• 締切済み

うつ改善のための宗教的視点と哲学的思考

tumaritou1の回答

回答No.27

素人ですが興味がある問い掛けですので参加させて頂きます。 殆ど貴方と同じと考えています。今の精神医学は『頭に湧き上がった妄想の相手をしていて、妄想の撲滅に終始している』と思われます。 今の医学の盲点は、鬱にしろ神経症にしろ自律神経失調症や難治性の心身症や過敏性徴症候群等の、検査をしても、異常が見付けられないものなどに対して、原因が特定出来ていません、それでいながら治療が開始されています。 治療方針の確立さえ出来ていません。もし幸運にも寛解まで到る事が出来た場合でも『気を付けて生活をして下さい』と医師は言いますが、具体的に『何をどうしたら良いかの指針すらないと感じます。』 如何して鬱が良くなって、どうしたら鬱が悪くなるのかの指針が無いという意味は、その原因を特定出来ない事によっていると思います。 素人ですが、神経症を乗り越えた経験から眺めた場合に、神経症の治療一つでも今から30数年前よりも後退しているように思います。 神経症の話を貴方にするのは筋違いかもしれませんが、神経症とは『自我意識が、無意識の自分から送られる情報を、誤まって解釈や解読する事によって、防衛機制が働き始める事が原因です。』 心を病む場合も、自律神経失調症等の身体的な(検査では異常がない)疾患などの原因も同じです。 左脳(自我意識や顕在意識)に送られてくる情報の『受け取り方の間違い』が全ての疾患の原因です。 従がって、症状は其々違っていても、治し方や、治った姿は全て同じです。『現実の世界と頭の中の世界が一致する事です。』 右脳の世界は『今現在が全てです。』左脳の自我意識は『頭の中の世界を構成しています。』 今書いた疾患は全て、右脳の世界『今此処の現実の世界』を、自我意識たる心が受け入れられない事を意味しています。 言い換えるなら『心の違和感』として感じている事を意味します。心の違和感とは『心に矛盾』を感じているという意味です。その違和感をその人の個性によって如何いう風に感じているのかで三つの症候群に分かれると思います。 身体の異常として受け入れられないとした場合が『自律神経失調症等を主にした、身体的な異常感です。』 行動や感情面を主にする場合が『神経症です。』 感情面と、心として湧き上がる考え方を主にした場合が『心を病む事』を意味します。 症状は全く違っているように感じられますが、全てに共通するものがあります、それは『自我意識に掛かる圧迫感や違和感です。』これは、顕在意識に送られる『無意識の自分(右脳の意識)』からの交替要請です。そうしてこの三つには原因を一つとしている事によって『境目が在りません』この意味は、『症状には重なっている部分が多々在る。』と言う意味です。医師の処方する薬も重複していることからも推察出来ます。 全てが説明出来ます。メンタル面が強いのか弱いのかと云う言葉で、です。 メンタル面が強いという意味は、心に圧迫が掛かった状況において(掛からなくとも関係ないですが)自我意識(左脳の顕在意識)が出ないでいられた場合です。言葉を替えて言うなら『無意識の自分に如何に任せていられるのか』と云う事です。 メンタル面が弱いという意味は、『自我意識単独で、考えたり、行動しようとしたりする場合の事です。』違う言葉で表現するなら、自我意識が『無意識の自分と上手く交替出来なくなって』無意識の自分の力が発揮出来ない場合です。 左脳と右脳の交替制を実に良く述べている動画がありますので、載せて見ます。 URL:http://www.youtube.com/watch?v=ldSoKfFYKqM 右脳の意識と左脳の意識が脳梁の中(意識の根底)で、出会う体験があります。この体験を禅や仏教では『見性』或は悟ると表現しています。 キリスト教では『神と和解する』としています。表現方法や言葉では全く違っていますが『心的な内容は同じです。』 宗教の目的は『心の矛盾の解消です。』人間の脳内に存在する二つの意識の仲違いが解ける事を意味します。この体験を『魂の救い』として、人類は宗教文化の発展を後押ししてきた事を歴史が物語っています。 精神医学と脳科学と宗教の根本が融合出来た段階で、全ての疾患に完治が訪れる事を信じています。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 前回と同様に整然とご説明いただいて頭が下がります。 医学が進歩するに従って各分野が細分化されてそれぞれが独立して勝手にやっている感が否めません。 自分の症状はどの科に受診したらいいのか分かりませんなんて患者にとっては迷惑な話です。 科学も医学も宗教も哲学も融合する日が来るといいですね。

関連するQ&A

  • ウツ改善のための宗教的視点と哲学的思考

    薬を飲んでも治らないなら、うつ病の原因は心理的なものだと考えるのは妥当な考えだと思われないでしょうか。 ある日突然うつ病になったわけではなく、心理的なストレスと不安の蓄積が今のうつ病と診断されるにいたる経緯ではないでしょうか。 学者の言う脳内のセロトニンがどうのと言うのは結果論であって、始めは心理的な要因だったはずです。 ですから、薬でストレスや不安をどうにかしようというのは極限状態にある人に対しては良しとしても、通常の治療方法として正しいとは思えません。 うつ病の原因は自分自身に対する無理解と思います。 同じストレスを感じても人によってその受け止め方が違います。 受け止め方が下手な人がうつ病患者には多いだろうと思います。 極端に自分を責めるのは正しい思考とは言えません。 そういう自分自身の思考を自覚し修正する作業が必要なのではないでしょうか。 これはうつ病に限らず、どんな人にも言えることです。 自分自身を理解するために必要な道具が宗教と哲学だと思います。 宗教的視点と哲学的思考が生きる上でどんな人にも必要なのではないでしょうか。 古い手法ではありますが、今のところ宗教的と哲学的がうつ病を治す唯一の方法だと思います。 宗教的視点と哲学的思考なんてうつ病患者には無理だという意見もあるでしょうが、 他人が治せる病気ではないのは明らかです。 自分を理解することに遅いは無いはずです。 皆さんはどう考えるでしょうか。

  • うつ改善のための宗教的視点と哲学的思考

    薬を飲んでも治らないなら、うつ病の原因は心理的なものだと考えるのは妥当な考えだと思われないでしょうか。 ある日突然うつ病になったわけではなく、心理的なストレスと不安の蓄積が今のうつ病と診断されるにいたる経緯ではないでしょうか。 学者の言う脳内のセロトニンがどうのと言うのは結果論であって、始めは心理的な要因だったはずです。 ですから、薬でストレスや不安をどうにかしようというのは極限状態にある人に対しては良しとしても、通常の治療方法として正しいとは思えません。 うつ病の原因は自分自身に対する無理解と思います。 同じストレスを感じても人によってその受け止め方が違います。 受け止め方が下手な人がうつ病患者には多いだろうと思います。 極端に自分を責めるのは正しい思考とは言えません。 そういう自分自身の思考を自覚し修正する作業が必要なのではないでしょうか。 これはうつ病に限らず、どんな人にも言えることです。 自分自身を理解するために必要な道具が宗教と哲学だと思います。 宗教的視点と哲学的思考が生きる上でどんな人にも必要なのではないでしょうか。 古い手法ではありますが、今のところ宗教的と哲学的がうつ病を治す唯一の方法だと思います。 宗教的視点と哲学的思考なんてうつ病患者には無理だという意見もあるでしょうが、 他人が治せる病気ではないのは明らかです。 自分を理解することに遅いは無いはずです。 現代人はまるでゲームのルールを知らずに参加しているプレイヤーの様ではないでしょうか。 数千年前から人の基本は変わってはいません。 皆さんはどう考えるでしょうか

  • ウツ改善のための宗教的視点と哲学的思考

    薬を飲んでも治らないなら、うつ病の原因は心理的なものだと考えるのは妥当な考えだと思われないでしょうか。 ある日突然うつ病になったわけではなく、心理的なストレスと不安の蓄積が今のうつ病と診断されるにいたる経緯ではないでしょうか。 学者の言う脳内のセロトニンがどうのと言うのは結果論であって、始めは心理的な要因だったはずです。 ですから、薬でストレスや不安をどうにかしようというのは極限状態にある人に対しては良しとしても、通常の治療方法として正しいとは思えません。 うつ病の原因は自分自身に対する無理解と思います。 同じストレスを感じても人によってその受け止め方が違います。 受け止め方が下手な人がうつ病患者には多いだろうと思います。 極端に自分を責めるのは正しい思考とは言えません。 そういう自分自身の思考を自覚し修正する作業が必要なのではないでしょうか。 これはうつ病に限らず、どんな人にも言えることです。 自分自身を理解するために必要な道具が宗教と哲学だと思います。 宗教的視点と哲学的思考が生きる上でどんな人にも必要なのではないでしょうか。 古い手法ではありますが、今のところ宗教的と哲学的がうつ病を治す唯一の方法だと思います。 宗教的視点と哲学的思考なんてうつ病患者には無理だという意見もあるでしょうが、 他人が治せる病気ではないのは明らかです。 自分を理解することに遅いは無いはずです。 現代人はまるでゲームのルールを知らずに参加しているプレイヤーの様ではないでしょうか。 人はパンのみで生きるにあらずです。 数千年前から人の基本は変わってはいません。 皆さんはどう考えるでしょうか。

  • 宗教的視点と哲学的思考

    薬を飲んでも治らないなら、うつ病の原因は心理的なものだと考えるのは妥当な考えだと思われないでしょうか。 ある日突然うつ病になったわけではなく、心理的なストレスと不安の蓄積が今のうつ病と診断されるにいたる経緯ではないでしょうか。 学者の言う脳内のセロトニンがどうのと言うのは結果論であって、始めは心理的な要因だったはずです。 ですから、薬でストレスや不安をどうにかしようというのは極限状態にある人に対しては良しとしても、通常の治療方法として正しいとは思えません。 うつ病の原因は自分自身に対する無理解と思います。 同じストレスを感じても人によってその受け止め方が違います。 受け止め方が下手な人がうつ病患者には多いだろうと思います。 極端に自分をのは正しい思考とは言えません。 そういう自分自身の思考を自覚し修正する作業が必要なのではないでしょうか。 これはうつ病に限らず、どんな人にも言えることです。 自分自身を理解するために必要な道具が宗教と哲学だと思います。 宗教的視点と哲学的思考が生きる上でどんな人にも必要なのではないでしょうか。 古い手法ではありますが、今のところ宗教的と哲学的がうつ病を治す唯一の方法だと思います。 宗教的視点と哲学的思考なんてうつ病患者には無理だという意見もあるでしょうが、 他人が治せる病気ではないのは明らかです。 自分を理解することに遅いは無いはずです。 皆さんはどう考えるでしょうか。

  • うつ改善のための宗教的視点と哲学的思考

    この質問を立てるのも何度目なのか数えるのも面倒なくらいになりましたが、 薬を飲んでも治らないなら、うつ病の原因は心理的なものだと考えるのは妥当な考えだと思われないでしょうか。 ある日突然うつ病になったわけではなく、心理的なストレスと不安の蓄積が今のうつ病と診断されるにいたる経緯ではないでしょうか。 学者の言う脳内のセロトニンがどうのと言うのは結果論であって、始めは心理的な要因だったはずです。 ですから、薬でストレスや不安をどうにかしようというのは極限状態にある人に対しては良しとしても、通常の治療方法として正しいとは思えません。 うつ病の原因は自分自身ひいては人という生き物に対する無理解と思います。 同じストレスを感じても人によってその受け止め方が違います。 受け止め方が下手な人がうつ病患者には多いだろうと思います。 極端に自分を責めるのは正しい思考とは言えません。 そういう自分自身の思考を自覚し修正する作業が必要なのではないでしょうか。 これはうつ病に限らず、どんな人にも言えることです。 自分自身を理解するために必要な道具が宗教と哲学だと思います。 宗教的視点と哲学的思考が生きる上でどんな人にも必要なのではないでしょうか。 古い手法ではありますが、今のところ宗教的と哲学的がうつ病を治す唯一の方法だと思います。 宗教的視点と哲学的思考なんてうつ病患者には無理だという意見もあるでしょうが、 他人が治せる病気ではないのは明らかです。 自分を理解することに遅いは無いはずです。 現代人はまるでゲームのルールを知らずに参加しているプレイヤーの様ではないでしょうか。 数千年前から人の基本は変わってはいません。 痛み止めにしかならない薬を飲んでその場をしのぐのではなく、人生を通して全的に考えるべき事柄ではないでしょうか。 当事者の皆さんはどう考えるでしょうか

  • 自分を知ることがメンタルの安定には必須

    うつ病が病院で治るならこのカテゴリの存在理由はないはずです。 全ての回答は医者に行けで済むはずですから。 薬を飲んでも治らないなら、うつ病の原因は心理的なものだと考えるのは妥当な考えだと思われないでしょうか。 ある日突然うつ病になったわけではなく、心理的なストレスと不安の蓄積が今のうつ病と診断されるにいたる経緯ではないでしょうか。 学者の言う脳内のセロトニンがどうのと言うのは結果論であって、始めは心理的な要因だったはずです。 ですから、薬でストレスや不安をどうにかしようというのは極限状態にある人に対しては良しとしても、通常の治療方法として正しいとは思えません。 うつ病の原因は自分自身ひいては人という生き物に対する無理解と思います。 同じストレスを感じても人によってその受け止め方が違います。 受け止め方が下手な人がうつ病患者には多いだろうと思います。 極端に自分を責めるのは正しい思考とは言えません。 そういう自分自身の思考を自覚し修正する作業が必要なのではないでしょうか。 これはうつ病に限らず、どんな人にも言えることです。 自分自身を理解するために必要な道具が宗教と哲学だと思います。 宗教的視点と哲学的思考が生きる上でどんな人にも必要なのではないでしょうか。 古い手法ではありますが、今のところ宗教的と哲学的がうつ病を治す唯一の方法だと思います。 宗教的視点と哲学的思考なんてうつ病患者には無理だという意見もあるでしょうが、 他人が治せる病気ではないのは明らかです。 自分を理解することに遅いは無いはずです。 現代人はまるでゲームのルールを知らずに参加しているプレイヤーの様ではないでしょうか。 数千年前から人の基本は変わってはいません。 痛み止めにしかならない薬を飲んでその場をしのぐのではなく、人生を通して全的に考えるべき事柄ではないでしょうか。 当事者の皆さんはどう考えるでしょうか

  • 鬱の人は心理学、哲学、宗教等に興味を持つのはなぜ?

    こんにちは。 別件で質問させて頂いたのですが、ご回答頂いた中で正に自分自身がそうだと思ったけど、 なぜだろうともうことがあったので、あらためてご質問させて頂きます。 これまで、適応障害、鬱病、持続性気分障害、躁鬱病等々診断を受けてきた40前の男です。 社会人になり、理想を求め転職を繰り返してきましたが、その理想も何なのかよくわからず、 やりたいこともよくわからず現在も心療内科に通院中です。 ある質問の中で、 ”昔鬱の方と話をすると必ず出てくるのは心理学、哲学、宗教、心の動きなどですとありました。” まさに、自分もそのような本を探し読んでいます。 自分とは何か、やりがいとは何か、ただ生きているだけでも幸せとよく言われるが、 目標もなくやりたいことも分からず、何のために生きているのかよくわからなくなる。 そんなことを考えすぎているからしんどいんだろうなぁ、 もっと気楽に生きられればいいなぁと思ってはいるんですけど、結局何をしていても こんな考えに戻っちゃうんです。 こういう自分みたいな人がカルト宗教とかいうものに騙されるのかなぁと思います。 なぜ、鬱の方は心理学や哲学や宗教に興味を持つのでしょうか? やはり自分とは何かとか考えすぎているからでしょうか。 別の質問では、私自身はこれを解決するために通信講座でメンタルケア心理士とかなにか 心理学系の通信講座を受け、自分が寛解しないかなと考えています。 (これまで色々な病院に通っていて分かったことですが、自分の場合ですが、薬では治らないこと。 薬を飲んでいても改善した気がせず、色々変えても眠気など副作用が出るばかりでした。 考え方の問題で今はカウンセリングを受けてはいますが、言っていることは分かるのですが どうも考え方を変えれるまでにはいきません) 同じような質問で申し訳ないのですが、 ・なぜ鬱の人が心理学、哲学、宗教などに興味を持つのか ・またもし可能なら鬱を克服された方はどうされたのか 等アドバイスを頂ければ幸いです。 本当に日々の仕事も何とかいけている状態です。 いろんなアドバイス頂ければ幸いです。

  • 「哲学」は「宗教学」に近いのですか?

    当カテゴリで、いまだ未締め切りの質問を抱えている者です。 「哲学」がなんたる学問かについては良く知らず、 自分の質問内容が投稿先の候補としていた「心理学」や「国語」には多分当たらないであろうとの 消去法で「哲学」カテゴリに投稿した次第です。 私が投稿した質問はごく日常的な疑問です。。 何人かの方がすぐに回答下さり、とてもありがたく思いました。 しかし、ふと「哲学」カテゴリの質問リスト(回答数も載ってる)をみてみると、 タイトルに宗教的なものが多いように感じたのです。 聖書がどうしたこうした、仏がどうしたこうした、神がどうしたこうした… しかも、宗教的な質問ほど多くの回答が集まっているように見える。 これは私が考えていた「哲学」とは異なる傾向です。 「哲学」は宗教などから離れて、あるいは少なくとも宗教の教え等は第三者的な視点から捉えて、 人間の真理を追究する学問と思っていたからです。 ざっとみた感じなので申し訳ないのですが、 どうにも「哲学」カテゴリが「宗教」に巻き込まれているように思えてならないのです。 たとえば、本カテゴリで興味深い質問をみつけ、少し見てみたのですが、 回答された内容に、「輪廻転生」を前提としたものが複数見られました。 私は「輪廻転生」自体は否定しません。 しかし、「哲学」カテゴリで、 「人間は生き返るのだから大丈夫だよ」などとする意見はどうしても受け入れ難い。 これってまさに宗教的じゃない?気持ちわるーい!と思うのです。 私の「哲学」に対する認識は間違っているのでしょうか?

  • 哲学はウツの治療に役立つか

    哲学者に自殺者は少ないという話をたまに聞きます。 Wikiで調べると確かに少数派のようです。 理由は簡単で理性的にモノを考えることが癖でライフスタイルにさえなっているからです。 うつ病の人たちの多くは「希死念慮」、「自殺願望」を持っています。 哲学者に自殺者が少ないなら哲学がうつ病の治療に役立つのではないでしょうか。 自殺しなくなるのはもちろん、その先の人生においても哲学は有用であるはずです。 正直、メンタル面で問題がある人は「哲学」を持っている人が少ないように感じています。 万人に効果があるとは言いません。 しかし効果がある人がいるなら良しとします。 当事者の皆さんはどう考えるでしょうか。

  • [宗教・哲学] 物事、全てを理解している人は居るのか?

    [宗教・哲学] 物事、全てを理解している人は居るのか? 全てが分からずとも、その可能性を強く信じておられ、未完でもこの問いが気になる方が居られましたら回答頂ければ幸いです。 時々完璧と思えるほどの哲学や宗教を持っている方が居られますが、それだけ博識でありつつも一般的な言葉や言い回しにすることが出来ず、分かりやすい答えを出せる人が居ません。 最後は、小難しい言い回しや、難しい内容なので本を読んで下さい。教祖は素晴らしいので是非会ってみて下さい。話をしても思考停止するので取り合いません。すでに洗脳されているので私には無理です。などいつもはぐらかされてばかりですので、こちらで回答頂ける方が居られればと思い質問させていただきました。 全てに理解をされておられれば、これらの障害を乗り越え、分かりやすく伝えて欲しいのです。 ちなみに、私自身は長く待っていれば、そういった時代は確実に来ると信じています。 とりあえずその万能性を検証できそうな課題を3つ用意してみました。Q1は私のことであり非常に実践的であり、効果があればすぐに分かるものです。Q2は知人の話。Q3はこの書き込みを見て戦争が無くなれば良いです。 Q1の後Q2,Q3をお願い致します。どれが一つの場合、容易に検証可能でQ1をお願い出来ればと思います。 Q1 私は痛いこと(注射)が凄く嫌いです。健康診断(血液検査や他痛い事)も拒否して行きません。こんな事では長生きしたいのに長生きできないかもしれません。こんな私に、注射を楽々させる方法を教えて下さい。 Q2 鬱病患者を救うには? Q3 誰もが納得して戦争が無くなる方法。この文章を見れば誰も戦争しなくなる。こんな回答です。