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無知ではない状態での無心
既存の知識への疑念が、 【無心】の効果を増強してくれるのでしょうか?
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既存の知識は不可解の先入化により成り立っている。 無心と無意識は違うように、その「先入」性の否定= 疑念ではなくより深い理解によって、無心の境地は 得られる。
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- horitate
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以下のような「無心」の意味もわきまえて、「無心」のありようを考えましょう。 「無心」はよく、「子供が無心に遊ぶ」のように、「余計なことを考えずに」といった意味で使います。 「無心」とは文字通り「心が無い」ことです。ただ、その場合の「心」には、相手を思いやる善の心と、それに相対する邪の心があり、善の心が無ければ、無情とか思慮分別がないということになりますが、現代語にはこの用法はほとんど残っておらず、わずかに「無心する」ということばの中に名残を留めているだけです。つまり、「無心する」とは、「相手の状況を思いやることなく頼む」ということです。 それに対して、善の心であれ邪の心であれ、いかなる心も無くなり、心が空となることもまた「無心」であり、そうなれば「一心不乱で無邪気」になります。「子供が無心に遊ぶ」の「無心」がそうです。
補足
丁寧な調査への御協力を提供して下さいまして、 誠に有り難う御座います。 『無心』は名詞ですので、サ変動詞の接頭辞に据えた表現の存在には違和感を覚えましたが、何故なのか、既に此の表現は市民権を得ているのですね。http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/je2/73879/m0u/ 因みに、武術的な修行の過程の途上で小脳へ技術が刷り込まれていく場合には、既存の癖の価値への疑念が悪い癖の払拭をも助けてくれ得るのでしょうから、其の御蔭で、火事場へ追い詰められた際にも、無心が馬鹿力を比較的に適切な方向へ発揮させてくれてきた、と思われます。 従いまして、其の事情を踏まえまして、私は此の質問を試みましたが、質問文への工夫が乏し過ぎましたでしょうか?
- horitate
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「疑念」の存在自体が「無心」ではないでしょう。むしろ、そういう雑念を捨て去った先にある境地のように思えます。
お礼
http://okwave.jp/qa/q7534176.html 上記のページでも、御教授を賜れませんでしょうか?
補足
有り難う御座います。 既存の知識は、 【無心状態】の確立への手段になり得るのでしょうか?
お礼
http://okwave.jp/qa/q7546534.html 上記のページでも、御教授を賜れませんでしょうか?
補足
有り難う御座います。 既存の知識が、【不可解】を不可解たらしめているのですね。