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違いは何ですか?

暴力団と戦国武将と国家の違いは何ですか? どれも背景には暴力(軍事力)があり、自分達の利益のために行使しています。 特に、戦国武将はヤルかヤラレルか、従うか従えるかの世界ですから三つの中では最も暴力がはびこっていますが、秀吉が好き・信長が好き・家康が好き・○○が好きなどと言っても、○○組の○○組長が好きなんて聞いたことがありません。なぜでしょう?なんら違いは無いと思うのですが。 国家にしても、アメリカがバンバン軍事力を行使し、タカッテ来ても陰でいろいろ言うだけで真っ向からアメリカと関係を断ち切ろうなんて国はほとんどありません。暴力団は社会の害悪だみたいに扱って関係を断ち切ろうとするのに。長いものには巻かれろって事? ちなみに、自分は暴力や権力を行使するもの全てが嫌いですが。

noname#5868
noname#5868

みんなの回答

  • o-syou
  • ベストアンサー率0% (0/10)
回答No.9

暴力を背景に(または行使して)自らの権益を得んとす点で、まったく違いは有りません。 ただ、戦国武将や国家は全権掌握を目指すもので、たとえ手法が暴力的でも断罪されにくいのです。 しかし、暴力団は限定的な権益を求める裏方志向なため、同じこと(賭博など)をしても断罪されるし、されても権力側 (国家)との暴力闘争はしません。 また、国家を超えた暴力(軍事侵攻)も残念ながら世界的な権力が確立されていないため、やはり断罪されにくいので、やり放題(暴力こそ万能)といった状態です。 巨悪(抑制できない力)にはなす術がないため、幸せに暮らしたい人達は黙認してしまうものです。 そして代わりに、目の前にあるどーでもいい力(制御できる力)を叩いて、ストレス発散と贖罪の隠れ蓑にしてしまうものです。 人類の社会的進化を待たないと、ケンカの強い奴がのさばる時代は続くんでしょうね。

  • lequeos
  • ベストアンサー率54% (308/566)
回答No.8

暴力団は組織。戦国武将は個人。国家はシステム。それぞれ違います。 でもこういう答えがほしいのではないでしょうから(笑)、(1)暴力団に代表される裏社会というシステム、(2)戦国武将を頂点とする封建的主従システム、そして(3)国家を比べてみます。 (2)は、国家を志向する点で(1)(3)と異なります。武将の闘争の本質は「国盗り」であり、国家の一部分として、その全体を支配することを目指すものです。こういう状態、つまり群雄が割拠している状態は、一般の人たちにとっては大変に迷惑な時代であり、かつ、戦国時代において戦闘行為そのものにより血を流すになるのは武士であるという特徴もあります。一般人としてみれば、天下統一により治国平天下を目指す武将は、ある意味で歓迎されるものであるというセンチメントもあり、英雄視される訳です。天下統一の後、自らが「国家」となり、国内外で闘争をやめようとしないやつは、「暴君」と称されることからもそのことがうかがえます。 (1)は、国家というか社会に寄生するシステムであるという点で(2)(3)と異なります。日本の場合、戦後の一時期、暴力団が警察の肩代わりをして治安維持に協力するという場面がありましたが、よいことをする場合はあっても、最終的には裸の暴力をその力の根拠としている以上、決して正統性を持ち得ないのが暴力団システムの特徴です。 (3)は、自らの中に「正統性」を宿す点で(1)(2)と異なります。昔、絶対主義君主の時代に「国家は弁明せず」すなわち君主無答責の原則がありました。現在、国内的にはこの原則が否定されていますが、国際社会においてはある国を悪、ある国を善と決めることは不可能であり、意味のないことです。国家は「判断ミス」をすることはあっても「悪事」を行うことはない。なぜなら善悪を決めるための法律ですら国家が作り出したものであるからです。単にこれだけ書くと異論もあるかも知れませんが、政府も立法府も国民も包含した国家というものは、そういうものだと思います。

  • SCNK
  • ベストアンサー率18% (514/2762)
回答No.7

これらの権力を認めて、権力を分散する考え方が多元的統治です。 そして権力を国家に集中する考え方が、ウエストファリア条約以降の主権国家を基調とする現在のシステムです。 つまりすべての最高権力を国家だけに集約して、その領域を治めさせるわけです。それより上の権力もなければ、それより下の権力も本来ありません。 確かに国家の外に国際機関がありますが、これらは国家間の取り決めによって作られたものに過ぎず、国内の地方自治体は国家の方の下で、限定された権力を持つのみです。 国家はこのように権力を独占しているわけです。しかしもし、それ以外のものが権力を掌握すれば、それが国家に代わることもあるでしょう。たとえば清朝滅亡後の支那で軍閥が覇権を争ったようにです。 逆にいえば、領域の権力を独占しているかどうかの違いです。他の違いは本質的にはありません。まあ目的の違いはあるかもしれませんが、目的は変わるものですからね。 そもそもウエストファリア条約以前の世界は、このような主権国家は存在しませんでした。法王や皇帝や国王や領主が勝手に権力を維持し、なおかつ上下関係はなかったのです。しかも領域は重複してますから、今風に言えば暴力団の抗争が常態だったわけですね。 ところで暴力や権力を行使するものすべてが嫌いということですが、そうなるとどのようなことになるでしょう。法治社会を維持するためには、それを守らせるための担保として、権力、さらに言えば暴力装置が不可欠なのです。 よく「暴力追放宣言」という看板を掲げている自治体を目にしますが、私はあれを見て笑ってしまいます。そうしたら警察もなくさなくてはならないからです。 一つの例を出しましょう。アフガニスタンでは長い内戦で国家主権を独占する存在がなかったのです。いわば軍閥の群雄割拠の状況でした。そこに現れたのがタリバンです。確かにタリバンの治世は厳格なもので、米国などが言うような民主主義には程遠いものです。しかし治安は回復したのです。麻薬の生産も止まりました。しかしタリバン政権が倒れたら再び治安が悪化してますし、麻薬生産もかつてのレベルに戻りました。 権力の無い世界は、すべて自らが、対立を解決しなければならない社会です。これをホッブスは「万人の万人による闘争」と呼んだのです。 治安を得るためには暴力は不可欠といえるでしょう。

  • been
  • ベストアンサー率39% (490/1243)
回答No.6

暴力団とは、実力で私利を図る集団です。 戦国武将は、実力によって政治を行う者です。 国家は、成立した統治システムです。

  • nuts
  • ベストアンサー率36% (141/389)
回答No.5

違法か合法か、といっても、その法を決めたのがそもそも国家だということになりかねませんね。 多数の合意、社会的通念に沿った存在であるかが重要な違いでしょう。 十五~十六世紀の日本では、実力者が地域を支配し、軍事力で争うことが社会的通念に沿っていました。これを現代の通念で断罪することはあまり意味がありません。 また古代から現代に至るまで、国家の存在を否定する考えはあまり多くありません。(わたし個人は質問者と同じく、存在を疑うべきだと思っていますが)。多くは空想的であり、実践的な国家否定はむしろ暴力に結びついています。いずれの否定にせよ、大きな社会的通念の変革が必要となります。 一方で暴力団は、社会通念に反した存在であることを自ら認めています。「やくざ」という自称はもともと博打用語で、オイチョカブで8・9・3と引くと負けになることから「役立たず」という意味です。彼らとて人間ですから存在理由を求めて「シマを他の暴力団から守る」という名分は掲げていますが、アウトローであることは自覚した上でやっていることです。これを賞賛することも社会通念に反することであり、良識的には行われません。

  • densha
  • ベストアンサー率29% (333/1123)
回答No.4

 違法か合法かの差では? 哲学的な事は別として・・・ 自分に害が及ぶなら国家でも好きではないと思います。 チカラというと軍事力だけでないと思います。 経営の神と言われる方でも、大きな企業が持つチカラを使うと 反目する立場の方は・・・・  私も暴力は好みませんが、 暴力団から市民を守っているのも公権力ですし・・・ 無血革命とイウコトバもありますが、 既存政権に対する威嚇はあったハズです。 何らかのチカラで安定が作られてきたという皮肉な歴史です。  結論は、支持者の数(1人1票とは限らない)と許容・甘受する数では? それとも「勝てば官軍、負ければ賊軍」かな・・・

  • mailhiro
  • ベストアンサー率23% (32/135)
回答No.3

それぞれについて、力の行使(権力、暴力、軍事力等)という視点のみで比較されているようですが、全てのものは、存在するに至った理由なり経過があります。 ざっくりいうと、個人(採集民族)から集団(農耕民族)へと、社会(分業)が形成されていく過程の中で生まれたものですが、このうち暴力の行使を主目的として組織化されたものは、暴力団のみと考えます。 力の行使そのものを否定するということは、社会からの逃避行為と同じことで、あなたにとって何のプラスにならないと思います。 教科書なり歴史小説なり伝記でもなんでもよいですから、過去の歴史についてじっくり勉強され、存在意義なり存在価値を見出されることをお勧めします。

  • mokonoko
  • ベストアンサー率33% (969/2859)
回答No.2

暴力団は一般市民に何ら利益をもたらしていないと思います。 国家間の繋がりは相互に利益をもたらしている部分があるので、 自国と敵対関係にない限り味方が強く、多いほうが良いと考えるのは自然でしょう。 確かに暴力や権力行使が反対というのも考えのひとつです。 しかし、一方的に殴られたら黙っているのは嫌ですし、 権力が無ければ無法地帯と化してしまいます。要はバランスです。

  • apple-man
  • ベストアンサー率31% (923/2913)
回答No.1

戦国武将と国家は、農業など人間の生活基盤を 守っていますが、暴力団はそういった生活基盤で 地道に働いている人の上前をはねます。

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