- ベストアンサー
ナウシカの漫画を読んだけど・・・
風の谷のナウシカの漫画を読んだんですが、7巻当たりがよく解りませんでした。自分の予想していた結末とは違っていて、先入観が邪魔したのもあると思いますが、それにしても解りません。 こんな感じなんでしょうか 「実は、存在するもの全てが浄化システムにしかすぎず、浄化が終わると全てはお払い箱になり、卵の中の人間がかえり、新たな生態系が台地を覆うはずだったが、ナウシカはそれに気づき悩んだけど破壊した。」 まず、これはあってますか?間違っていたらご指摘お願いします。 これがあっているとして、なぜナウシカは現存する生態系を選んだんですか? ナウシカにしか見えなかったきれいな自然は何だったんですか?そして、そこに居た人は誰だったんですか? 解らないことだらけです。解る方居たら解説お願いします。
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
解釈はあっていると思います。 >なぜナウシカは現存する生態系を選んだんですか? 例え汚れた醜い存在であっても、現在生きているということは貴重であり、汚れていようがなかろうが、すべての命には生きる権利があると言いたいのだと思います。 清浄な人間は、汚れた人間よりも優先されるのか? 人工的に作られた存在だから、役目を果たせば抹消してしまってもいいのか? どちらの問いにも、ナウシカは「ノー」と答えたわけですね。 現代社会にあてはめると、「自分なんか生きている意味がない」と自殺する人や、「こんなヤツは死んでもいいんだ」と人を傷つけたり殺したりする人に対して、「ノー」と言っているのではないでしょうか。 また、自分という存在を、「世界のためになるから」という理由で他者にいじられることへの反発もあると思います。 墓所にいく途中にあった楽園は、過去の人類の遺産の貯蔵庫です。つまり、いま生きているのではなく、博物館の標本みたいな過去の存在ですね。そこにいた人は、人間ではなく博物館の管理コンピュータのようなものだと思えばいいでしょう。 ナウシカは、過去のやすらぎの中に埋没するのではなく、きたなくて苦しい現実を生きることを選んだのでしょう。 バーチャルなやすらぎの世界に生きるのではなく、つらくても現実を生きろというメッセージだと思います。
その他の回答 (2)
解釈はあっていると思います。 ナウシカの映画版と漫画版って、結末が正反対ですよね。 映画版のナウシカは創造主(神)の意志を継ぐ者である。 漫画版のナウシカは創造主(神)の意志を 当初は継ぐ者であったが、最後に反旗を翻す者になる。 私はここに「グノーシス」の影響を感じます。 グノーシスというのは紀元1世紀頃に興ったキリスト教の一派で 原始キリスト協会とは異なる独自の教義を展開して大きくなったため 異端とされ紀元4世紀頃にはキリスト教から排斥され 抹消されてしまいます。 この、抹消されたグノーシスの文献が1960年頃だったかな? 発掘されその研究成果が70年代半ば頃に発表され 哲学好き思想好きの人達の間で大きな注目を浴びます。 ナウシカの発表は84年ですからタイミングはピッタリです。 さて、キリスト教における神は「唯一絶対に正しい者」です。 かつて人間は神の教えに背き、楽園を追放されます。 預言者だけが神の意志を汲み人々を神の意志に導くことで 人類の再生を試みます。 この預言者がモーゼやイエスといった人たちです。 神の意志を理解し、世界と人類の再生に尽くす映画版ナウシカは このキリスト教の預言者のバリエーションだと思います。 一方、グノーシス主義の教師たちは この世界は「悪の宇宙」であり この世界を創造した者も「悪の神・不完全なる神」であると見做しました。 この世界を「悪」と見做すのは仏教と同じです。 実際、グノーシスはチベットなどの影響を受けています。 漫画版ナウシカの神は 世界を再生しようとするのではなく 実はリセットを考えていました。 要するにスクラップ&ビルドであり これまでの世界はスクラップにしようと計画していたわけです。 漫画版ナウシカは自分達がスクラップにされようとしていることに 気付いてしまったわけです。 そして、神を自分達の敵と見做し反旗を翻したわけです。 神を偽善と見做し、自らの叡知(グノーシスとは叡知の意)で 再生の道を模索し始めた漫画版ナウシカは グノーシスの教師のバリエーションだと思います。 ちなみに「新世紀エヴァンゲリオン」でいえば ゼーレがキリスト教で 碇ゲンドウがグノーシス主義であるのは 比較的知られた話です。 ただし、エヴァが「人類補完計画」という再生の道に 辿り着いたのに対して ナウシカ漫画版は、神に反旗を翻すことを決意した 混沌の状態で終わっています。 つまり「結果」を示すことよりも「意志」を示すことを 重視しています。 漫画版のこのような姿勢を反映したのが 次の「もののけ姫」であったと考えます。 もののけ姫においては「神」「自然」「人間」が 対等に置かれており それぞれの意志(ある意味、エゴ)が拮抗しながら どこでバランス出来るか?を問題提起した作品だと思います。 グノーシスも、仏教も そして多分、宮崎駿も「自分で考えることが大事だ」と 訴えていたのだと思います。 何分、当時はオウム真理教や幸福の科学など 信仰宗教に染まってしまう若者が多かった時代でしたから。
- chiro88
- ベストアンサー率6% (4/64)
読み方は人それぞれだと思いますよ。 ご質問の中の考えでいいのではないでしょうか。 私なりの解釈では 腐海は地質、大気浄化システム。蟲はその一部で尚かつ守護者。腐海が全ての地を覆い、浄化されるときに卵の中の人間が必要になる。 また、年に1度現れる墓所の文字を解読し、清浄な大気や水に対応した生物を作り直す必要がある。 そのシステムを動作させるには人間が必要。 よって腐海の毒に対応した人間が作られた。人間だけでは生態系が維持できないため、他の生物も腐海の毒に対応したものが作られた。 墓所に取り入られた代々の土鬼の地の王はその壮大なシステムと失われた数々の技術に魅せられ、墓所の守護となる。 作られたものとはいえ今を生きる生物が生き残る権利があるとナウシカは考える。 また、前時代に生態系の改造などを行った人間たちへの反感があったのではないかとも考えます。 何しろ紛争解決のために神(巨神兵)まで作ったのですから。 >ナウシカにしか見えなかったきれいな自然は何だったんですか? どのシーンのことか分からないのですが、墓所の近くの廃墟に見せかけた街のところならばあれは前時代の文化の貯蔵庫です。そこにいた人は人間ではなくヒドラです。トルメキアの二人の皇子はその地に留まったようです。 また、森の人と土鬼皇弟(精神)と共に見たのは腐海の浄化が終わった地です。
お礼
うーむ、難しいですね。 ありがとうございました