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東京大空襲のB29は330機と聞きますが、

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回答No.4

まず、本のご紹介です。 奥住喜重・日笠俊男共著 「米軍資料ルメイの焼夷電撃戦」吉備人出版刊 http://www.amazon.co.jp/%E7%B1%B3%E8%BB%8D%E8%B3%87%E6%96%99%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%81%AE%E7%84%BC%E5%A4%B7%E9%9B%BB%E6%92%83%E6%88%A6-%E5%A5%A5%E4%BD%8F-%E5%96%9C%E9%87%8D-%E6%97%A5%E7%AC%A0-%E4%BF%8A%E7%94%B7/dp/4860690834/ マリアナ諸島に展開していた、カーチス・E・ルメイ少将指揮のアメリカXXI爆撃機集団司令部は、膨大なページ数の文書資料を残しました。攻撃目標である日本の諸都市に関する調査と作戦計画に始まり、攻撃当日の記録類、後日の戦果確認と攻撃方法の妥当性の検証にいたるまで、様々なものがありました。これらは、米政府の公文書であると同時に米軍の機密文書でもあり、永らく一般には公開されていませんでしたが、米国の情報公開法の規定により、一定の年数を経過したものは、米国の国益を著しく損なう恐れのあるものを除いて秘密指定が解除され、国立公文書館に於いて研究者の閲覧が可能となりました。 また、これらのうちの一部は、日本の国立国会図書館に複製されたマイクロフィルムのかたちで収蔵され、研究者の閲覧に供されています。 上記の本は、これら資料を解析して、B-29による日本空襲の実相をアメリカ軍側の視点からまとめ、できるだけ正確に後世に伝えようとする労作です。 では、個別のご質問に回答いたします。 >この330機は一斉に来襲したのですか?それとも50機ずつくらいが波状攻撃を行ったのですか? マリアナ諸島から日本本土まで片道およそ七時間、往復では十四時間以上の長距離飛行です。このためB-29は焼夷弾と燃料を満載してほとんど積載重量オーバーぎりぎりで作戦にのぞみました。 マリアナ諸島に展開する各基地から短い間隔で次々に離陸しましたが、それでも全機が離陸を終えるまでにはたっぷり二時間近くかかっています。上空で旋回しながら編隊を組む余裕などは無く,離陸したB-29から次々に日本目指して飛んで行きました。 昼間の攻撃なら日本の迎撃機に対する防御機銃の威力を集中させるために密集編隊を組みますが、夜間の攻撃では密集編隊は組みませんでした。夜間はB-29同士の空中接触による事故の危険があるのと、この時期には日本軍が本土決戦に備えて飛行機と燃料を温存する方針に転換していたので、日本の夜間戦闘機の抵抗がきわめて弱体化していたからです。 焼夷弾の投下も、各B-29が個別に指定された地域に投下しました。 >米軍は東京の詳細地図を持っていて、それを碁盤の目の様に分けて各B29がどのマス目に投下するよう指示されていたようですが、こんな地図はどこで入手したのでしょうか? これは「リト・モザイク」と呼ばれる航空写真を編集した写真地図です。私は戦災展で複写したものを見たことがありますが、ルーペで見ると木造家屋が一軒ずつ識別できるほど細密なものでした。米軍は爆撃に先立って、目標としてリストアップした日本の都市の上空に写真偵察機(B-29を改造したF-13と呼ばれる機体)を飛ばし、大型カメラでくまなく航空写真を撮影し、それを碁盤の目状に編集して写真地図を作成しました。 この碁盤の目には全て番号が付けられて、爆撃目標地点はこのリト・モザイクの番号で指定されました。広島と長崎に原爆が投下された時にも、命令書には投下地点として、都市名ではなくこのリト・モザイクの番号が指定されていたそうです。 当時の日本軍が、そうもやすやすと米軍に写真偵察を許していたのかと思うかもしれません。日本軍の側もアメリカが克明な偵察飛行をしていることは承知していましたが、本土決戦に備えて飛行機と燃料を温存する方針から、大規模な攻撃には反撃するけれども、わずかな機数のB-29が本土上空を飛んでもいちいち相手にしないことにしていたのです。 >夜間の空襲で米軍のレーダーはそこまで地図の情報とシンクロさせて精確に投下したのでしょうか? これについては、別のご質問で回答したページがありますので、そちらも合わせてご覧いただくと分かりやすいと思いますが、当時のB-29に搭載されていたレーダーは、陸地と海面の電波反射率の違いを表示して海岸線や湖の湖岸の輪郭をスクリーンにくっきりと表示しましたから、たとえば三浦半島の形や東京湾の海岸線の輪郭などがわかり、航空図と見比べる事で容易に位置を確認できました。 しかし、陸上の複雑な地形を識別できるほどの精度はありませんでしたので、半島の先端や湖の端など特徴的な地形を識別し、そこから何度の方角に何マイル飛行するという方法で目標に到達していました。精度としては、東京二十三区を個別に爆撃できる程度の精度はありましたが、特定の軍需工場だけを狙うという程の精度は夜間のレーダー攻撃では無理でした。 しかし、終戦間際には新型のレーダーが開発され、陸上の目標でも精密な爆撃が可能になりつつありました。 参考URL B29の日本爆撃は夜間でもレーダーを使用して http://okwave.jp/qa/q6170229.html

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