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自分と他人との色の見え方はどの位違いますか?
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こんにちは。 赤いリンゴが青く見えるというのは、これはクオリアの説明ではないです。これは「クオリアの逆転」というパラドックスであり、青く見えていたとしても確かめようがないという前提を基にした哲学的な詭弁です。ですから、無理に納得する必要はないです。 一般的には、「赤いリンゴが赤く見えるのがクオリアである」、そして「それが何故か?」というのが飽くまでクオリアの概念であり命題です。
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- suiran2
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赤に関しましては、正常者でも見え方が違うはずです。赤を感知しますLオプシンというタンパク質には、180番目のアミノ酸がセリンのタイプとアラニンのタイプの二種類があります。これを遺伝子多型といいますが、セリンタイプとアラニンタイプでは5nm吸光ピークが異なります。これはかなり異なるといって良いのではと思います。 セリンタイプ(Sとします)は68%で、アラニンタイプ(Aとします)は32%です。この遺伝子はX染色体上にありますから、男性ではX染色体が一本しかありませんのでSかAかになります。しかし、女性ではX染色体が2本ありますから、遺伝子型では、S/S、S/A、A/Aの三種類が存在します。ここでヘテロのS/Aと2種のLオプシンを持つ女性は、47%の割合のようですが、彼女らの色覚は4色型です。 具体的には、男性の場合には鮮やかな赤と感じている赤色に違いがあることになります。また、女性の場合には、ヘテロ型の4色型の女性は、男性や他の女性が識別できない赤を識別することが出来ます。女性は赤い色の服が好きですが、約半数の女性にとっては赤をより識別できるからかも知れないなと思っています。 色覚の進化について下記のURLも参考にして下さい。 http://www.brh.co.jp/katari/shinka/shinka.html
お礼
>これを遺伝子多型といいますが、セリンタイプとアラニンタイプでは5nm吸光ピークが異なります。これはかなり異なるといって良いのではと思います。 どの位違うかということははっきりわかっていたのですね。 >具体的には、男性の場合には鮮やかな赤と感じている赤色に違いがあることになります。また、女性の場合には、ヘテロ型の4色型の女性は、男性や他の女性が識別できない赤を識別することが出来ます 一度それぞれの視点で色を見てみたいものですねー。 赤以外にもあるのでしょうか。 回答ありがとうございました。
- 雪中庵(@psytex)
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色彩とは、可視光の波長の違いという1次元に、五感の相関した 経験による多次元が付加される事によって生じるものです。 人間の脳には、五感の相関した経験の蓄積において、次にその 1つの感覚(情報性の高い先行感覚)を同じパターンで刺激された 時に、五感の総合したイメージ(ニューロネット)を励起させるという 働きがあります。 その最も分かりやすい例が、色なのです。 その「波長の連続的変化」という一次元に、五感の相関した経験 の蓄積において、特定の波長に対して条件反射的に(その波長に 伴う経験の)印象が付加される事で、“多彩”さは生じているのです。 赤の印象を分析すると、火や血、肉、花などの異なる原因による 長波長を伴う現象の経験(温かい、危険、食欲など)が、青には、 水や空といった短波長を伴う現象の経験(冷たい、爽やか、静寂 など)が、潜在している事が分かるでしょう。 物理的には、「赤は青の反対」などという根拠は、どこにもないのです。 また、波長は短い波長から長い波長へと一方的に続き、三原色とか、 色環のような連続といった根拠もありません。 それは、「一方的に続く」波長を網羅すべく、網膜上の色覚細胞が 三種類(三原色に対応)あり、また、その中で一番波長の長い赤 に対応する色覚細胞が、一番短い青の色覚細胞が限界に達した 時にもう一度励起されるため、赤みがかった紫を感じるのです。 これは、赤という色が、炎や血など生理的に重要な経験と結び ついていて感受性が高い(同じ明度なら明るく感じる)事に由来 すると考えられています。 その色の感受の個人差は、生後の刺激が大きな要因となる脳の 発育における、遺伝的、自然環境的、文化的な違いによります。
お礼
>その「波長の連続的変化」という一次元に、五感の相関した経験 の蓄積において、特定の波長に対して条件反射的に(その波長に 伴う経験の)印象が付加される事で、“多彩”さは生じているのです。 経験によって見た時の印象が変わるものだったのですか! 確かに気分によって色の見え方が違って見える様な気がしたことがあります。 >また、波長は短い波長から長い波長へと一方的に続き、三原色とか、 色環のような連続といった根拠もありません。 そういえば自然と波長と色相環はなんらかの関係があるものだと思い込んでいました。 >その色の感受の個人差は、生後の刺激が大きな要因となる脳の 発育における、遺伝的、自然環境的、文化的な違いによります。 子供の時から多くの絵を見て育ったとしたら、普通の人とまた違って色が 見えた可能性もあったのですねー。
私は関数で考えてみたらどうかと思います。つまりy=f(x)で同じ刺激xでも yはf( )によって異なります。しかしお互いが確認できるのはxのほうだけです。f( )そのものが同じかどうかは確認する方法がないのではないかと思いますが、ある特定の個人の網膜に入ってくる波長のすペクトラムが変わるような出来事があれば同じxであっても yが異なって感じられることはあるはずだと思います。色でありませんが、異常に長い顔を描くことで有名なエルグレコは目がおかしかったのではないかといった人が、エルグレコが感じた(見た)通りに筆を運んでいたら、(エルグレコにどのように見えても)一般の人が見えるように描いたはずだと反論されたという話があります。
お礼
>f( )そのものが同じかどうかは確認する方法がないのではないかと思いますが、ある特定の個人の網膜に入ってくる波長のすペクトラムが変わるような出来事があれば同じxであっても yが異なって感じられることはあるはずだと思います。 確かに人によって光を受け取った後、異なった変化をしているのかもしれませんね。 ピカソも一般人にはよくわからない絵を描きますが普通の人と違ったと考えると面白いですね。 回答ありがとうございました。
- okormazd
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自分の見ている「赤」色が、他人が同じ「赤」色に見えているかどうかは、確認の方法がないでしょう。色相環などでの色の説明がお互いに矛盾なく合意できたとしても同じ「赤」と感じているかどうかはわかりません。仮にそれぞれが違う色に感じていたとしても全体としてお互いに整合性があれば世の中が混乱することはありません。 私は、10年以上前に白内障の手術で、眼内レンズを入れ替えました。このとき、入れ替える前と後で、色が違って見えました。全体が青みがかって見えるようになりましたが、しばらくすると慣れて、前と同じ色に感じるようになりました。 たぶん、子供の時にはもっと青みかがって見えていたのが、年とともに目の感度が衰えて赤みがかって見えるようになったのだと思いますが、それに慣れて赤みがかっているのが普通の状態としていたのでしょう。他の色との関係では全体として整合が取れているので、他人との関係で不都合は発生しないのです。 したがって、色相や明度、彩度に本人と他人との間で整合性があれば、仮に違う色に見えていたとしても問題にならないし、このときお互いに「同じ色」を見ているとしてどこにも矛盾は生じないのでしょう。 もし、多くの人が合意している整合性から外れている人がいれば、それが異常とされるのではないでしょうか。
お礼
>仮にそれぞれが違う色に感じていたとしても全体としてお互いに整合性があれば世の中が混乱することはありません。 確認する術が無いので、もし感じている色が違っていてもわからないですよね。 正反対な色が見えていても整合性がとれているのであれば不思議です。 >全体が青みがかって見えるようになりましたが、しばらくすると慣れて、前と同じ色に感じるようになりました。 青を目が補正して赤にするという事があるとは驚きました! 考えれば考えるほど謎ですね・・・ 回答ありがとうございました。
赤が青に見えた人は病気ですから、人により見える色が違うことはありません。その様な事があるなら、世界は大混乱ですよ。
お礼
クオリアと色盲の違いって難しいですね。 私も質問を書いていてごっちゃになっているかもしれません。 回答ありがとうございました。
お礼
>赤いリンゴが青く見えるというのは、これはクオリアの説明ではないです。これは「クオリアの逆転」というパラドックスであり、青く見えていたとしても確かめようがないという前提を基にした哲学的な詭弁です。ですから、無理に納得する必要はないです。 色々なサイトでそのように解説してあったので、 信じていたのですが極端な例だったのですね。 >一般的には、「赤いリンゴが赤く見えるのがクオリアである」、そして「それが何故か?」というのが飽くまでクオリアの概念であり命題です。 それが何故か?がわからないという概念自体がクオリアなのですね。 回答ありがとうございました。