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環境破壊がいけない理由

最近考えるほどわからない問題があります。 環境破壊はなぜいけないのでしょうか。 様々な回答があると思いますが、 哲学方面から、それに答えを出せるでしょうか。 (というより哲学からの回答しか意味がないと思っています) エコロジズムは21世紀の倫理となりうるのでしょうか。 哲学の応用問題だと思いますが、よろしくお願いします。

  • gatto
  • お礼率31% (20/64)

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.27

 お礼や補足をお急ぎになる必要はありません。ご自分のペースでどうぞ。また、私は質問者が求める限り、そして自分の能力が及ぶ限り、いくらでもおつきあいします。  ディープエコロジーでの「人間」の捉え方に疑問をお感じのようですね。  まず、「人間は自然の一つ」。おっしゃるとおりです。ディープエコロジーでの捉え方はそういうことです。「人間と言えども数ある生物種の一つにすぎず、なんら特権的なものではない」と。  でも、gattoさんの疑問はもう一歩進んで、「生きる上で環境を変化させるのも生命の本性(nature=自然)である、文化を持ち、科学の力をもって自然環境を改変する人間の営みも、人間という種にそなわった本性ならば、人間はそういう営みを通じて生態系の一員となっていることになる、これがどう考えられているか」ということのようです。  そういう本性を持つ人間を、生態系内に調和させるための考え方として、一つには「文化やら科学やらという、人間以外の動物が持たない特権的な力を捨て、人間という生物種として生きよ」という方向がありえます。ただ、これはただ単に考え方としては可能ということであって、文化の力に守られていない人間という生物種は恐ろしく脆弱なものですから、実際にはあっと言う間に絶滅するでしょう。現実的ではありません。  知る限りにおいて、ディープエコロジーはそのような主張はとっていません。この思想の原則通りに考えていると思います。すなわち、「人間の持つ文化や科学の力を肯定し、その存在を認めるが、その力による自然環境改変の程度は、生態系バランスのとりかえしのつかない破壊にならない限界内に留めなければならない」ということです。  前回ガラパゴスの例を挙げながら「アニマルライト」に対して「ディープエコロジー」を対比してみましたが、これと同じことです。イナゴが異常増殖して生態系バランスを乱そうとしているなら、これは間引かなくてはならない。同様に、人間が過剰増殖しており、しかも科学力によってさらに急激に生態系バランスを乱そうとしているなら…やはり間引かなくてはならない、ということです。だから「人類の9割を…」なんて話にもなってくる。  ですから、ディープエコロジーによる「人間の脱中心化」は、それなりに徹底しています。これが極端なものになるとアウシュビッツまでもう一歩という、文字通り「非人間的な」発想にもなりうるものですので、私はそこが好きになれないのです。  ディープエコロジーの解説を離れて、人間の文化や科学の力ということについて自分の考えを少し述べます。  文化や科学が自然環境を破壊している部分が目立つのは事実ですが、やはりかと言って否定することはできないと思います。また、それらがただ単に「自然に敵対するものである」と見なす必要もないでしょう。そう見えてしまうのも、「自然と人間」という二分法図式がもたらす弊害です。  実際には、「人間が介在することで初めて成り立っている生態系」もあります。農耕は人間による自然改変であり、一面において自然破壊ではありますが、農民たちは土と水のために「森」を育てることに腐心したものです。森を育てるには「間伐」という人為的操作も有効です。農民だけではありません。最近では仙台湾でカキを養殖する人たちが、その滋養の元となる森を育てようとしています。こうした、自然と関わる仕事に携わる人々の知恵は立派な「文化」であり「科学」ですが、自然に敵対するものではなく、それを豊かにするものです。自然と人間の二分法ではなく、両者が関わりあって両者が共々成り立っている姿の中からも、学ぶものは多くあると考えます。  それから、「人間と自然の上下関係」について。  「強者としての立場から、多様性の維持を志向する」という考え方は、ディープエコロジーのエッセンス的な原則の中には入らないでしょう。「あくまでも生物種の一つ」ですから。ただ現実に、ディープの方々が思想を具体的な行動に移そうと考える局面で、そうした考え方を受け容れざるをえなくなることは考えられます。生態系を壊すのも人間、そして、それに対して積極的・能動的・主体的に修正を働きかけることができるのも人間だけだからです。  この考え方をはっきり出しているのが、キリスト教的環境保全思想です。旧約聖書の「創世記」では、神様はアダムとイブを創造した後、彼らに自然の支配権を認めています。これは、とりようによっては、人間の欲望による自然からの収奪・搾取を肯定する考え方を根拠付けるものでもあります。が、「キリスト教的環境保全思想」は、いわばこれを逆手にとって、人間を「自然の姿を十全に保つための善意の管理者」と位置付けようとするのです。  私はクリスチャンではありませんから、こういう特定宗教をバックボーンとした考え方は素直に認めたくないです(それに、結局欧米中心だし)。が、位置付けは微妙。人間の自然に対する優位を認めているという意味では「人間中心主義」の枠内に留まっているとも言える。…ただし、その背後には「神」がいます。これを考えると、人間を脱中心化しているともいえます。  こういう立場を代表する人として、アメリカのナチュラリスト、ヘンリー・デイヴィッド・ソローがいます。この人の言葉で、好きなものがあります。   「神の目から見て美しい。」  どんなに醜い生き物でも、ということです。神は、それが美しいと思ったからこそ、創造した。  人間の偏狭な価値基準で自然を裁断してはならない。そういうことを、彼は「神」という言葉を用いて述べたのだと理解しています。

その他の回答 (29)

  • kensakuya
  • ベストアンサー率17% (23/131)
回答No.9

どうして哲学からしか意味がないのかしら? 環境破壊がいけないのは、地球の環境が悪くなると、食べるものが無くなってお腹が減ったり、病気になったりして困ってしまうからです。 難しい言葉で考えなくても、サラダにするレタスの上にダイオキシンが降ってきたり、原子力発電所が爆発して灰が降ってきたりしたら、誰もそれを食べたくないでしょ?病気になっちゃうから。 空気が悪いところにいて、ゴホゴホ咳が出るのイヤですねえ。 そんなイヤな思いをしたくないから、みんなで協力して汚くしないようにするんです。そうしたらおいしいものが食べられたり、病院に行ったりしないで良くなるんです。

gatto
質問者

補足

ご回答ありがとうございます。 >どうして哲学からしか意味がないのかしら? では、他の分野から、「環境破壊はいけない、環境保護しなければならない」 といえますか? 価値について考えるのは、哲学(とか倫理)の役目だと僕個人としては思っているからです。 >難しい言葉で考えなくても、サラダにするレタスの上にダイオキシンが降ってきたり、 >原子力発電所が爆発して灰が降ってきたりしたら、誰もそれを食べたくないでしょ? そうですね。いやです。 では、 「私の国は貧しい。経済発展して、自分と国民を豊かにしたい。 そのためには、環境保護よりもとりあえず原生林を切って日本に輸出して 外貨を獲得しなければならない。野生動物が何種類か絶滅しようが仕方ない」 という発展途上国の人には、なんと言えばよいのでしょうか。

  • aminouchi
  • ベストアンサー率46% (376/804)
回答No.8

gattoさんにはどこかでお目にかかったような気がします・・ それはさておき、ご質問なさっていることを 「環境破壊がいけない(すなわち悪)とするならばその価値観の根拠は何か」 と書き換えてもよろしいでしょうか。

gatto
質問者

補足

こんにちは。いつもお世話になります(笑) >gattoさんにはどこかでお目にかかったような気がします・・ 数学あたりではないですか?(この前の、ポイント付けときました。 その節はどうも。) >「環境破壊がいけない(すなわち悪)とするならばその価値観の根拠は何か」 はい、結構です。 よろしくお願いします。

noname#181872
noname#181872
回答No.7

返答です。 > たとえば、「あなた」が「守られる」必要があるのは、 > せいぜい「あなた」が寿命を迎えるまでではないでしょうか? > それまでどうにか環境が維持できれば、その後はどうなっても > いい、といえるのではないでしょうか。 > 「あなた」はどうして「人間全体」のことを配慮するのですか? エゴで考えれば、確かに自分が死んだあとはどうなってもいいというのも ないことはないです。ただ、先日、母親と話をした時、「とりあえず 自分の知っている人(子供、孫など)は、自分が死んだあとでも、 そういった環境問題とかエネルギー問題で困らないでいて欲しい。」 と母親が言ったんです。僕自身は子供どころか結婚もしてませんので、 子供のことをいわれるとなんとも...という感じなのですが、 実際に子供がいたことを考えたら、そう思うのではとも思います。 未来の人間全体の中の一人に自分の子供や孫がいるのであるから、 エゴの延長で未来の人間のために地球を守ろう(この考えは確かに おこがましいけど)という考えはどうでしょうか? あと、環境問題の中には被害が急性のものもあるから、自分の身に 降りかかるものもありますよ。

gatto
質問者

補足

>エゴの延長で未来の人間のために地球を守ろう(この考えは確かに >おこがましいけど)という考えはどうでしょうか? 環境保護という思想は、人間のエゴのためだ、と認めてしまうことが 一つの方法だろうと僕も思います。 そのうえで、人間のために環境を保護する、これなら納得できます。 でも、どうして一人一人(地球全部で60億くらい)を「人間」とひとくくりにして、 人間のため、というが可能なのでしょうか。この点がちょっと わからないのです。たとえば(誤解をまねくかもしれませんが) 「遠くの人間より自分ちの犬」という価値観の人がいてもいいとはいえませんか? >環境問題の中には被害が急性のものもあるから、自分の身に >降りかかるものもありますよ 「自分にどういう影響が及ぼうが俺は今を楽しむんだ!」 という人にはどういえばいいのでしょうか?

  • sayu
  • ベストアンサー率11% (4/35)
回答No.6

私の考えでは、 >環境破壊はなぜいけないのでしょうか。 いけないとは思いません・・なんていうとめちゃくちゃに聞こえますが、 「地球に優しく」なんて良く言いますが、人間ごときが地球様にむかって やさしくなどとおこがましいです・・keronyanさんのおっしゃっている事に近いかも知れませんが長い歴史の中ではオゾンホールの破壊等と比べ物にならない程の劇的な変化がいっぱいあったわけですよね。そのたび生き残れないものは絶滅してきた..。こんどはその対象に人間がなるかも知れないので、 「損をするのは自分達(他の動物含め)だからやめましょう」という、考えようによってはわりと身勝手な言い分なのかもしれません。今の程度の環境破壊なんて地球にとっては痛くも痒くも無いかも知れません。だから「地球に優しく」はほんとうは「人に優しく」なのじゃないですか?皆長生きしたいので 環境破壊しないほうが長生きできる確率が高くなる・・という。 生物は皆「自分を守る」以外にも「自分の種族全体を守る」プログラムがある(という話を聞いた事がある)ので狭義の身勝手は種族全体を守れないです。 私言っている事質問とずれてます?

gatto
質問者

補足

ご回答ありがとうございます >「地球に優しく」なんて良く言いますが、人間ごときが地球様にむかって >やさしくなどとおこがましいです 僕もそう思います。「何様よ」ってなもんで。 >「損をするのは自分達(他の動物含め)だからやめましょう」という、 >考えようによってはわりと身勝手な言い分なのかもしれません。 まさにそうですよね。 もっと言えば、他の動物にしても人間に温情をかけられる筋合いはない だろうと思います。ただ静かに復讐するだけでしょう。 自然と対話できる不思議少女じゃあるまいし。 >今の程度の環境破壊なんて地球にとっては痛くも痒くも無いかも知れません。 人間の独り相撲、ってかんじだと思います。 >だから「地球に優しく」はほんとうは「人に優しく」なのじゃないですか? 要はエゴですよね。 >生物は皆「自分を守る」以外にも「自分の種族全体を守る」プログラムがある この部分、より詳しく知っていたら、是非教えてください。 母親が子供の危機に際して命を賭してこれに立ち向かう、などというのはそれに あたるのかもしれませんね。また、増えすぎたネズミが集団入水自殺するとか いうのもそのメカニズムなのでしょうか。 そうなると、世界の人口が増えすぎて、食料難になり、戦争がおこり、結果的に 人口が減少するとかいうのもそうなのでしょうか。戦争、殺戮、飢餓、伝染病 は、これをなくさなければいけない、という根拠は結局なんなんでしょう? ところで、自分の種族全体を守るプログラムがあるのなら、それより下位レベルにある「人間個人」がどうふるまおうが(身勝手をしようが)、そのプログラム に制御されている以上、その枠をはみ出すということにはならないのではないでしょうか。そういうプログラムがあるから、なにやっても大丈夫だ、ということに なりますよね。 種族というカテゴライズで語ることがどこまで有効かわかりませんが、 「有機生命体」というカテゴリ、「動物」「植物」というカテゴリ、 「人間」「犬」「昆虫」「被子植物」・・・というカテゴリ(「種族」 でかんがえるのはこれに該当するのでしょうか)など、分類のレベルによって 考え方が変わってしまうように思えます。 さらに人間に限っても、「人種」、「国家」、「共同体」、「家族」など、 それぞれのレベルで、身内をひいきし他を排除するメカニズムが 働いているわけですから、その中で 「人間である」という同一性だけを偏重することに説得力があるでしょうか? 自分たちが大事であるという考え方なら、「社員を養うために廃棄物処理に 金や手間はかけない企業」とか、「自国の経済成長を妨げないために、 二酸化炭素排出規制の基準を設けた京都議定書を批准しないアメリカ」 の言い分は否定できません。 アメリカの例で言えば 「そんなに他国への迷惑を顧みないつもりならミサイルかますぞ」などと脅して (もちろん武力は非現実的ですが)国際協調にこぎ着けるという、 「エゴ同士のバランス」にしか可能性を求め得ないのでしょうか。 とすればそんなもの倫理ではないとおもいませんか? やはり西洋的な「神様」より日本的な「世間様」なのでしょうか。 どうおもいます?

  • caballero
  • ベストアンサー率17% (31/182)
回答No.5

哲学で「答え」をだすのはむずかしいなぁ。  「自然環境破壊」が最近嫌われるのは、より多くの人たちが「自然大好き!」になってきたからだと思います。 自然がある状況のほうが、自分にとって好ましいと考える人が先進国に多く増えてきたからかな。  きっと倫理になると、もうなりかけていると思います。そのため、「自然環境破壊」はいまや悪と言われます。だから「×」なのです。 しかし、人の行動は倫理と矛盾する事が多々あり、この前も、ある人が言いました。 「タバコはだめでしょう~。環境破壊ですよ、カ・ン・キョ・ウ・ハ・カ・イ!」 と言って、ランドクルーザーで出かけていきました。「あんたの車が60キロで3分走っただけで60本のタバコが灰になるぜ!っ!」と、遠くで言いました。 いったい誰のための「環境」が破壊されるというのでしょうね。みんな、自分勝手なもんです。自然環境を守っているわけではないのです。自分にとって何がより好ましいかを主張するだけです。それが、今回は「自然」に一致する部分があるというだけでしょう。

gatto
質問者

補足

ご回答ありがとうございます。 >自然がある状況のほうが、自分にとって好ましいと考える人が >先進国に多く増えてきたから そうですか? 環境破壊の上になりたつ繁栄を謳歌して、さらに無い物ねだりで 自然に価値を見いだし始めた、というのなら納得かも。 >いったい誰のための「環境」が破壊されるというのでしょうね。みんな、 >自分勝手なもんです。自然環境を守っているわけではないのです。自分に >とって何がより好ましいかを主張するだけです。それが、今回は「自然」 >に一致する部分があるというだけでしょう。 そのとおりですね。 たとえば、あなたがブラジルの畜産業者だったとして、ファーストフード チェーンから、食肉のオファーが高額できたら、原生林(熱帯雨林)を買って そこを拓いて牧場にするでしょう?

  • Q2kirai
  • ベストアンサー率16% (22/136)
回答No.4

> というのも、自分のことを自分で決定して何が悪いのか、という考え方が > あると思うからです。 うーん、困った。実は私もよくわからないんです。 ただ、自殺、自傷と同じだと考えるほうが、答えが近くなると思ったから。 Charlie24さんの考え方だと、親殺し、隣人殺しでもあるわけですか... なるほど。

  • keronyan
  • ベストアンサー率25% (31/122)
回答No.3

環境破壊と言うことはどういう事か考えないといけませんね。 自分たちの生存に適するように環境を変えていくと言うことが広義に有ると思います。 狭義では自分たちの利益のために環境を変えてしまうことになります。 誰が最初に環境破壊を行ったかというと、植物なんですね。(新井素子さんのSFで出てきました。) 光合成の能力を得た物が地球の環境を酸素が含まれる環境にしました。 そのおかげで、それまでいた嫌気性の生物は表舞台から消えてしまいました。 今の質問の良いか悪いかというのは人間にとって良いのか悪いのか。 立花さんが言っていたように宇宙船地球号に乗っている生物はみんなクルーです。 人間はその地球の人間が生存に叶わなくなるぐらいの環境破壊をやっています。 はっきり言って愚かなという行動になりますね。しかも他のかなりの生物を道連れにしてしまう可能性があります。 しかし、自然全体から考えると、昔そう言う生物がいてそう言う環境になってしまったと言うぐらいの意味しかないでしょう。 (誰がそれを思うかは判りませんが。)

gatto
質問者

補足

>人間はその地球の人間が生存に叶わなくなるぐらいの環境破壊をやっています。 そうですね。 >はっきり言って愚かなという行動になりますね。 愚かな行動でしょうか?一人一人についてみれば、環境を破壊しようという意図があっての結果ではないでしょう。結果が愚かなものに見えるだけだと思います。 しかし「愚か」とは何でしょうか。自分だけのことを考える(エゴ)ということが 哲学的にいけないと言うことを示さないといけないと思います。 この点で私は躓いているのです。 >しかも他のかなりの生物を道連れにしてしまう可能性があります。 人間だけが他の生物のことに配慮しなければいけませんか? >しかし、自然全体から考えると、昔そう言う生物がいてそう言う環境になってしまったと言うぐらいの意味しかないでしょう。 そういう意味しかなければ、環境を守ろうという呼びかけの根拠がなくなってしまいますが・・・ ご意見を再びお聞かせください。

noname#181872
noname#181872
回答No.2

じゃあQ2kiraiさんの考えにのっかって。 僕は自殺というよりは親殺しではないかと思います。 つまり”地球に優しく”なんてキャッチフレーズがあったりしますけど 実際のところ環境とか地球に人間は守られ、依存して生活しているのですから。

gatto
質問者

補足

ご回答ありがとうございます。 「人間」と大きくひとくくりにしてしまうと、 論点がぼやけてしまうような気がするので、 この点を細かくみるべきだ、と思っています。 たとえば、「あなた」が「守られる」必要があるのは、 せいぜい「あなた」が寿命を迎えるまでではないでしょうか? それまでどうにか環境が維持できれば、その後はどうなっても いい、といえるのではないでしょうか。 「あなた」はどうして「人間全体」のことを配慮するのですか?

  • Q2kirai
  • ベストアンサー率16% (22/136)
回答No.1

「自殺、自傷はなぜいけないのか」と、同じ答えをあてはめればいかがでしょう? 私は環境破壊と自殺、自傷は同じようなものだと思います。

gatto
質問者

補足

ご回答ありがとうございます。 では、自殺、自傷はなぜいけないのでしょうか。 実はこの点についても、わかりません。 というのも、自分のことを自分で決定して何が悪いのか、という考え方が あると思うからです。 たとえばたばこを吸うという行為がありますが、 これは健康に良くないことを承知ですっているわけですから、 自殺、自傷と同類であると思いますが、人がたばこをすっていても 無理矢理やめさせると言うことはしませんよね。 (愚行権ということばもありますね) できましたらもうすこし詳しく論じていただけないでしょうか・・・

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