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なぜ人を殺してはいけないのか。
「なぜ人を殺してはいけないのか?」 この問いかけに私はシンプルに答えられません。 シンプルに答えることができない問題のかもしれないのですが、 「シンプルに答える」ということを目標に答えを述べるなら、 みなさんはどう答えますか?
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- tao_brand
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それは「いけないこと」だからなのですが、なぜこのようなことを言うのかおわかりですか?そっちの方が重要です。 それは、人間、経験がないと理解できないことが多いからです。 おそらくあなたは子供で既婚者でなく当然子供もいないでしょう。こういう問いかけを自分自身にできるのは頭の冴える子に多いんですが、なんでも理屈で理解できると勘違いか自惚れを起こしています。とんでもない間違いで、幼すぎて笑いが起こります(大抵の大人は心の中で子供の行為を笑っています)。 人間、大抵なら大人になったら子を授かります。 子供を育てるとは自分の人生の反省でもあります。自分の全人格をぶつけないとできない作業です。子供に起こったことは全て自分の責任で、一切の言い訳は世の中に通りません。そのことは子供の内はわからないことです。 そういう苦労を経ると、この育んできた命を自分(親)以外の第三者が奪うということは許されないと、「人を殺してはいけません」と言葉で教えてもらわずとも理解できるようになります。身に染みます。 では親なら子殺しは肯定できるのでしょうか?これは一種の逆説です。普通親なら絶対に子供に不幸を与えません。だからそれをしてしまう親は既に人としての心を失っていると判断されます。そんな親はその瞬間に第三者に転落するのです。 自殺なら?自殺も同様です。子供の自殺と大人(親)の自殺は意味が違うことが多いです。親の自殺は家族に迷惑をかけないとか家族のためにということが多いです。 親は子供が生まれ時に、この世で幸せを感じて欲しいと願って、24時間365日気が抜けずに自分の全てもって子につくします。 あまり言葉にしては誤解を生みそうで怖いのですが、子供にはその幸せを感じる義務があります。子供の障害なんて大人にとっては大したことないのが多いです。イジメでも、大人が本気になったら解決できます。大人社会のイジメの方がそのエグさはレベル違いです。 ちょっと長くなりそうなので、ここでまとめです。 真理は真理です。この世で古代から常識と考えられている事柄は、その本質が真理であることがほとんどです。そしてそのほとんどが経験をふまないと理解できないことが多いのです。文字が生まれ、伝達媒体が発達すればするほど知識がひとり歩きし、頭で理解できることがすべて真理で尊いとの誤解が生まれました。しかしそんな誤解は子供の内だけなのです。大人になれば普通人ならつかめる真理です。 あなたの両親は、他の誰よりもあなたのことを大事と思っています。もしかしたら表現行為が不得手であなたはそのことに気付いていないかもしれませんが、誰よりもあなたのことを見抜いています。 生と死、恋愛、勉強・・そんなことは全て通ってきた両親です。あなたは親よりも先輩や先生の方がそういうことに詳しいと勘違いされるのかも知れませんが、親はそんなわかりきったこと、今更子供に話しても・・と心の中で笑っているかも知れません。
- sowow
- ベストアンサー率20% (18/90)
なぜ牛は殺していいのか なぜ鳥は殺していいのか なぜ魚は殺していいのか なぜ卵は殺していいのか 食べるからだ。。。 (;´Д`)書いてて怖くなったよう
- shift4
- ベストアンサー率65% (80/123)
理由をつけて「人を殺してはいけない」と教えられ、納得した人は、同様に理由をつけて「人を殺してもいい」あるいは「人を殺さなくてはいけない」と説かれれば納得してしまうかもしれません。 某殺人教団の様にです。 ですから、「人を殺してはいけない」と教える際は、理由をつけず、理不尽に、頭ごなしに決めつけると良いと思います。 「いけないからいけない」この程度で。
- dark-side
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「他人の生きる権利を侵害する権利は無いから」 哲学的な事や、感情的な話しは抜きにして、私はこう考えます。 もう少し説明しますと、 よく、 「人は何をするのも自由=人を殺すのも自由」 というい理屈を持ち出す人がいます。 行動の自由を、1つの権利と考えれば、 他の権利と大きさを比較する事が出来ると思います。 そして実際に比べた場合、大した大きさでは無いと思われます。 「個人の行動の自由<他人の持つ権利」 だと考えます。 これは別に「殺し」じゃなくっても、「盗み」等でも同じ事です。
- chaff
- ベストアンサー率30% (264/874)
自分が殺されてはいけないからです。
- mishichan
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人には、歴史があるからだと思います。 生まれて、親に育てられ、そして学校に行き、友達や先生とめぐり合い、大きくなります。 私は、苦労して100年近く生きてきたおばあさんが、事故等で死んでしまったら、すごく悲しいです。
シンプルにいえば「そう人類が決めたから」です。 シンプルでなくいうと ・人が人を殺してもいいとすると ・いつ人に殺されるか分からない (ちょっとした恨み憎しみで殺す、ことが起こる) ・殺されないようにいつも用心する ・用心するのはすごくストレスになる ・仲間内は殺しあわないように、仲間内できめる ・仲間内では用心がいらないけど、仲間以外では用心する ・やはりストレスはのこる ・殺すのはいけないというルールを作る ・ルールが通じ合う間柄なら、殺しは少ない このように考えると、どうして戦争(まぎれもない殺人の集合)が肯定されるのか、復讐のための殺人であっても罰せられるのか、判断力のない人がした殺人が罰せられないのか、という殺人に関するあらゆる場面での合理的な説明ができます。 その他の考え方がそれぞれ不十分であるのは、それぞれ反論が可能であるからです。例えば、 「自分が殺されたくないから」という考え方は、 「復讐のための殺人ならいい」、「殺されるべき人間ならOK」、「自分が死ぬのでないからかまわない」という反論が可能でしょう。 殺人は人類の固有の禁忌ではないようです。たとえば、古代ゲルマンの社会では、殺人は必ずしも罰せられず、たとえば、それに見合う経済的な保証をすれば罪に問われなかった、といわれます。また同時に、復讐など正当な理由がある殺人は罪や罰の対象でもなかったようです。 つまり、人類全体として殺人を禁忌とするようになったのは、人類が選び取ってきた結果であるといえるでしょう。もっともモーセの十戒には既に入っていましたから、人類が社会を構成するかなり初期から決められたこととも思えますね。 この意見の詳しいことをお知りになりたければ、そのものずばりのタイトルの本が出ていますから、こちらを参照してください。 「なぜ人を殺してはいけないのか~新しい倫理学のために」 小浜逸郎著、洋泉社新書680円 参照URLはイーエスブックスの紹介文です。 最後にもしよければ、どうしてこのような質問を投稿することになったのか、心のうちをお聞かせ願えればとおもいます。
- few24
- ベストアンサー率22% (104/472)
「人を殺すと罰せられる」というルールの中で生きているからです。 このルールが無ければ、いつ殺されても文句は言えず、自分が殺されたくない場合は、殺されないように時間と労力を割く必要が出てきます。 それではあまりに非効率で、社会が成り立たなくなるので、お互いの身の安全を保障する約束事をした上で、共同生活をしているわけです。(約束は理性という名の暗黙の了解でもあるし、法律という名の明文化されたものでもあります。) そういうルールのない社会では、人を殺してもかまいません。原始人なんかそうだったかもしれません。その代わり自分が殺される可能性もかなり高くなります。
- furudokei
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これ私も考えたことあります。 弱肉強食の世界で何で人間が優遇されるのか? 腹へって死ぬくらいなら人殺して食べるなら問題ないのではないか? と、思い悩みました。 結論から言えば「死にたくないから殺さない」です。 殺人を認めたらいつか自分が殺されます。 だから殺さないのです。
- akamanbo
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あんまり人間を管理できてない神様の話は別として… あなたは現在、人を殺せる程度の能力を有して いるはずです。 殺したい人、そうでなくとも生きようが死のうが あなたにとってはどうでもよい人が回りに必ず います(大半の人間がそうですよね)。 にもかかわらず、あなたはなぜ人を殺さないのか? と考えてみればよろしいかと思います。 「殺してはいけないのか」という問い方自体が 違うのです。
お礼
回答を寄せていただいたみなさん、 ありがとうございました。 人の数だけ意見があるということがわかりました。 人の死を見ることはあっても、 自分で死を体感することは1度きり、 自分が死ぬ時までわからないので「死」ということはどのような形で自分の身におこるかわかりませんが、 できることなら自分の最後は「殺される」という形で迎えたくないです・・・ ゆえに「人を殺してはいけない」と言ってよいのか・・・ もう少し考えたいと思います。 貴重な意見ありがとうございました。