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捨て奸りというと、島津ですが
捨て奸りというと、島津ですが、徳川家康の部将クラスの玉砕こそ、本当の捨て奸りではないでしょうか?関ヶ原の鳥居元忠の伏見城での玉砕。三方原での、家康を逃すための夏目吉信。長篠での、鳥居強右衛門。 徳川のピンチを何度も救い、天下を取った意義ある捨て身の行動ではないでしょうか?
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- jkpawapuro
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回答No.3
武将単位、城単位での孤立無援での籠城や殿玉砕は珍しくありません。 捨て奸りとは兵卒数人単位で順次殿を務めるところが特徴で、負け戦で兵卒末端までそこまで統率取れていることがすごいのです。意義あるかどうかではありません。
noname#229784
回答No.2
自分が思うに、 当時、影武者など、重臣が当主の身代わりになるということはよくありました。 しかし、島津の恐ろしいところは、下々の一平卒に至るまでが捨て駒になれたことです。 戦国いろは歌、薩摩人の気風をとおして、島津独自の一種の軍国教育がいきわたっていたのではないでしょうか。 捨て奸りの他にも、囮部隊が撤退しつつ敵をひきつけ伏兵で包囲殲滅、鉄砲を使用しての全突。 複雑な作戦が実施できた一平卒の練度の高さは驚異的。
- あずき なな(@azuki-7)
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回答No.1
一番は服部半蔵だわ 本能寺の変で堺から伊賀越えするのに捨て身わ使ったわけだし まぁ半蔵は忍者だから死にはしなかったけど