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「Wikiの壁」(仮称)って感じたことありませんか
「東北関東大震災」がもたらした電力不足につい関連して、西日本と東日本の商用電源周波数の違いが生じた原因について、ネットで調べていたのですが、Webサイトやブログの記事には、Wikipediaの引用か、引用先を明記していなくてもWikipediaの記述を基にして書いたものが多いように感じました。(統計とったわけではありませんが。) これに限らず、さまざまな分野の事項に関するネット上の記述を見ていると、Wikiの記述を参照してそれでよしとして、それ以上に精査しようとしていないものが多いような気がします。 同じようなことを感じている方はいらっしゃらないでしょういか。
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それは確かにありますね。 でもキーワードを入れて何かを調べようと思うと、上位にはたいていウィキ(あるいはそれを参考にした記述)がでてきますから、感覚的に「見てみようか」となりますね。 それである程度満足できる記述があったら、これでいいかとなります。 逆にウィキにしか載っていない場合もあって、真偽は判断できませんが仕方ないということもあります。
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- cucumber-y
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私でも幾つかの記事を載せているくらいですから・・・ (たくさんの方に加筆されマシになったとは言え。) 一つの参考だと思っています。 次の検索で使えるキーワードが見つかることもありますね。 丸写し、鵜呑みは危険でしょう。
お礼
回答ありがとうございます。 前の回答者の方へのお礼にも書きましたが、Wikipediaはまだまだ玉石混淆の状態であり、眉に唾して見ることも必要だと思っています。したがって、おっしゃるように鵜呑みは危険だと思います。 それと同時に、簡単に検索できてしまうがゆえに(「にもかかわらず」とも言えますが)、疑問に思うことがあっても、「Wikiに書いてないんだし、まあ、いいか」とそれ以上の調査を怠ってしまうことがあるのではないかと危惧するわけです。 ちょうど、紙の辞書なら、目的の語に至る途中のページに寄り道したり、調べたついでに隣のページの派生語を眺めたりすることがあるけれども、ネットの辞書や電子辞書では簡単確実に目的の語にたどり着けるが、調べようとしたことしか調べないように。 わざわざ図書館へ足を運べば、1冊手に取っただけで終わることがなく、隣にある他の本も開いてみるのに、Wikipediaでは簡単に情報が手に入ってしまうために、それで満足してしまうという、知的探求を阻む「Wikiの壁」があるように思うのです。
- taunamlz
- ベストアンサー率20% (175/843)
WIKIを信用しすぎる人は増えた気がします。 ただ、WIKIの方が誰かのホームページから引用している可能性もあります。 調べ物をするとき、引用元が同じだと思われる場合は全部で一つとしてカウントしています。
お礼
回答ありがとうございます。 今回もそうだったのですが、「ここも同じことしか書いてないな」と感じることはけっこうあります。場合によっては、たとえば、元のページの誤字をそのまま引き継いでいて、親亀こけたら皆こけたになっている例も見たことがあります。 Wikiを信用しすぎず、しっかりと情報処理をていかないといけないと思います。
Wikipediaを教科書のように使用し、他の意見も聞いてみたいな、という質問に「Wiki」で出ていたからこれが正しいの一点張りで答えるのを目にした事があります。ちょっともどかしいです。 自分の質問の例ですが、英語で人の肌の色でを「White, Black, yellow, brown」と表現される場合、インド人の「brown」は日本語でどう言いますか、で回答にWikipediaを引用し、インド人は白人、と。白人はそう思ってないからbrownと呼んでいるのに、回答がWikiを張ればそれで安心という自体が偏っていると思いました。 新聞もWikipediaも所詮はそこにアクセスのある人間の書いた記事です。その場にいないで別の場所に書いた詳細も読みたいです。もっと意見を聞きたいから、質問サイトにのせてるのに、という気持ちもあります。
お礼
早速の回答、ありがとうございました。 「Wikipedia原理主義者」というわけですね。 私自身も図書館まで足を運ぶのが面倒で、「Wikiの壁」までたどり着いたことで満足して、乗り越える努力をせずに、そこで引き返してしまうことは、けっこうあります。 でも、すべての情報が電子化されているわけではないし、ネット上にアップされているわけでもないのに、ネット情報がすべて、という感じの人って確かにいますね。
お礼
回答ありがとうございます。 玉石混淆の部分があるとはいえ、「玉」の部分をうまく利用すれば、Wkikiはとても便利なものだと思います。 こちらの鑑別力が問われることになりますが。 検索をかけて、ヒットしたページを一つ一つ見ていく努力を思えば、Wikiの存在価値は大きいものがあるといえますし、おっしゃるようにWiki以外に、頼れる情報がない場合もありますね。