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死産したきょうだいの供養
仏事に詳しい方、いらしたら教えてください。 母が10ヶ月で死産した子供(私のきょうだい)を全く供養していません。 遺骨、位牌、名前、戒名等、何もありません。 母としてはなかったことにしたいらしく、その話をすると恐慌状態に陥り話になりません。 ですが、私の方が気になっています。 10ヶ月で普通に出産して死産だった子供ですから、私としてはお墓に入れてほしかったです。 母の抵抗に遭わないように、私の方でなんらかの形で供養したいですが、仏壇は母が持っているのでどうしようもありません。 母とは一緒には住んでおりません。 すでに45年経過しております。 一般でも法事は50回忌までですよね。 このままですと、彼女は供養というものを全くされないまま50年を経てしまうことになります。 一番母の抵抗に遭わない方法は、母が亡くなってお墓に戒名を刻む時に彼女の戒名も一緒に刻んであげることだと思いますが、この方法ですと10年くらい先になってしまいます。 私の家に小さな仏壇を買って、そこに位牌を置いてあげて、将来母が亡くなったら家族の仏壇と一緒にしてあげようと思うのですが、他にいい方法はありますか? ちなみにうちの宗派は浄土真宗ですが、特に信心深いというほどでもありません。
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- kaede-com
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うーん、難しいですね。 ご質問者様は信心深くないのですよね? それなのに兄弟の供養をしたい。どうしてでしょう? その方が私には理解しがたいです。 ・・・というのも私もご質問者様と同じだからです。 私は1番上の子供です。 私が4歳くらいだと思いますが、母が妊娠していてお腹が大きかったのを覚えています。 お腹を触ると蹴られたことも覚えています。 母が病院で家にいなくて、祖母がうちに来ていたこと、その日の夜に祖母が泣いているようだったことなど覚えています。 でも、子供心に聞いてはいけないような気がして、そのことについてあまり触れたことはありません。 正確にはいくつの頃だったか忘れましたが、2回くらい父にそっと尋ねてみたことがあります。 3番目の子供は女の子だったこと。死産のような状態だったこと。でも生まれたときの顔は綺麗だったこと。お骨は墓に入っていること。それくらいしか知りません。 私が中学1年の時に祖父が亡くなって、お墓にお骨を入れるところをみたのですが、成人のものより一回り小さい骨壷がありました。それが妹のものだったんだと思います。お墓に名前は刻まれていません。 供養らしいこと(何回忌とか)もしていません。 私はそれでいいと思っていますよ。 だって、両親がそうしたのだもの。 ご質問者様は供養などきっちりしたいようですが、1番大切なことを忘れていませんか? 子供を亡くして1番悲しいのはご両親ですよ。 特にお母様は10ヶ月もお腹で育ててきたんです。 生まれたら亡くなっていた(しまった)・・・それがどんな気持ちかわかりませんか? お母様がその話をすると恐慌状態になってしまうのはどうしてだかわかりませんか? 私はお母様ではありませんからその心中はわかりません。 なかったことにしたいのかもしれないし、そうでないのかもしれません。 でもきっとお母様の心の中で忘れることはないと思いますよ。 供養というのは目にみえる形だけが全てではないと思いますよ。
- ROKABAURA
- ベストアンサー率35% (513/1452)
基本に返って仏にとって 名前を刻むことは必要ではありません。 むしろ生者の習慣です。 大切なのは心であり想いであり念であり その依り代としての仏具です。 形がなくとも繋がりはあり続けます。 それをどのように扱うかは本人 この場合特に親の問題です。 お母さんの了解なく お母さんが亡くなった後に名前を刻むことに 意味があるとは思えません。 むしろ心から手を合わせて仏壇で拝んであげるか 水子地蔵にお参りした方が良かろうと。 依り代は小さな地蔵のマスコットでも。 物ではなく心の繋がりですから。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >大切なのは心であり想いであり念であり おっしゃるとおりです。 その「想い」が母にはないようなので私ができるだけのことをしたいと考えました。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >ご質問者様は信心深くないのですよね? >それなのに兄弟の供養をしたい。どうしてでしょう? >その方が私には理解しがたいです。 信心深くないのは母をはじめとする母方の親類です。 ですから私の方が気になっているのです。 親戚にも死産をされた方があり、その方は名前、戒名をつけてお墓に入れてあげています。 それを見た母は「そんなことにこだわるのは馬鹿」と申しております。 母にとっては汚点でしかないのです。 それで私はきょうだいを不憫に思って、気持ちだけでも供養してあげたいと思ったのです。 彼女のことを気にかけているのは私だけのようですので。