知行合一とは何か?陽明学で知行合一と言うことを言います。

このQ&Aのポイント
  • 「知っているなら行動せよ」あるいは「知識は行動を伴ってはじめて完成する」というほどの意味です。
  • なぜ、こんな当たり前のことが「陽明学」という一派が成り立つほどに(立派なことのように)言われるのでしょうか?
  • 「知ったかぶり」をする人間がいるのは知っています。しかし彼らは、(行動を伴わない結果)しだいに恥をかくようになり、自分で自分を苦しめ、追いつめて行く結果になります。それなのに、その時だけの虚栄のために「知ったかぶり」をすることへの戒めでしょうか?
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知行合一とは何か? 

陽明学で知行合一と言うことを言います。  「知っているなら行動せよ」  あるいは「知識は行動を伴ってはじめて完成する」  というほどの意味です。  ここからが質問です。  なぜ、こんな当たり前のことが  「陽明学」という一派が成り立つほどに  (立派なことのように)言われるのでしょうか?  1 世の中に「知ったかぶり」をする人間が   いるのは知っています。   (正確に言うと、最近知りました ww)   しかし彼らは、(行動を伴わない結果)   しだいに恥をかくようになり、   自分で自分を苦しめ、追いつめて行く結果に   なります。   それなのに、その時だけの虚栄のために   「知ったかぶり」をすることへの戒めでしょうか?   つまり、「知ったかぶり」をするミニインテリへの   警句。転ばぬ先の杖。あるいは   老婆心? で言われたものでしょうか?  2 ひょっとするとという可能性を考えます。   たとえば王陽明が出現した当時、あまりにも   口先だけのインテリがはびこっていて   それを一刀両断し、社会変革を進めるための   「誰にも否定できない」便利な「真理」として   便宜的に使い始めたと言うような   いきさつがあるのでしょうか?    どうもしっくりきません。  いっしょに考えていただける方が  おられれば幸いです。            

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • gadovoa
  • ベストアンサー率28% (835/2910)
回答No.1

面白い命題ですね。 このような問題に会えるのも「教えて」の良い所ですね。 >なぜ、こんな当たり前のことが  「陽明学」という一派が成り立つほどに  (立派なことのように)言われるのでしょうか? >「知っているなら行動せよ」  あるいは「知識は行動を伴ってはじめて完成する」  というほどの意味です。 まずこの出だしで間違っています。 >知っているなら行動せよ。 >知識は行動を伴って初めて完成する。 これでは既に知と行が乖離しています。 本来知と行は同一しているというのが真意です。 ここは根本なので 中々一回で急所を掴むことはできないと思いますが、 できるだけ簡単に説明します。 (私のような中途な人間が説明すること自体が おこがましい限りではありますが) 逆説的に考えて見ます。 あなたは親や恋人等大切な人を 包丁等でメッタ刺しをして殺したいと 思ったことは無いですよね? 思いもしないから行動になんて出ません。 逆も真なりで、 思うことは既に行動しているということです。 昨今(中世)の学者は 思うことと行動することは二元的であると考えていました。 タバコを吸うと病気になる。(知) タバコを吸わない(行) タバコを吸う(行) 病気になることを知っているから吸わない。 これは知行が合一していますが、 病気になることを知っていてもタバコを吸う というのは陽明的に言えば「知らない」ということなのです。 タバコの害を知らないから吸う。 しかし、先ほど言ったように中世の学者は 知っているけど、タバコを吸う。 これは知と行は乖離していると説いたのです。 この二元論では「心即理」「至善」「未発の中」 のような考えには至れないのです。 元々陽明は知行合一を説いたのではなく、 理を求めていました。 それは孔先生が説いたものと同じです。 話は変わりますが金で重要なのは量ではなく質ですよね。 人間も同じく、粗悪な情報社会で損得勘定に沿って 大衆迎合し俗物になり人間としての品位を落とすより、 粗悪な物を排除してより純金のように 質の高い生き方をした方が善いと説いたのです。 その中で知行合一を説いただけです。 陽明の素晴らしい所はその論理的な知であって、 先ほど言ったように善く生きるためのことが書かれているのです。 知ったか人間を戒めようという本ではありません。 しかし、善く生きるために知ったか人間を戒めているとも 言えるでしょう。 この本は(他の哲学書と同様) 薬のようなものなのです。 もしあなたが今聞きたいことや解決できなことに対して 答えが合致していたのなら、 私のこの意見も薬となり効き、あなたの思考の曇りを晴らすことが できるでしょう。 しかしそうでないのなら、この意見や本は毒にしかなりません。 もしこの回答に興味があるなら 是非「伝習録」王陽明 中央公論社を読んでほしいです。 この部分がわかれば形而上学やソクラテス等を読んでも 理解しやすいかと思います。

arakan
質問者

お礼

 さっそくの回答ありがとうございました。   ご指摘のとおり、伝習録を読みなおしました。  どうやら、儒教、なかんずく孟子(の義)を再興した  朱子の学派(12世紀)が三百年もたって  形骸化し(理に傾きすぎ)、さらにそれを再生すると言う形で  探求を重ね、良知に至ったのが  王陽明(15~16世紀)だったというところが真相のようですね。  私たちは後世から見るので  その時代環境を見落としがちになるので  違和感があるということのようです。  ご回答ありがとうございました。    

その他の回答 (5)

回答No.6

「知」とは本来、環境認識であり、意思を展開し、 「行」につなげるものであって、「知行」が一致し ない方がおかしい。 「知識は行動を伴ってはじめて完成する」どころか、 『行動』とは認識(知)の中で行われているのだ。 要するに、環境にありもしないものを認識する所に、 「知」と「行」が分離する原因があると言える。 真の生きる目的たる「自己の精神的充足量の、 人生を通算した最大化」とは関係のない、糖尿 病になるほどの豊かさや、助け合うための社会 行動において奪い合うといった奇「行」の根底 には、お金や権力、善悪といった、人の意識の 自己チューさを他律的にコントロールするための 社会的虚構がある。 「バカにつける薬」は、毒でもあった。

回答No.5

「知行合一」の考え方が違うようですが、歴史を追うと何故陽明学が出てきたのかが分かります。 陽明学は、朱子学に疑問を持った王陽明が「明」の時代に立てた考えです。 そして、朱子学は、「南宋」といわれる時代に朱熹により立てられた考えです。 双方とも孟子の性善説をベースにしています。 大きく違うのは、朱子学の「南宋」時代は漢民族が女真族の金に南に追いやられていた時代で、本来中国を支配すべき民族がその正統性を実現できていない時代です。 そのため「性即理」という考えを持ちだして、感情をコントロールして、正しい行いをしましょう、そうすれば我々は再び中国全土を支配できるようになります。という論理に帰結しています。 ここでは【知】が先にあり、その後、【行】にいたると考えられていました。 一方「明」は、「金」「元」と中国の支配を異民族に許していた漢民族が、朱元璋によって再び中国全土を支配した時代です。すると、朱子学が打ち出していた考えが卑屈に思えてきます。 わざわざ頑張りましょうといわなくても、今の行動がそのまま正しいと思える時代になったのです。 そこで「知行合一」という考えが登場しました。これは、感じたことがそのまま行動に反映されているのだから、朱子学のように【知】が先で、その後で【行】はおかしいと言っているに過ぎません。 朱子学の時代では、知行合一と考えてしまっては、金に南に追いやられた漢民族は、知でも劣っているということになってしまうので、絶対に認められない考えでした。 これが明の時代になり、次第に元気を取り戻した漢民族が思想として朱子学を否定できるようになったので陽明学が受け入れられ一派をなすにいたりました。

arakan
質問者

お礼

時代背景としてはそういうことのようですね。    その結果、ますます朱子学が  「理=知」に傾き、それを  王陽明が本来の孟子さらには  孔子の教えを復活した。  そういう流れのようです。  回答ありがとうございました。  

回答No.4

「陽明学」についてはまったくの無知です。 以下は、「知る」ことと「行なう」ことについての雑感ですが、参考になれば。 「泳ぐ」ことを「知っている」とは、「右手と左手を交互に前に差し出して~~~」といったことを知っているのではなく、 実際に「泳げる(泳ぐことを行なう)」かどうかです。 英語を「知っている」ということは英語を「使える」ということと同じです。 あるいはモノの役に立つことを「知」といってもいいかもしれません。 そうして実践して得たものの蓄積もまた「知」ではありますが、それをつぎつぎと新たな場面で使って実現していかねばならないわけですが、前と同じ場面が繰り返されることは原理的にないのだから、知はその都度実行されて知になるほかはない。 また人がある「理想」を「知っている」というならば、それに近づくような努力をしないでいることは「知っている」ことにもならないということではないでしょうか。 道端に傷ついた動物が横たわっているとき、「憐れ」だと「知る」ことはその動物に「手を差し伸べる」ことと「同じ」だという感覚です。 たとえば「泳ぐ」の例でいえば、実際に「泳いでいる」ときににみ「泳ぎを知る」というよりは、私たちはつねに「泳ぎを知らない」状態にあるのです。泳ぎの名人こそたぶんん「私はまだまだ泳ぎを知らない」というのではないでしょうか。 「泳ぎの知」とは途上にあるとの謂いではないでしょうか。 以上を道徳論として理解できるような気がします。 私たちが真に道徳的であろうとしたら、道徳的な人ほど、まだ未熟ということが常態になるように思われます。 道徳において(よく生きることにおいて)、知行合一であるとは至難のわざではないでしょうか。

arakan
質問者

お礼

いや、おっしゃるとおりなのです。  ご回答ありがとうございました。  

  • tattaro
  • ベストアンサー率19% (30/153)
回答No.3

ここに書き込んでる方の殆どが、知ったかぶりの行動欠如人間ばっかりなのかと感じます。

  • MOG777
  • ベストアンサー率14% (20/139)
回答No.2

すばらしい質問と回答ですね。 No.1さんの繰り返しになるかもしれませんが あるお坊さまの言うことには、腑に落ちれば行動はついてくるらしく 私はそれが「知行一致」だと思います。

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