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乃木将軍は愚将?名将?
どっちだと思いますか? 理由も合わせて回答願います。
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- kamaonna
- ベストアンサー率22% (17/74)
名将です。 ベトンで固めた要塞を、それ以下の要塞を攻めあぐねたナポレオンよりも短期間で落としました。 シバリョウの小説により愚将との誤謬が広まっているだけです。
- ?橋 昌也(@fudousin)
- ベストアンサー率21% (138/631)
PENPENMAKKY様、年のせいか呆けた私の記憶違いをご指摘頂き、ありがとうございます^^。 論旨を変える気はありませんが、前回回答のご指摘の部分は誤りであったと訂正いたします。
- PENPENMAKKY
- ベストアンサー率17% (344/1984)
No.5様 アドバルーンでは乃木将軍以下のアイデアですね。第3軍司令部は飛行船を調達して高高度観測を行っております。飛行船の写真も残っています(個人蔵なので公開されていません)。 No.6様 伊地知参謀長は陸軍大学校第一期卒業で、第一期卒業生で最初に中将に昇進したのが伊地知参謀長ですが…
- ?橋 昌也(@fudousin)
- ベストアンサー率21% (138/631)
日露戦における、指揮官(軍司令官や師団長)を評価する場合は、他の時代と少し視点を変えねばならないでしょうね。というのは、人事面で指揮官の資質に対する要求が違うからです。戦国武将や幕末期のような絶対的な権限はないし、後世ほどには官僚的でもない。実際に近代的な軍隊の過渡的な時期だったように思います。 あの時の陸軍人事で指揮官に近代的作戦能力を要求していません。実際、参謀なしで作戦指導が出来たのは軍司令官では第2軍の奥、騎兵の秋山、師団長クラスでは一戸あたりでしょうか。陸軍人事自体が、指揮官は統率、作戦は近代作戦を陸軍大学校で正規に学んだ参謀が行うというように割り切っていたようです。 とすれば、結果をすべて乃木に帰すのは酷かとも思いますが、指揮官である以上相応の批判はしかたないでしょうね。 軍事学的には要塞戦としては上出来という見方もありますが、別に要塞を攻略せずとも目的は達成できたわけですから、それを行えば名将でしょう。第3軍に組み入れられた海軍重砲隊は比較的初期段階からめくら撃ちながら旅順港砲撃を行っており、203高地は砲撃陣地ではなく弾着確認のために必要だったのです。 まあ私の意見としては、一番の問題は参謀たちの管理が出来なかった点です。乃木軍の参謀部と満州軍総司令部の意志疎通が非常に悪かったのは有名です。これは、伊地知参謀長の人格と彼がめずらしく大学校出でなく、ドイツ留学経験者であったことが原因と思われますが、直接の指導監督責任者である、乃木の責任は免れないでしょう。 結論=凡将。
- nishikasai
- ベストアンサー率24% (1545/6342)
人格者であってその点では尊敬すべきですが、将軍としては「アホ」そのものでありました。適材適所という言葉がありますが、それを間違えたために死なないで良い多くの兵が死にました。私がもしその場にスタッフの一人としていたらアドバルーンを三つくらい上げて体重の軽い兵に無線機をかつがせ上空に上げて戦艦から艦砲射撃をさせどこに落ちたか上空の兵から無線で連絡させロシア軍の陣地を艦砲射撃だけで攻略するよう進言しただろうと思います。 乃木さんはそのような発想がなく、徒に正面から伝統的な肉団戦術を繰り返した。馬鹿だった・・・
- sudacyu
- ベストアンサー率35% (687/1961)
精神家としては有名ですが、軍指揮官としては凡庸と言うのが一般評価です。 部下が指揮官の命令に従う(その精神性の高さで部下がついてくる)という点では、有能であったが、軍の作戦指揮について、上手いという評価は持たれていません。 日露戦争を勝利に導いた名将としては、児玉源太郎が有名で、誰もその功績に非を唱える人はいません。 旅順攻略戦でも、児玉源太郎が旅順に行ってから、要塞攻略戦術の転換がなされ、その後間もなく陥落しています。指揮官としては、児玉源太郎の指示のもとで動く一将軍としての範疇を出ないのではないでしょうか。 児玉源太郎 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%90%E7%8E%89%E6%BA%90%E5%A4%AA%E9%83%8E ドイツに「日本には児玉源太郎がいる(ので日本が勝つ)」と言わしめた男とかいうような、日露戦後に作られた伝説かもと思えるものまであります。
- PENPENMAKKY
- ベストアンサー率17% (344/1984)
名将です 旅順要塞を4個師団という少ない戦力で僅か4ヶ月にて陥落させたのは見事の一言です。要塞攻略のセオリーは「敵兵力の3倍」です。旅順には2個師団半が立て篭もっていました。これを撃滅するには理論上では8個師団が必要ですが、その半分で落としております。10月段階でロシア旅順艦隊を壊滅状態にした事も評価されるべきです。 8月の攻勢でロシアの主要砲台をほぼ破壊し、水師営を攻略 9月の攻勢で観測点となる203高地への進撃口と重砲隊を設置するべき位置を確保 10月の攻勢で観測点となる望台を制圧 11月から12月での攻勢で要塞を制圧 1月に降伏せしめる 重砲隊が湾内を砲撃するには水師営一帯の制圧が必要です。アンチ乃木な方が主張される旅順北西部は丘陵地帯であるため重砲隊は迂回せねば侵入出来ず、北東部から反撃を抑えるために1個師団は貼りつかねばなりません。更に203高地からでは湾内には砲弾が届きません。よって旅順艦隊のせん滅は不可能となり、北西部を攻略した後、北東部の要塞線に攻勢をかけて重砲隊の設置場所を確保しなくてはなりません。それはただの二度手間です。 乃木が名将であると言われたのは旅順そのものではなく、攻略後に僅か1ヶ月で第3軍を再編成して奉天攻略作戦に間に合わせ、クロパトキン軍の後方を遮断した事です。
- jkpawapuro
- ベストアンサー率26% (817/3046)
人格者として評価があるのであって、こと作戦指揮官として名将と考える余地はないでしょう。 旅順攻囲戦でいたって常識的な正攻法を展開して、大きな被害をだし結構まずい戦いをしています。 最終的には攻略したわけですし、将軍として恥ずかしくない一定の能力は備えていたと言えますが、それ以上でもないと思います。
部下を山ほど死なせておいて、名将は無いでしょ。