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この世の美しさ

あなたが見たこの世の美しさをお聞かせください。

質問者が選んだベストアンサー

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noname#231544
noname#231544
回答No.1

大パノラマの田園風景に出会ったとき、 なんて美しいんだ!と感激したことがあります(*^。^*) あと、朝の通勤時で片側二車線道路が大渋滞のときのこと。 はるか後ろから救急車のサイレンが聞こえ、 正直「この状態で救急車が通り抜けられるわけがない」 とドキドキしながら出来る限り端へ寄っていたら、 みんな同じようにちょっとずつちょっとずつ端に寄って、 左車線と右車線の間にじわじわと道が開け、 救急車が通って行ったときは なんだかこの国は美しいぞ!って感動しました。

noname#156094
質問者

お礼

ありがとうございます。 田園風景はいいですね。 素直にきれいだと思います。 車の移動のこともなるほどと思いました。 助け合いの美しさですね。 自然も人も美しい・・・頂戴いたしました。

その他の回答 (7)

noname#141052
noname#141052
回答No.8

雲隠れにし月。 深夜に空を見てみると雲の狭間から月が顔を覗かせていました。

noname#156094
質問者

お礼

月ですか。 月に黒雲・・・ きらりと光っては隠れ、隠れてはまた光る・・・ 雲は生き物のように揺れ動いては去ってゆく・・・ 月の表情は実に多彩です。 それは星よりも近く、時には自分の影をも見せてくれます。 >月が顔を覗かせていました。 顔、というところに感覚がありますね。 さて、どのような顔なのでしょう。 薄いベールをまとった妖しげな顔・・・ そのへんにしておきましょう。 間違っても望遠鏡で覗かないように・・・しましょう。

回答No.7

(皆さん、これまで見た美しいものを挙げておられるので僕も建築家として) 美しさの根底には、本能的に人が求める環境への志向が あります。 その意味で、自然の美しさは言わずもがなで、海といわず 山といわず、世界中で絶景を目にしました。 ところが、人のつくったものとなると、経済的困窮や技術的 未熟によって、なかなか美しいものは目にしません(だからこそ その中に美を求める芸術が生まれるのでしょう)。 ただ、伝統的な物は長い歴史の中で、その「本質的に美しい」 自然環境と一体になって育まれているので、質素であっても、 自然に溶け込んだ姿で、美しいものが少なくありません (日本だと高山の合掌造りとか)。 僕の感動したのは、協力隊で3年暮したブータンの20数ヶ所 の県庁は3百数十年前に建てられた寺院(政教一致)であり、 険しいヒマラヤの南斜面に、あのような立派な城が20ヶ所も 建っている事など、想像もつかなかっただけに、その威容、 隔絶された環境でローカルな資材と技術だけで建てられた 巨大建築の有する、その圧倒的な美に、感動しました。 誰が設計した訳でもなく、数百年の間に増築を重ねてできた、 しかしそのような場合によく見られるカオスな感じではなく、 人々の信仰と自然との調和を体現した、生命力を感じる。 (写真は、手前がトンサゾン(城)、後方の集落が宿場町トンサ)

noname#156094
質問者

お礼

ありがとうございます。 ブータンでお過ごしになられたのは、大変に貴重な体験を得られたことと思います。 いわば陸の孤島のような辺境であればこそ、すべてが新鮮に見えたものと思います。 写真を拝見しますと、深い緑の中の建物がきれいですね。 装飾的な面もなく、落ち着いた感じのする建物ですね。 内も見てみたい感じもしますが、きっと撮影禁止なのでしょう。 >人々の信仰と自然との調和を体現した、生命力を感じる。 チベット仏教が今も息づく聖域なのでしょう。 建物の外観は大変に穏やかな感じに見えますが 内部には極彩色に彩られた宗教的装飾が満ちているのかもしれません。 そこには後期密教特有のエネルギッシュな世界があるようにも思われます。 そう思うと、相反したものが止揚されている不思議な静けさのようなものも感じられます。 昔、成田山の調査隊がスピティやラダックに入った報告を読んだことがありました。 海抜4000m以上の高地の寺院を訪ねた記録です。 ブータンとは違って緑はなく、ほとんどが岩山ばかりの険しい山岳地帯の辺境です。 写真を見てみると、ごく簡素な建物ばかりです。 学術調査ということで、内部撮影も許可されて一部が載っていました。 それらを見る限りでは、後期密教の世界ではあっても、小規模なせいか、どことなく穏やかな感じがしました。 写真で一番インパクトが感じられたのは、周囲の山々の風景です。 神々の座ともいわれる絶景、また絶景という圧倒的感覚です。 まあ、調査隊全員が高山病でダウンしてしまったらしいですが・・・ そこに住んでいる人達は完全にアジア系で日本人に大変よく似ているそうです。 どこの村に行っても歓迎されたようで、一緒に楽しく踊りをした写真も載っていました。 今は少し観光化されて、変わってしまった面もあるかもしれませんね。 スピティやラダックと比べてみると、ブータンの方が豊かな感じがします。 過酷な環境ではない、といった感じもします。 山上の理想郷、シャンバラといったところでしょうか。 pさんが見て、感じ取られたものは大変に貴重なものだと思います。 チベットが中国化されてしまった今、後期密教の聖地として唯一残っているところで暮らしていたのですから・・・ 日本にも中期密教の聖地として高野山がありますが、こちらは少し観光化されてしまった面があります。 どちらも聖地は聖地ですが・・・ 美しい、というよりも生命力ですかね・・・ 人の性の働きをも積極的に肯定する後期密教の生命力が 山上の聖域に保たれてきたという奇跡・・・なのでしょうね。 一般的ではないと思いますが pさんが見たものは、かなりスケールの大きいものだと思いました。 なんか、竜宮城といった感じもします。 竜宮城の乙姫様にお酒を一杯ついでもらって・・・ いいですね・・・・・ pさん・・・玉手箱は開けないでくださいね。

  • Tefu_Tefu
  • ベストアンサー率27% (87/322)
回答No.6

ちょっとベタですが。 「永遠なる世界から生まれる束の間の生命の輝き」

noname#156094
質問者

お礼

蝉ですか? 蝉の声はやはりちょっと切ない 私も一句できました。 「苑出し 階の終りも 蝉時雨」

noname#143377
noname#143377
回答No.5

むかし、踊念仏に夢中になっていた時、紫色の雲がたなびき金粉が舞い落ちてきましたね。

noname#156094
質問者

お礼

なるほど、これは素晴らしい現象です。 よく屏風に描かれている、紫と金の組み合わせが素晴らしい。 エンゼルヘアーでもなく、ビブーティでもなく、金粉というところがいいです。 で、 紫色の雲に乗っていたのは、高貴なお方だったのでしょうね。 貴重な体験ありがとうございました。

noname#213462
noname#213462
回答No.4

単純に、この世の仕組み、法則、概念、全てを『引力』と『斥力』という二つに還元できるならば、人の心を引き付ける『美しい』とは引力であるとするなら。 ブラックホールという存在からは、誰しも引き付けられ逃れることが出来ない、危ないと分かっていても人体を構成する素粒子達は引き寄せられる、究極の引力を持っている。 究極に美しいものには究極な刺がある(笑) 人間が、素粒子の視点に立てたら、ブラックホールは究極に美しいのかも。。

noname#156094
質問者

お礼

昔、ブラックホールという映画で描かれたその姿は、アンドロメダ銀河みたいな感じでした。 美の吸引力に引き込まれてみたいですね。 引き込まれて自分がバラバラメロメロになってしまう・・・ 魔力ですかね・・・ 魔に会ってみたい・・・ どこに魔はいるのかな・・・

noname#159050
noname#159050
回答No.3

夕焼け、虹、アスファルトの割れ目に咲く花、走り回る子犬、手を繋いで歩く子供達、 桜、天使の梯子、古びた文庫本、知らない人と交わす挨拶、雨、海、ラジオから流れる音楽・・ 数え上げるとキリがありません。 震災からしばらくして、ある夕方に虹を見ました。 とても綺麗な虹でした。 丁度スーパーの駐車場で車を降りたところで、 まわりにいた人達も「虹だ」「虹が出てる」と言いあっていました。 自然はひとを癒したり、幸せにするのに、 時に何の罪もないひと達に残酷な仕打ちをします。 この世の美しさと残酷さは紙一重なのかとその時思ったのでした。 哲学のカテゴリーで回答するのは初めてで、 ご希望に沿うような回答ではないかもしれませんが、 思いつくまま書かせていただきました。

noname#156094
質問者

お礼

ありがとうございます。 この世に無駄なものは何もないという見方、捉え方ができる方と察しました。 何気ない身の周りのものが、ある時には素晴らしく見えてしまうものです。 それは偶然ではなく、必然的に起きた事として見る人を打つものです。 そして打たれる事によって、人は変わってゆくのでしょう。 この世って、本当はこうだったんだ・・・というような感性的自覚をもたらすのでしょう。 あまり理屈をいうとつまらなくなりますね・・・。 虹は美しいものですね。 誰が見ても確かにきれいです。 自然が見せてくれたものを、与えてくれたと受け止める時 一種の至福感に浸れるのも悪くないと思います。 何かがこちらにやって来た・・・という知らせみたいです。 人だけじゃなくて、犬も猫も蛙も蛇も兎も鳥も虫も・・・ 一緒に見上げましょう。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.2

昔の話ですが、もの凄い美女を見ました。 アジアの某国に旅行した時のことです。 前方から白い光の塊が近寄ってくる。 私も友人もポカンと口を開けたまま。 通り過ぎてから、二人して大きなため息を つきました。 「時間よ止まれ。お前は美し過ぎる」 私はゲーテと同じ体験をしたのです。 それ以来ですね。 「この世のあらゆる美は女性が源泉である」 というスタンダールの説を信じるようになったのは。 あれで私の人生はかなり曲がりました。

noname#156094
質問者

お礼

私の知人も同様の体験をしました。 昔、駅の階段で、若尾綾子とすれ違った時に、その美しさに 思わず生唾を飲み込んだそうです。 いやはや、女性というものは男にとっては最高に衝撃を与えてくれるものなのでしょう。 官能の美しさとは、ごまかしようのない確かなこの世の美しさですね。 また、それが感じ取れるということも素晴らしいように思います。 美しさとは、何故?ではなく そうなんだ、という結果なのでしょう。 白い肌は白い、という悩ましい結果です。 誰も悩んで曲がったかもしれません。 ごちそうさまでした。

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