだちょっと抵抗感がある」というくらいではないかと感じます。「見れる」が「だらしない』と同じく、ほとんどの日本人に抵抗感がなくなったとき、「正しい日本語」とされますが、それが10年後か50年後か100年後か、あるいはもっと未来なのかは誰にもわからないと思います。

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質問者からのお礼

ありがとうございました。 確かに、日常的に使われている言葉でも、ほとんどの日本人が正しいと認めているわけではありませんね。 おっしゃるように、あらたまった席で使えるかどうかは、1つの基準になると思います。 「だらしない」の発祥の話は、勉強になりました。

  • 回答No.3

ら抜き言葉(見れる)なんて、日常会話には使われますが、公式の場所で使ったり、文章で用いたりすることはできませんね。まだ、社会一般の用法としては、「見られる」の方が正しいものとされています。 辞書の用法、というより、日本語の基準は文部科学省が決めます。辞書は、それに基づいて記述しているだけです。 文部科学省で検索したら何ぼでもあるが、特に言葉の乱れに関しては、次のサイトをどうぞ。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E3%81%AE%E4%B9%B1%E3%82%8C

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質問者からのお礼

ありがとうございました。

  • 回答No.2
  • u-jk49
  • ベストアンサー率30% (1233/4072)

社会一般に流通している、例えば、「常識」などを疑わしく思ったことはありませんか。 そういう認識があれば、社会一般という言い方そのものが、非常に危険ですよね。 ですので、複数の国語学者、言語学者が集結して辞書を作っています。その際、若者言葉を含めて、時代とともに、世間に認知されている「新しい言葉」も「見出し語」として追加されていきます。用例も、時代に合わせて、修正、変更されます。

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質問者からのお礼

ありがとうございました。 御指摘のように、社会一般という言い方に問題があるかも知れません。 辞書も、時代に合わせて、慎重に検討・修正されているのですね。

  • 回答No.1
  • hunaskin
  • ベストアンサー率30% (1855/6064)

>むしろ、社会一般で使われている用法を「正しい」とすべきであり、テストでも社会一般を正解とすべきと考えますが、いかがでしょうか? その通りですね。 で、辞書は改訂を重ねながら社会一般で使われる言葉を載せる訳ですから、辞書をとりあえず基準と考えて差し支えないわけです。 社会一般の使い方が辞書とかけ離れている、と感じることもあるでしょうが、その場合は自分にとっての社会一般の定義や範囲に間違いがある可能性を第一に考えるべきですね。

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質問者からのお礼

ありがとうございました。 確かに、「社会一般」のとらえ方が正しいかどうか、検証する必要はあると思います。

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