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古代東洋社会の建造物に関する疑問
- 古代東洋社会における建造物の構図について、西洋近代的な製図技法の伝来の有無について考える
- サバン症候群罹患者の中には映像記憶の保持者がおり、風景画を写実的に描く能力を持っていることがわかっている
- 古代東洋社会の建築においても、無限遠の消失点や黄金比等の分割を用いずに、直感的に構図を決めていた可能性がある
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#3の者です。 「柱の定位」というのが、敷地に対してのレイアウトという意味 であれば、伝統工法は木造=軸材の組み合わせですので、 寸法と直角が出せれば、定位できます。 それらを容易にするための、“外付けディスク”が存在します。 1.曲尺(かねじゃく、さしがね) 直角に曲がった、L字型の金属の定規ですが、その角で直角を 測るのは、小さい物の場合だけで、建物全体の通り芯を出すの に使ったのでは誤差が大きくなり過ぎます。 でも、その場合にも曲尺が使えるのです。 通常の目盛りの裏面に、妙に間延びした目盛りが刻まれています。 それはルート2が掛けられた目盛りで、その目盛りの1尺の裏を 見ると、1.414尺になっています。 そこで10尺の基線を引き、両端から棒を使って10尺と14.14尺の 弧を描くと、その接点が基線に直交する通り芯となります。 2.木割り 伝統建築の面積は「X坪」と表され、1坪はタタミ2畳です。 こうした基本寸法をベースに、部材の長さから断面の寸法まで 細かくルールが決まっており、棟梁は毎回新たに考えずに済み、 経験的に、脳内四次元図面を描けるのです。 他にも風水により、便所は鬼門(北東)、台所は西を避けるといっ た決まりも多く、敷地の形と必要な部屋が決まると、プランから ディテールまで自動的に決まると言っても過言ではありません。 (こうした予定調和なルールを壊した破綻の美が「数奇屋造り」)
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- 雪中庵(@psytex)
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#1の者です(建築家歴25年)。 >大工は図面を必要とします というのは、正確ではありません。 少なくとも戦後、建築確認申請の必要になってから、 “図面を読める大工が増えた”のは事実ですが、 大工が建築を考え、建てる上で必要としているの ではありません。 そもそも以前は、大工は徒弟制度で修行するもの だったので、製図を学ぶ機会などなかったのです。 大工さんの描く、図面のようなものがない訳では ありません。 「板図」と呼ぶ場合が多いようですが、板切れに縦横 に線が描いてあって、「イ、ロ、ハ~」「一、二、三~」と いった具合に字が添えてあり、間に尺貫法の寸法が 書いてあるものです(我々には意味不明です)。 それは何かというと、木工所で加工された部材の 端部に「イ・一」とか書いてあり(割符という)、順番に 同じ割符を組み合わせていくと、自然に出来上がる のです(その時、「イ・一」から始めるので「イの一番」 という言葉ができたのです)。 しかしこれも、それでプランを練るための物ではなく、 棟梁の頭の中にあるものを、木工所や他の大工に 伝えるためのものです。
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有り難う御座います。 因みに、其の方式は、「土地の区画」とか「柱の定位」とかにも当て嵌められていたのでしょうか? 例えば、平安時代の寝殿造りの様に歪な形状の建造物の企画の際には、外枠の分割が適用され難かろう、と思われたからです。
>Q:「西洋近代的な製図の技法が東洋社会に伝来していなかった時代には、建築の【構図】を拵えていたのでしょうか?」 そうでなければ、建築なんて出来ないと思います。西洋でも東洋でも・・・。しかし自分は、#1さんの前半部には、全く賛成なのですが、後半は違います。 >ご指摘の建築に関してでは、大工は建築図面を必要としません、ていうより図面を読める大工は稀だ。 違います。大工は図面を必要とします。何故なら、それがないと上手く建ったかどうかの判断基準がないからです。大工は職人です。 だからこそ「親方」がいるのです。「親方」はふつう、図面を読めます。そのために「親方」の家系は、息子を工業高校などへ入れようとします。それが「親方の資格」と知っているからです。 >あらゆる接合部の納まり、更に四次元的な組み立ての手順まで、全て頭の中に入っているのである。 その通りです。そうでなければ「親方」は指示できません。ここで「四次元的な組み立ての手順」とは、時間経過に従った、建物の出来具合と判断します。でも「あらゆる接合部の納まり」から、建物全体の仕上がり具合を見渡せる「目」とは何でしょうか?。 >それに比べれば、二次元的な画像の記憶など、それほどの事とは思われない。 そうでしょうか?。まず「親方」はパースとして、自分の建造物の将来の絵を見ています。それを目指して作業します。そいてパースは決して、遠近法で変形された絵ではありません。何故なら、あらゆる角度から見て、自分の思い通りの絵になる必要があるからです。あらゆる角度から見て、自分の思い通りの絵になる確信は、じつは2次元の投影図面の情報から来ています。それが2次元図面の価値です。 こういう事を言うのは、自分は現代的なCGソフト(AutoCad,3DViz,3DMAX)で、地形の立体図を作っっていた経験があるからです。人間の頭が直感的に把握できるのは、徹頭徹尾2次元なんですよ。3次元になると、とたんに把握しきれなくなります。古代の人達も同じだと思います。 「親方」は、常に2次元図面を見ながら、将来を夢想していた、と思えるのです。
補足
有り難う御座います。 サバン症候群の方々の様な【映像記憶能力】が、古代の人々には養われていたら、遠近法への理解は必要でなくなる筈ですが、その様な能力に頼っていなかったのでしょうか。 http://privateroomdesu.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/post_71f3.html と申しますのも、次のURLのページの内容の様な表現技法で、風景が描写されていたからなのです。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%B5%E5%B7%BB%E7%89%A9#.E6.A7.8B.E5.9B.B3.E3.83.BB.E7.94.BB.E6.B3.95
- 雪中庵(@psytex)
- ベストアンサー率21% (1064/5003)
伝統画法は、平行なもの平行に描くアイソメトリック図法であり、 透視図法に触れた当初、「建物はこんなに傾いていない」と 反発があったという。 それはそうである、我々が認識しているのは三次元であり、 「平行なものは平行」だからだ。 それは今でも、素人が絵を描こうとする時、三次元を二次元に 射影して描き写すために、対象を見るグリッドのついた透明板 があるほどだ。 ご指摘の建築に関してでは、大工は建築図面を必要としません、 ていうより図面を読める大工は稀だ。 無数の部材の三次元的な組み立て、その1つ1つの部材の寸法、 あらゆる接合部の納まり、更に四次元的な組み立ての手順まで、 全て頭の中に入っているのである。 それに比べれば、二次元的な画像の記憶など、それほどの事 とは思われない。 (学校教育の「丸暗記」や「点取り競争」に毒された現代人の 脳が堕落しているだけで)
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凄い回答を下さり、有り難う御座います。 非常に良く分かりました。