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愛の文章

「 」内を埋めて完成させてみよう 1~10のうち一つだけ選んで解説を許可 愛とは直感である 「1      」 愛の芽生えとは 感性の美しい矢に射抜かれることである 「2      」 愛の成就とは 潮騒の高鳴りの満ちる時である 「3      」 愛の永遠とは 信じることの永遠である 「4      」 愛の終りとは 秋の訪れを知るようなものである 「5      」 愛の記憶とは 枯葉を並べて見るようなものである 「6      」 愛の最終章とは 祈りである 「7      」 愛を感じることは 生きていることの証である 「8      」 愛を知らぬ者は 一人もいない 「9      」 愛に始まる人生は 愛に終わる 「10     」   

noname#189751
noname#189751

みんなの回答

  • yuniko99
  • ベストアンサー率15% (31/204)
回答No.4

8 愛は活かし合う あるいは他を活かす力です 愛を感じるということはまだ生きる希望があるのではないでしょうか 人間はひとりでは生きていけない 一人暮らしでも 多くの人の力を借りて食事をし着て寝ています 人間が愛を感じるということは 生きてる証だと言えるでしょう。

noname#189751
質問者

お礼

ん、 ん。 いいですね。 私のような ひねくれ者からみれば ちと素直すぎる感じもしますか゛ 愛は 生きる希望 絶望から見えてくる 愛という支え 人生の底に引かれた ぎりぎりのアンダーライン みたいなもの たった一つのアンダーラインに気付くだけでも 人は死に急がずに済む ありがとう。

回答No.3

愛とは; 自己の生命の組織(社会)性の認識によって、あらゆる衝動の発現に於ける利己過程に、利他が介在すること。 主として、性別(交配)・親子(生殖)・分業(組織)などに、個体生命の成立に於ける超個体的機能が顕著であるが、認識未だ及ばず、「自己の生存(反エントロピー)」という本質的統一性を、現象上に捕捉し得ない不完全な認識を補う、非認識的に組織化する上での近似的多元的に発達した多様な即物的衝動や他律的常識の集積による、内的矛盾に於て発生する自虐的意識行動に対し、その結果(非認識)的整合(→システム進化)に対する、形骸的概念として、主に性欲・自己顕示欲・虚栄心・偽善などの発現の上に、現象的定義域を持つ。 しかしそれは、この本質としての、生体外情報の処理システムたる認識による、自己の生命システムの組織性の追跡によって意識(必然=宇宙)を共有し、自我を超越するものではなく、近似システム(金・権力etc.)による自我の延長(自由競争)、あるいは歪曲した衝動(イズム)の手段としての自我の相乗(マイホーム主義・愛国心etc.)とでも言うべきものであって、つまり「利己過程に利他が介在する」事によって個体間闘争が回避されるのではなく、集団的に新たな、そして組織的ゆえにより強力で容赦ない、闘争段階の形成へと変形されるに過ぎず、飽くまで常識による常識の為の虚構であって、人を低認識(情動)化して充足減に導く、中毒(近充足)性毒物(非最大充足)に他ならぬ。 そこに於て、真の愛は、完全なる科学(原理認識)である。

noname#189751
質問者

お礼

ん、 ん、 ん。 愛とは不可解 不可解なる真実とは 完全なる科学? 完全とはあるのだろうか? pさんの愛は「完全」らしい 壊れそうで壊れない愛 不完全に生みだされてしまう愛 誰か語ってくれ 取り敢えずpさんにお礼 ありがとう。

回答No.2

 「 」内は一から十まですべて「違います」で埋めて完成させました。  “解説を許可”なんて言われると、したくなくなりますね。      

noname#189751
質問者

お礼

ん、 ん、 ん。

  • bgm38489
  • ベストアンサー率29% (633/2168)
回答No.1

あの~ここは、自分のわからないこと、悩みを相談して、その回答をもらうサイトですが。 あなたの出す問題に対し、解答を寄せるところではありません。お間違いのないように。

noname#189751
質問者

お礼

ん、 ん、 ん。

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