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桶狭間の戦い後について。
桶狭間の戦いでは、豪雨で移動の音がしない時に織田信長が正面から突撃を仕掛けて、それが偶然にも今川義元の本隊であり、今川義元の警護の兵はあまり先頭慣れしていない兵が5000人ほどに対して、信長の精鋭2000人がぶつかって信長が勝利した、と言われていますが(いろいろ説がありますが今回はこれでお願いします)。 これについて、桶狭間の戦いの後に信長自身が、「実力も器も今川義元の方が上だった、自分が勝利したのは、ただ運が良かっただけ。」というような趣旨のことを言ったって本当ですか? 参考になるサイトや本があったら教えて下さい。
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- lasah
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回答No.2
信長公 武功夜話 を一読なさるのがよろしいと存じます この話でみなさんが忘れてることが 尾張はもともと今川氏の領国で 織田信秀が掠め取ったことが背景にあります 今川にとっては失地回復戦であり 織田にとっては総力戦でありました 大高城に拠っていた水野氏が安祥城攻めに1000人を出せた状況で 織田氏が動員できた兵力の見積もりが好くなすぎると感じます
- ikuzecia
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回答No.1
織田信長の話は英雄にはつきものですが 後で面白おかしく作られたものが多いです。 一級品の資料としては信長公記が有りますが たぶんそんなことは言ってなかったと思います。 でもそう思ってたに間違いないと思いますよ。 人間大勝利をするとそれが実力と思い 同じ戦法を行うからです。 日露戦争に勝利した日本がその典型ですね。 信長はこの戦のあと少人数で多人数の敵に 本隊ごと突っ込んで奇襲をかけるという戦はしなかった です(天王寺砦の戦いは除く、この敵は烏合の衆と 判断したので) 桶狭間のあと数多くの戦いをしますが、敵勢力の有力者の買収などを 行い準備万端、相手に倍する兵力、兵器をもって 戦を行ったからです。