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宮崎交通が蓄電池機関車・蓄電池動車を使った理由は?
1962年に全廃された宮崎交通 宮崎交通線は、蓄電池機関車・蓄電池動車を使用していたとのこと。wikipediaを参照するに1950年前後に導入したそうで、無煙化という時代の潮流に沿ってのことと理解できるのですが、 質問1/なぜ内燃ではなく蓄電池だったのでしょうか。 質問2/逆に、なぜ宮崎交通以外の鉄道会社は本線用に蓄電池車を採用しなかったのでしょう。 質問3/D級の蓄電池機関車など、存在したことさえ知らなかったのですが、帝国車輛製というED1、ED3は事実上オーダーメードだったのでしょうか。 質問4/廃止時まで蒸気機関車を使用していた、つまり結局は無煙化は果たせなかったようですが、それはどのような事情からでしょうか。
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- FEX2053
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宮崎交通のバッテリーロコは「石炭・石油の入手困難」が 導入の主原因だった筈です。 あの当時の宮崎を考えると、その手の物資輸送が非常に 困難だったという点が挙げられます。大きな港も無く、使え るのは国鉄のみ、それもいつ着くかわからない(貨物ヤード の滞留が問題になって居た時期です)。結果として値段は 高く品切れが多い。 だったら、とりあえずは来ている電力で何とかしよう、と考え るのも仕方ないと思います。更に言えば「バッテリーロコ」は その当時鉱山などでよくつかわれていた、という背景もあり、 安価に入手しやすかったとも考えられます。多分そのD級も 鉱山の注文流れか見込み生産品ではなかったかと。 当然、元が鉱山用の間に合わせですから、性能も大したこと なく、使いにくかった筈。あくまで「蒸気機関車の代用」です から、無煙化なんぞ初めから考えてません。実際に牽引力を 要求する列車は、安定して使える蒸気運転だった筈です。 ちなみに、淡路交通、越後交通など、地方私鉄の電化は、 「無煙化」ではなく、エネルギーコスト上昇によって、相対的 に電気の方が安くなった事が大きな理由です。
- TooManyBugs
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#1です。 あまりにも出鱈目な回答が付いていますので補足します。 案内軌道が営業営業開始したのは札幌市の1971年、海洋博KRTの1975年からで宮崎交通とは全く無縁です。 この当時ガスタービンはジェット戦闘機以外実用化されていません。 また日本ではガスタービンを使用した鉄道車両は今日に至るまで実用化されていません。 以下も全く荒唐無稽な作り話ですので信用なさらないように。
お礼
ご指摘ありがとうございます。私自身は適当な塩梅で判断できるのですが、不特定多数が目にするサイトですから、このような指摘の明示は重要かつ有り難いものと受け止めます。 ただ、ものすごく細かな、重箱の隅をつつくような、ただの単なる言葉の誤りではありますが……。「ジェット戦闘機」以外に「ジェット爆撃機」も実用化されていましたね。すみません、ミリオタ的にはこだわりどころなので。
補足
私がフォローする話でもありませんが、「ガスタービン」と書かれているのは「天然ガス動車」のことでしょう。たしか青梅のあたりでまさに「電化するまでの繋ぎに採用されていました」。「案内軌道」と書かれているのは、戦前から出願だけはあったモノレールのことかと思いますが、「(ガイドウェイバス)」となると私にはわかりません。
- tetu758
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鉄道史を研究し、鉄道サークルで指導をしていますので回答します。 内燃ではなくバッテリーであったのかについてですが、使用する軽油よりも短距離であれば、バッテリーの方が有利な場合がありますし、他には無軌道電車(トロリーバス)、案内軌道(ガイドウェイバス)等が終戦後には導入されています。炭坑等の資材運搬を行う専用鉄道では採用されており、特殊用途の場所以外では採用されていませんでした。 他の私鉄(大手の私鉄でも採用)はガソリン車やガスタービンを採用しており、燃費踏破は悪く、物資不足から木炭車を採用していました。名古屋の名鉄の例ではガソリン車を改造していますし、ガスタービン車は短期に使用された後に電化するまでの繋ぎに採用されていました。 現在のJRに於ける使用例ですが田端駅からの貨物線(当時の常磐線は田端駅が起点)が途中に火薬倉庫があり、危険との判断で連絡先であった東武鉄道の中千住信号場までを走行し、スカイツリーのある業平橋駅での入れ替えに使用されていました。バッテリー式は現在では見直されており、JR貨物の基地内入れ替えに内燃機関車に替わって北海道の大地で働いています。 ガスタービン式、バッテリー式の機関車は譲渡後に改造されてからの使用か特別注文ですので殆どが前者ですが、宮交の場合は電化よりもバッテリーの方が鉱山や炭鉱に最悪の場合に転用できる考えで後者を採用しました。 宮交の場合は現在のJR九州日南線(当時国鉄)に譲渡の話がありましたので、余計な出費を抑えたかったのが理由です。これらの場合は買収後に一部を除いて改軌や土盤を強化しての編入ですのでそれが解っているので電化は採用はしません。湖西線(JR西日本)も同様な経緯ですし、現在の天竜浜名湖鉄道も同じ理由で行いませんでした。
お礼
ありがとうございました。
補足
度々お世話になります。ガスタービンと案内軌道と、ついでに「内燃機関車に替わって」のくだり(HD300は蓄電池車でなく電気式ディーゼル派生のハイブリッドでしょう)と、天浜線(二俣線から光明電気鉄道にまで遡っても江若鉄道等と同様の理由で電化されなかったとの経緯は無かったかと思います)の件は、ここでは主題ではないのでさておきます。 「バッテリーの方が鉱山や炭鉱に最悪の場合に転用できる考えで後者を採用しました」についてですが、実際、ED1、ED3は廃止後どうなったのでしょうか? 車齢は10年余、潮風を受けていそうな路線ですが、まだまだ充分走れたはず。やはりどこかに譲渡されたのでしょうか。
- TooManyBugs
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回答1 石油の入手も困難であったため。 昭和27年までは石油類は統制品目であり自由に購入できるものでは有りませんでした。 当時使用されていた内燃車は代用燃料(木炭ガス、天然ガス)か連合軍関係に限られます。 一部の鉄道では表向き代用燃料車の始動用などとして割り当てを受けたり闇で入手して動かしている程度です。 宮崎交通の場合昭和19年に内燃車を廃止しているので新たな内燃車の認可、石油の割り当てを受けるのは困難でしょう。 回答2 通常では採算の取れない程度の需要であってもこの時期に電化している鉄道が多数有ります。 宮崎交通の場合その程度の需要もないので蓄電池車を採用したのでしょう。 回答3 日本ではいわゆる産業用機関車以外ではレディーメードの機関車は存在しません。 回答4 無煙化が目的ではなく石炭の高騰、入手難に対応する物ですから廃止する理由が有りません。
お礼
ありがとうございました。
補足
すみません、ちょっと言葉が足りませんでした。「ED1、ED3は事実上オーダーメードだったのでしょうか」というのは、「一からの新設計だったのか、それともある程度設計が共通の機関車(BLであれELであれ)があったのか」くらいの意味です。 そもそもの疑問は「さほどの需要が無いならB級で充分だろうに何故D級なのか?」です。中古改造ならまだわかるのですが、新製車だという。「完全新設計の新製車、しかもD級とは、宮交には過ぎた買い物ではないか? 程度はさておき設計の流用があったのではないか?」 前者だとしたらそれでも導入した理由は何か、後者だとしたら兄弟車は何か。このあたりの事情をご存知でしたら教えていただきたく、お願いいたします。
お礼
ありがとうございます。 燃料統制という歴史的な背景のみならず、宮崎の地理的事情も影響していた、ということですね。 「実際に牽引力を要求する列車は、安定して使える蒸気運転だった筈」、なのにどうして蓄電池機関車としては異例のD級なのかという疑問は残るのですが、見込み生産品である可能性があるのなら、ちょっとそこを探ってみようと思います。今の感覚では異例でも当時の炭鉱路線には需要が見込めたのかもしれませんし。