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環境破壊がいけない理由

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お礼率 31% (20/64)

最近考えるほどわからない問題があります。
環境破壊はなぜいけないのでしょうか。
様々な回答があると思いますが、
哲学方面から、それに答えを出せるでしょうか。
(というより哲学からの回答しか意味がないと思っています)

エコロジズムは21世紀の倫理となりうるのでしょうか。
哲学の応用問題だと思いますが、よろしくお願いします。
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質問者が選んだベストアンサー

  • 回答No.27
レベル9

ベストアンサー率 53% (31/58)

 お礼や補足をお急ぎになる必要はありません。ご自分のペースでどうぞ。また、私は質問者が求める限り、そして自分の能力が及ぶ限り、いくらでもおつきあいします。

 ディープエコロジーでの「人間」の捉え方に疑問をお感じのようですね。
 まず、「人間は自然の一つ」。おっしゃるとおりです。ディープエコロジーでの捉え方はそういうことです。「人間と言えども数ある生物種の一つにすぎず、なんら特権的なものではない」と。
 でも、gattoさんの疑問はもう一歩進んで、「生きる上で環境を変化させるのも生命の本性(nature=自然)である、文化を持ち、科学の力をもって自然環境を改変する人間の営みも、人間という種にそなわった本性ならば、人間はそういう営みを通じて生態系の一員となっていることになる、これがどう考えられているか」ということのようです。
 そういう本性を持つ人間を、生態系内に調和させるための考え方として、一つには「文化やら科学やらという、人間以外の動物が持たない特権的な力を捨て、人間という生物種として生きよ」という方向がありえます。ただ、これはただ単に考え方としては可能ということであって、文化の力に守られていない人間という生物種は恐ろしく脆弱なものですから、実際にはあっと言う間に絶滅するでしょう。現実的ではありません。
 知る限りにおいて、ディープエコロジーはそのような主張はとっていません。この思想の原則通りに考えていると思います。すなわち、「人間の持つ文化や科学の力を肯定し、その存在を認めるが、その力による自然環境改変の程度は、生態系バランスのとりかえしのつかない破壊にならない限界内に留めなければならない」ということです。
 前回ガラパゴスの例を挙げながら「アニマルライト」に対して「ディープエコロジー」を対比してみましたが、これと同じことです。イナゴが異常増殖して生態系バランスを乱そうとしているなら、これは間引かなくてはならない。同様に、人間が過剰増殖しており、しかも科学力によってさらに急激に生態系バランスを乱そうとしているなら…やはり間引かなくてはならない、ということです。だから「人類の9割を…」なんて話にもなってくる。
 ですから、ディープエコロジーによる「人間の脱中心化」は、それなりに徹底しています。これが極端なものになるとアウシュビッツまでもう一歩という、文字通り「非人間的な」発想にもなりうるものですので、私はそこが好きになれないのです。

 ディープエコロジーの解説を離れて、人間の文化や科学の力ということについて自分の考えを少し述べます。
 文化や科学が自然環境を破壊している部分が目立つのは事実ですが、やはりかと言って否定することはできないと思います。また、それらがただ単に「自然に敵対するものである」と見なす必要もないでしょう。そう見えてしまうのも、「自然と人間」という二分法図式がもたらす弊害です。
 実際には、「人間が介在することで初めて成り立っている生態系」もあります。農耕は人間による自然改変であり、一面において自然破壊ではありますが、農民たちは土と水のために「森」を育てることに腐心したものです。森を育てるには「間伐」という人為的操作も有効です。農民だけではありません。最近では仙台湾でカキを養殖する人たちが、その滋養の元となる森を育てようとしています。こうした、自然と関わる仕事に携わる人々の知恵は立派な「文化」であり「科学」ですが、自然に敵対するものではなく、それを豊かにするものです。自然と人間の二分法ではなく、両者が関わりあって両者が共々成り立っている姿の中からも、学ぶものは多くあると考えます。

 それから、「人間と自然の上下関係」について。
 「強者としての立場から、多様性の維持を志向する」という考え方は、ディープエコロジーのエッセンス的な原則の中には入らないでしょう。「あくまでも生物種の一つ」ですから。ただ現実に、ディープの方々が思想を具体的な行動に移そうと考える局面で、そうした考え方を受け容れざるをえなくなることは考えられます。生態系を壊すのも人間、そして、それに対して積極的・能動的・主体的に修正を働きかけることができるのも人間だけだからです。
 この考え方をはっきり出しているのが、キリスト教的環境保全思想です。旧約聖書の「創世記」では、神様はアダムとイブを創造した後、彼らに自然の支配権を認めています。これは、とりようによっては、人間の欲望による自然からの収奪・搾取を肯定する考え方を根拠付けるものでもあります。が、「キリスト教的環境保全思想」は、いわばこれを逆手にとって、人間を「自然の姿を十全に保つための善意の管理者」と位置付けようとするのです。
 私はクリスチャンではありませんから、こういう特定宗教をバックボーンとした考え方は素直に認めたくないです(それに、結局欧米中心だし)。が、位置付けは微妙。人間の自然に対する優位を認めているという意味では「人間中心主義」の枠内に留まっているとも言える。…ただし、その背後には「神」がいます。これを考えると、人間を脱中心化しているともいえます。
 こういう立場を代表する人として、アメリカのナチュラリスト、ヘンリー・デイヴィッド・ソローがいます。この人の言葉で、好きなものがあります。
  「神の目から見て美しい。」
 どんなに醜い生き物でも、ということです。神は、それが美しいと思ったからこそ、創造した。
 人間の偏狭な価値基準で自然を裁断してはならない。そういうことを、彼は「神」という言葉を用いて述べたのだと理解しています。
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  • 回答No.9
レベル10

ベストアンサー率 17% (23/131)

どうして哲学からしか意味がないのかしら? 環境破壊がいけないのは、地球の環境が悪くなると、食べるものが無くなってお腹が減ったり、病気になったりして困ってしまうからです。 難しい言葉で考えなくても、サラダにするレタスの上にダイオキシンが降ってきたり、原子力発電所が爆発して灰が降ってきたりしたら、誰もそれを食べたくないでしょ?病気になっちゃうから。 空気が悪いところにいて、ゴホゴホ咳が出るのイヤですねえ ...続きを読む
どうして哲学からしか意味がないのかしら?
環境破壊がいけないのは、地球の環境が悪くなると、食べるものが無くなってお腹が減ったり、病気になったりして困ってしまうからです。
難しい言葉で考えなくても、サラダにするレタスの上にダイオキシンが降ってきたり、原子力発電所が爆発して灰が降ってきたりしたら、誰もそれを食べたくないでしょ?病気になっちゃうから。
空気が悪いところにいて、ゴホゴホ咳が出るのイヤですねえ。
そんなイヤな思いをしたくないから、みんなで協力して汚くしないようにするんです。そうしたらおいしいものが食べられたり、病院に行ったりしないで良くなるんです。
補足コメント
gatto

お礼率 31% (20/64)

ご回答ありがとうございます。

>どうして哲学からしか意味がないのかしら?
では、他の分野から、「環境破壊はいけない、環境保護しなければならない」
といえますか?
価値について考えるのは、哲学(とか倫理)の役目だと僕個人としては思っているからです。

>難しい言葉で考えなくても、サラダにするレタスの上にダイオキシンが降ってきたり、
>原子力発電所が爆発して灰が降ってきたりしたら、誰もそれを食べたくないでしょ?

そうですね。いやです。
では、
「私の国は貧しい。経済発展して、自分と国民を豊かにしたい。
そのためには、環境保護よりもとりあえず原生林を切って日本に輸出して
外貨を獲得しなければならない。野生動物が何種類か絶滅しようが仕方ない」
という発展途上国の人には、なんと言えばよいのでしょうか。
投稿日時 - 2001-04-17 15:28:03
  • 回答No.8
レベル12

ベストアンサー率 46% (376/804)

gattoさんにはどこかでお目にかかったような気がします・・ それはさておき、ご質問なさっていることを 「環境破壊がいけない(すなわち悪)とするならばその価値観の根拠は何か」 と書き換えてもよろしいでしょうか。 ...続きを読む
gattoさんにはどこかでお目にかかったような気がします・・

それはさておき、ご質問なさっていることを
「環境破壊がいけない(すなわち悪)とするならばその価値観の根拠は何か」
と書き換えてもよろしいでしょうか。
補足コメント
gatto

お礼率 31% (20/64)

こんにちは。いつもお世話になります(笑)

>gattoさんにはどこかでお目にかかったような気がします・・
数学あたりではないですか?(この前の、ポイント付けときました。
その節はどうも。)

>「環境破壊がいけない(すなわち悪)とするならばその価値観の根拠は何か」
はい、結構です。
よろしくお願いします。
投稿日時 - 2001-04-16 23:34:16
  • 回答No.10
レベル9

ベストアンサー率 53% (31/58)

 うひゃあ、このネタもけっこうモメるんですよね。このサイトでも議論があります。下記参考URLをご参照ください。「教育」>「理系の学問」>「環境&エコロジー」にあります(まだ締め切られていません)。  とりあえず手に入りやすい参考図書を紹介します。  一つ。『環境倫理学のすすめ』加藤尚武・著 丸善ライブラリー  もう一つ。『生物の保護はなぜ必要か』ウォルター・リード&ケントン・ミラー著 ダイヤモン ...続きを読む
 うひゃあ、このネタもけっこうモメるんですよね。このサイトでも議論があります。下記参考URLをご参照ください。「教育」>「理系の学問」>「環境&エコロジー」にあります(まだ締め切られていません)。

 とりあえず手に入りやすい参考図書を紹介します。
 一つ。『環境倫理学のすすめ』加藤尚武・著 丸善ライブラリー
 もう一つ。『生物の保護はなぜ必要か』ウォルター・リード&ケントン・ミラー著 ダイヤモンド社
 前者は「哲学から見た環境問題」に関する入門書とでも言うべき性格のものです。著者のウィットが随所に見られ、わかりやすく面白く読めます。
 後者は自然科学寄りのものです。自然界に「善悪」を論じることはナンセンスですが、生態系にとって「正義」と呼べるものがあるとすれば、それは「多様性」である、ということを具体的な事例を挙げつつ結論付けています。
 はやりの問題…というか、どうしたって考えざるをえない、避けられない問題ですから、この他にもたくさん本は出ています。具体的なデータを盛り込んだものや、温室効果、オゾン破壊、森林破壊など、具体的な諸問題の原因・背景を探り、解説するものが多いようです。それに比べると「環境倫理」関係の書籍は、まだそれほどありません。(大学や研究所発行のものはけっこうあるのですが、一般向けのものは。)

 で、「なぜいけないの?」の本題に入ります。
 「世代間倫理」という考え方があります。ハンス・ヨーナスという倫理学者が提唱したものです。内容的には、Charlie24さんが述べておられる「子孫への配慮」というのと同じことです。すなわち、「現在世代による不必要な資源浪費や環境破壊は、未来世代の生存可能性を奪う」のでいけない、ということです。Charlie24さんは最初「自殺」と表現しておられましたが、もう少しはっきり言ってしまうと「現在世代による未来世代の殺害」にあたる行為が環境破壊であるから避けねばならない、ということになります。
 まあその、これを通俗的なキャッチフレーズのような形に言い換えれば「子どもたちに、美しい地球を残そう」みたいなことです。

 さてしかし、ヨーナスの「世代間倫理」という考え方は、旧来の伝統的倫理観を乗り越えて初めて成り立っています。この「旧倫理観」の内容、およびその乗り越えは、回答No.3のkeronyanさん宛てのコメントに見える「人間だけが他の生物のことに配慮しなければいけませんか?」というgattoさんの疑問にも関わるものです。
 「旧倫理観」の前提を押さえます。この前提は「倫理・道徳の基盤は、主体の相互性にある」ということです。…どうもすいません、言葉が固くて。噛み砕いて言うと「自分がやってほしくないことを、他の人にしちゃだめだよ」っていう、誰もがずいぶん昔に誰かから言われたことのあるのと同じことです。これの基盤には「私と他者の相互性」があります。「自分がやってほしくないことを…」というのは、さらに分析すれば「私はあなたに、あなたの好まないことはしない、だから、あなたも私に、私の好まないことはしないでくれ」ということです。「契約」というほど明示的ではないものの、こうした相互の承認が土台となって倫理・道徳は成り立ちます。はい、これが「前提」です。
 この「相互の承認」が、「現在世代」と「未来世代」との間に成り立たないということは容易に見て取ることができようかと思います。何と言っても、「未来の世代」は今現在存在していない人々なのですから、「相互」承認などできるはずがありません。「旧倫理観」は、実は「同時代に存在する」人々の相互承認という前提をも持っていたわけです。

 この前提の乗り越えのためにヨーナスが持ち出したのが「責任原理」です。「自分がどう行為するか」について、主観的な動機や意志の在り方・持ち方を規定しようとするのが「心情倫理」ならば(カントのものなど)、行為の客観的な結果から生じる「責任」を根源として、そこから「いま、自分はどう行為するか」という決定を導こうとするものです。
 この考え方に立ちますと、「予期しうる未来における結果」について「今の私には責任がある」ということが導けるわけです。これで「未来世代との相互承認」という要素はクリアできることになりました。

 さぁて、「他の生物」につなげますよ。ヨーナスからは離れますけどね、ちょっとした応用です。
 上記のごとく、未来世代の人間は今現在存在しておりません。当たり前ですね。存在していない以上、道徳的倫理的行為の「主体」ではありえません。「武士は相身互い、助け合おうではないか」などと未来の人が言ってくれて、われわれに何かしてくれるはずはない(タイムマシンでも発明してくれりゃ別ですが)。
 にもかかわらず、現在世代には未来世代に対しての「責任」がある。すると、その責任から現在世代のわれわれに課せられてくる行為の基盤は何になるか? それは、現在世代による、未来世代に対する、一方的な「配慮」ということになるのです。相手が何をしてくれるかということを顧慮せずに、こちらから一方的に配慮する必要があるということです。なんつーか、あの、「アガペー」つーやつでしょうか。
 それでですね、生物です。人間以外の。
 人間の歴史の中でも、自由や権利の範囲は拡大してきました。奴隷の廃止、市民権の確立、黒人奴隷解放、公民権獲得、女性の権利、子どもの権利、その他少数民族などなど。被抑圧者は、時に膨大な血を流すことも厭わず、「自ら戦って」権利を獲得してきました。これは、彼らが人間であり従って「主体」でありうるからです。「同時代の相互承認」の枠に割り込むために(というと語弊はありますが)、彼らは自らの意志で戦ったのです。
 もうおわかりでしょうが、動物や植物にはこれができません。そりゃまあ、猫は腹がすけば「みゃあぁぁ~(エサくれぇ~)」と鳴きますが、別にそれは「エサ獲得権要求」ではないです。腹がくちくなれば要求はやむ。
 人間以外の生物は「主体」たりえない。だからこそ、いちおう唯一「主体」たりうる人間が「配慮」してやる必要がある。そういうことです。

 ただ、生物に関しては「相手が何もしてくれないにも関わらず」という項は外せます。役に立つんですよ、生物は。
 「人間が他の生物を勝手に利用するのはよくない」という考え方もあるにはあります。いわゆる「反・人間中心主義」というやつです。でも、私はこれを、あんまり支持していません。人間でありながら人間の利益を顧慮しないで生きていくということが、具体的にどの程度できることなのか、疑問に思っています。
 ですからここは「人間中心主義」の枠の中で話を進めます。他の生物は人間の役に立つ。だから「持続的に利用可能なように」保護すべきである、と。言い換えれば、彼らの生存持続について、人間として「配慮」すべきである、ということです。

 誤解があっては困りますので、もう一つ申し添えます。「今、さしあたって有用でない生物は滅ぼしてもいい」ということではありません。前掲書『生物の保護はなぜ必要か』を読めば書いてありますが、あらゆる生物種は、それが棲息する生態系の中で、時として人間の予測を超える大きな役割を果たしている場合がある、というのが理由の一つです。役に立っていないからと言って駆除してしまうと、しっぺ返しがくる。
 それから、今さしあたって有用でなくとも、遺伝子資源として確保しておくべきでもあります。野菜の品種改良では、希少な原生種との交配などによって有用な種を作り出せることがあります。そのためには遺伝子が必要です。遺伝子を保存するには、冷凍保存という方法もありますが、いちばん効率の良い保存の方法は、やはりその生物を生きた姿のままにしておくことなのです(アメリカの種苗企業などは、これに多大な費用と労力を費やしています)。

 いつもながら長くなってしまいました。とりあえずこんなところで。
補足コメント
gatto

お礼率 31% (20/64)

補足です。
遅くなって申し訳ないです。
自分の考えをまだ体系化できていないので、それが以下にもあらわれる
かもしれませんが、ご容赦ください。

以下では、人間全体を、「人間」とひとくくりにして述べることを
とりあえず受け入れて展開してます。

>(被抑圧者は)、「自ら戦って」権利を獲得してきました。これは、彼らが人間であり従って「主体」でありうるからです。「同時代の相互承認」の枠に割り込むために(というと語弊はありますが)、彼らは自らの意志で戦ったのです。
> もうおわかりでしょうが、動物や植物にはこれができません。・・・
>人間以外の生物は「主体」たりえない。だからこそ、いちおう唯一「主体」たりうる人間が「配慮」してやる必要がある。

そんな必要ないと思うのですが。
たとえば野生動物には、快適に生存する「権利」があったのですか?
そんなものないと思います。
権利とは人間(被抑圧者とか)が発明したものではないですか?

人間以外の外部、たとえば生物に対して、人間と同等の権利をみとめることは
できないのでは。

ですから、

>「人間中心主義」の枠の中で

>人間として「配慮」すべきである

のならわかります。

間違えて人間以外の生物に権利を認めてしまうと、
狩猟はおろか農業もできなくなります。
環境に対して影響を与えることはすべて否定されてしまうので
息もせずに止まっているしかありませんよね。
ということは権利は人と人との関係でしか想定できないもの
といえるかと思います。

人間は生存競争の中の一主体(プレイヤー)にすぎないのであって、その中の
1プレイヤーが、相手に「権利」や「存在意義」を認めたところで、
それはプレイヤーが自分の思考の中で考える「相手」に
取り付ける概念装置でしかなく、その「権利」や「存在意義」は
すべて自分の方を向いています。

だから相互的でない。相互に同意しえない。

倫理が相互性にもとづくならば、
他の生物と人間との間に倫理は想定できない

だから倫理は「人間中心主義」の視点でしか考えられない。

(さらに言えば、人間同士に倫理が仮定できるのは相手も同じように考える
 可能性を仮定しているからだと思います。)

ただ、物理的な行為の相互性はあると思います。
だから、自然は人間の開発行為にときに復讐したりする。
いや、生存のための活動が人間にとって復讐に思えたりするだけでしょうけど。


上記の文脈から離れて、
人間にとって自然は有益であり、その点で、現在の技術で
自然を超克して有益な物理的体系を築きあげることはできないので
自然を保護すべきである。なるべく多様性を維持し、不用意な破壊は避けるべきである。
とする考えはいいとおもいます。
私もその立場です。
投稿日時 - 2001-04-18 13:56:44
お礼コメント
gatto

お礼率 31% (20/64)

ありがとうございます。

補足を考え中なので、先にお礼だけ申し上げます。

環境&エコロジーのURLありがとうございます。
読ませていただきました。
投稿日時 - 2001-04-17 15:12:12
  • 回答No.11
レベル11

ベストアンサー率 17% (31/182)

>たとえば、あなたがブラジルの畜産業者だったとして、ファーストフード チェーンから、食肉のオファーが高額できたら、原生林(熱帯雨林)を買って そこを拓いて牧場にするでしょう?    私がブラジルの畜産業者だったら、転職します。 前回の回答は、よりいいかげんでした。すみません。  環境破壊は悪だという環境がつくられたのです。しかし、クーラーをつけることも普通であった(悪でなかった)た ...続きを読む
>たとえば、あなたがブラジルの畜産業者だったとして、ファーストフード
チェーンから、食肉のオファーが高額できたら、原生林(熱帯雨林)を買って
そこを拓いて牧場にするでしょう?
 
 私がブラジルの畜産業者だったら、転職します。

前回の回答は、よりいいかげんでした。すみません。

 環境破壊は悪だという環境がつくられたのです。しかし、クーラーをつけることも普通であった(悪でなかった)ため、みな、慣れてしまった旧来の常識から抜け出せないのでしょう。また、「環境を破壊しない」ということの基準を満たす事で、得れる快感を、大半の人がまだ「覚えてない」せいもあるかもしれません(人助けをすると気持ちが良くなってしまうが)。しかし、この常識もあれだけさけばれていると、罪悪感を生み出す「倫理」の管轄にはいるようになると思います。すでに、ポイステをすると、心痛む人もいるので。
しかし、窃盗も法規制されているように、環境破壊がたとえ倫理の許す所でなくなっても、同じように法によって規制されると思います。
 環境破壊は人情に訴えるのでしょうか?そうなると、倫理だけの場合と違ってくると思うのですが、、。
補足コメント
gatto

お礼率 31% (20/64)

おつきあいくださりありがとうございます。

>私がブラジルの畜産業者だったら、転職します。
環境のためにですか?
ではその業者の肉を使っている某大手ファーストフードチェーンの
ハンバーガーは食べられますか?
マングローブの自然林を伐採してほとんど日本向けに養殖して輸出されているタイ産の
エビは食べられますか?
直接職業として環境破壊に従事しなくても、間接的に関わらざるを得ないのではないですか?

>また、「環境を破壊しない」ということの基準を満たす事で、得れる快感を、
>大半の人がまだ「覚えてない」せいもあるかもしれません(人助けをすると気持ちが良くなってしまうが)。
それは日本でしか通用しない議論ではないでしょうか。
先進国の経済発展は、他国の環境破壊の上に成り立っている面はたしかにあります。
そんな「快感」が、貧困を経済開発で解決しようとする途上国の人にとって
はたして説得力があるのでしょうか。

>法によって規制されると思います。
それは実際そうだと思います。
しかし法は社会秩序の維持が主たる目的であって、
正義とか善悪とかとは一つ切り離されたところにあります。
(言い方を変えれば、より現実的に適用可能に変換した形態といえると思います。)
つまり、僕が問題にしていることは、法以前の話、いわば法を裏付ける根拠
の話です。

>環境破壊は人情に訴えるのでしょうか?
「人情」って言葉、あやふやですよね・・・

もう少し、僕の法で論点が明確にできたらよいのですが、力量不足のため・・・
申し訳なく思います。
投稿日時 - 2001-04-17 16:33:17
  • 回答No.13
レベル14

ベストアンサー率 22% (694/3099)

哲学方面からですかー・・・ 一言で言うなら、「自然は借り物である」とでも言いましょうか。 人は自然を借りて生活してるので、借り物を自分の物にしたり壊したりしてはならないのだと思います。 少し前の毎日新聞に、「『何故人を殺してはいけないか』という質問は、『何故夕焼けを見ると美しいと思うのか』、ということと同じだ」という記事が載っていました。 理由なんて無いんだと言ってしまえば、世の中全ての問題に ...続きを読む
哲学方面からですかー・・・
一言で言うなら、「自然は借り物である」とでも言いましょうか。
人は自然を借りて生活してるので、借り物を自分の物にしたり壊したりしてはならないのだと思います。

少し前の毎日新聞に、「『何故人を殺してはいけないか』という質問は、『何故夕焼けを見ると美しいと思うのか』、ということと同じだ」という記事が載っていました。
理由なんて無いんだと言ってしまえば、世の中全ての問題に意味が無くなってしまうのですが。
ハッキリと線の引けないこの種の問題は、哲学と言うよりは禅問答だと思います。
補足コメント
gatto

お礼率 31% (20/64)

ご回答ありがとうございます。
補足します。

>一言で言うなら、「自然は借り物である」とでも言いましょうか。
この発想は、現実によく妥当すると思います。
でも、それは「環境破壊は悪い」という価値観が先にあって、
それをうまく言うために持ってきた言葉ではないかとおもえるのです。
まず「環境破壊はなぜ悪いのか」という価値観自体を
分析しなければ、と考えています。
投稿日時 - 2001-04-18 19:16:43
  • 回答No.12
レベル7

ベストアンサー率 18% (3/16)

環境破壊は人類のエゴの所産です。「生きとし生けるも」全てが共生していくならば、人類の犯した罪は、計り知れないものがあります。また、人類同士に於いても、お互いに害を及ぼしてます。わかりやすい例でいうと、温暖化によって、水没したり、氷河湖決壊による大洪水に見舞われる国があるということです。自然科学の面から今西錦司氏の著書を読まれることをお薦めします。 ...続きを読む
環境破壊は人類のエゴの所産です。「生きとし生けるも」全てが共生していくならば、人類の犯した罪は、計り知れないものがあります。また、人類同士に於いても、お互いに害を及ぼしてます。わかりやすい例でいうと、温暖化によって、水没したり、氷河湖決壊による大洪水に見舞われる国があるということです。自然科学の面から今西錦司氏の著書を読まれることをお薦めします。
補足コメント
gatto

お礼率 31% (20/64)

ご回答ありがとうございます。

> 環境破壊は人類のエゴの所産です。
そのとおりです。しかし、環境保護だって、人間自身が生き延びるために
気にし始めたことだとすれば、それも同様にエゴの所産といえますよね。

>人類の犯した罪
罪とは何でしょうか。
環境を自分たちが快適なように維持し、あるいは改造・変形しながら、時には
環境保護という言葉でカムフラージュしても、やっていることは、
たとえば経済的な利潤目的むき出しで開発行為を行うこととそんなに
違いがないのでは。
どこまでが罪で、どこまでが罪でないのでしょうか。
例えば、牛を牛舎に囲って「非人間的」に増殖させ、次々に殺して胃袋に
納めていくことは、罪ではないのでしょうか。
自然発生したウイルスを撲滅(=絶滅)させることは環境破壊ではないですか?
「人間にとっての」害虫や有害な細菌を滅ぼしてもよいのでしょうか?

>大洪水に見舞われる国がある
国とは人間が決めた境界や制度です。自然とは関係ないのでは?
もちろん国には人間以外の動植物もありますが。

>自然科学の面から今西錦司氏の著書を読まれることをお薦めします
ありがとうございます。機会があれば読みたいです。
投稿日時 - 2001-04-17 13:57:10
  • 回答No.7

返答です。 > たとえば、「あなた」が「守られる」必要があるのは、 > せいぜい「あなた」が寿命を迎えるまでではないでしょうか? > それまでどうにか環境が維持できれば、その後はどうなっても > いい、といえるのではないでしょうか。 > 「あなた」はどうして「人間全体」のことを配慮するのですか? エゴで考えれば、確かに自分が死んだあとはどうなっても ...続きを読む
返答です。

> たとえば、「あなた」が「守られる」必要があるのは、
> せいぜい「あなた」が寿命を迎えるまでではないでしょうか?
> それまでどうにか環境が維持できれば、その後はどうなっても
> いい、といえるのではないでしょうか。
> 「あなた」はどうして「人間全体」のことを配慮するのですか?

エゴで考えれば、確かに自分が死んだあとはどうなってもいいというのも
ないことはないです。ただ、先日、母親と話をした時、「とりあえず
自分の知っている人(子供、孫など)は、自分が死んだあとでも、
そういった環境問題とかエネルギー問題で困らないでいて欲しい。」
と母親が言ったんです。僕自身は子供どころか結婚もしてませんので、
子供のことをいわれるとなんとも...という感じなのですが、
実際に子供がいたことを考えたら、そう思うのではとも思います。
未来の人間全体の中の一人に自分の子供や孫がいるのであるから、
エゴの延長で未来の人間のために地球を守ろう(この考えは確かに
おこがましいけど)という考えはどうでしょうか?

あと、環境問題の中には被害が急性のものもあるから、自分の身に
降りかかるものもありますよ。
補足コメント
gatto

お礼率 31% (20/64)

>エゴの延長で未来の人間のために地球を守ろう(この考えは確かに
>おこがましいけど)という考えはどうでしょうか?

環境保護という思想は、人間のエゴのためだ、と認めてしまうことが
一つの方法だろうと僕も思います。
そのうえで、人間のために環境を保護する、これなら納得できます。

でも、どうして一人一人(地球全部で60億くらい)を「人間」とひとくくりにして、
人間のため、というが可能なのでしょうか。この点がちょっと
わからないのです。たとえば(誤解をまねくかもしれませんが)
「遠くの人間より自分ちの犬」という価値観の人がいてもいいとはいえませんか?

>環境問題の中には被害が急性のものもあるから、自分の身に
>降りかかるものもありますよ

「自分にどういう影響が及ぼうが俺は今を楽しむんだ!」
という人にはどういえばいいのでしょうか?
投稿日時 - 2001-04-17 15:44:34
  • 回答No.6
レベル9

ベストアンサー率 11% (4/35)

私の考えでは、 >環境破壊はなぜいけないのでしょうか。 いけないとは思いません・・なんていうとめちゃくちゃに聞こえますが、 「地球に優しく」なんて良く言いますが、人間ごときが地球様にむかって やさしくなどとおこがましいです・・keronyanさんのおっしゃっている事に近いかも知れませんが長い歴史の中ではオゾンホールの破壊等と比べ物にならない程の劇的な変化がいっぱいあったわけですよね。そのたび生き残 ...続きを読む
私の考えでは、
>環境破壊はなぜいけないのでしょうか。
いけないとは思いません・・なんていうとめちゃくちゃに聞こえますが、
「地球に優しく」なんて良く言いますが、人間ごときが地球様にむかって
やさしくなどとおこがましいです・・keronyanさんのおっしゃっている事に近いかも知れませんが長い歴史の中ではオゾンホールの破壊等と比べ物にならない程の劇的な変化がいっぱいあったわけですよね。そのたび生き残れないものは絶滅してきた..。こんどはその対象に人間がなるかも知れないので、
「損をするのは自分達(他の動物含め)だからやめましょう」という、考えようによってはわりと身勝手な言い分なのかもしれません。今の程度の環境破壊なんて地球にとっては痛くも痒くも無いかも知れません。だから「地球に優しく」はほんとうは「人に優しく」なのじゃないですか?皆長生きしたいので
環境破壊しないほうが長生きできる確率が高くなる・・という。
生物は皆「自分を守る」以外にも「自分の種族全体を守る」プログラムがある(という話を聞いた事がある)ので狭義の身勝手は種族全体を守れないです。
私言っている事質問とずれてます?
補足コメント
gatto

お礼率 31% (20/64)

ご回答ありがとうございます

>「地球に優しく」なんて良く言いますが、人間ごときが地球様にむかって
>やさしくなどとおこがましいです

僕もそう思います。「何様よ」ってなもんで。

>「損をするのは自分達(他の動物含め)だからやめましょう」という、
>考えようによってはわりと身勝手な言い分なのかもしれません。

まさにそうですよね。
もっと言えば、他の動物にしても人間に温情をかけられる筋合いはない
だろうと思います。ただ静かに復讐するだけでしょう。
自然と対話できる不思議少女じゃあるまいし。

>今の程度の環境破壊なんて地球にとっては痛くも痒くも無いかも知れません。

人間の独り相撲、ってかんじだと思います。

>だから「地球に優しく」はほんとうは「人に優しく」なのじゃないですか?

要はエゴですよね。

>生物は皆「自分を守る」以外にも「自分の種族全体を守る」プログラムがある
この部分、より詳しく知っていたら、是非教えてください。
母親が子供の危機に際して命を賭してこれに立ち向かう、などというのはそれに
あたるのかもしれませんね。また、増えすぎたネズミが集団入水自殺するとか
いうのもそのメカニズムなのでしょうか。
そうなると、世界の人口が増えすぎて、食料難になり、戦争がおこり、結果的に
人口が減少するとかいうのもそうなのでしょうか。戦争、殺戮、飢餓、伝染病
は、これをなくさなければいけない、という根拠は結局なんなんでしょう?

ところで、自分の種族全体を守るプログラムがあるのなら、それより下位レベルにある「人間個人」がどうふるまおうが(身勝手をしようが)、そのプログラム
に制御されている以上、その枠をはみ出すということにはならないのではないでしょうか。そういうプログラムがあるから、なにやっても大丈夫だ、ということに
なりますよね。

種族というカテゴライズで語ることがどこまで有効かわかりませんが、
「有機生命体」というカテゴリ、「動物」「植物」というカテゴリ、
「人間」「犬」「昆虫」「被子植物」・・・というカテゴリ(「種族」
でかんがえるのはこれに該当するのでしょうか)など、分類のレベルによって
考え方が変わってしまうように思えます。
さらに人間に限っても、「人種」、「国家」、「共同体」、「家族」など、
それぞれのレベルで、身内をひいきし他を排除するメカニズムが
働いているわけですから、その中で
「人間である」という同一性だけを偏重することに説得力があるでしょうか?
自分たちが大事であるという考え方なら、「社員を養うために廃棄物処理に
金や手間はかけない企業」とか、「自国の経済成長を妨げないために、
二酸化炭素排出規制の基準を設けた京都議定書を批准しないアメリカ」
の言い分は否定できません。

アメリカの例で言えば
「そんなに他国への迷惑を顧みないつもりならミサイルかますぞ」などと脅して
(もちろん武力は非現実的ですが)国際協調にこぎ着けるという、
「エゴ同士のバランス」にしか可能性を求め得ないのでしょうか。

とすればそんなもの倫理ではないとおもいませんか?

やはり西洋的な「神様」より日本的な「世間様」なのでしょうか。
どうおもいます?
投稿日時 - 2001-04-16 22:42:29
  • 回答No.2

じゃあQ2kiraiさんの考えにのっかって。 僕は自殺というよりは親殺しではないかと思います。 つまり”地球に優しく”なんてキャッチフレーズがあったりしますけど 実際のところ環境とか地球に人間は守られ、依存して生活しているのですから。 ...続きを読む
じゃあQ2kiraiさんの考えにのっかって。

僕は自殺というよりは親殺しではないかと思います。
つまり”地球に優しく”なんてキャッチフレーズがあったりしますけど
実際のところ環境とか地球に人間は守られ、依存して生活しているのですから。
補足コメント
gatto

お礼率 31% (20/64)

ご回答ありがとうございます。
「人間」と大きくひとくくりにしてしまうと、
論点がぼやけてしまうような気がするので、
この点を細かくみるべきだ、と思っています。
たとえば、「あなた」が「守られる」必要があるのは、
せいぜい「あなた」が寿命を迎えるまでではないでしょうか?
それまでどうにか環境が維持できれば、その後はどうなっても
いい、といえるのではないでしょうか。
「あなた」はどうして「人間全体」のことを配慮するのですか?
投稿日時 - 2001-04-16 18:24:10
  • 回答No.1
レベル10

ベストアンサー率 16% (22/136)

「自殺、自傷はなぜいけないのか」と、同じ答えをあてはめればいかがでしょう? 私は環境破壊と自殺、自傷は同じようなものだと思います。 ...続きを読む
「自殺、自傷はなぜいけないのか」と、同じ答えをあてはめればいかがでしょう?

私は環境破壊と自殺、自傷は同じようなものだと思います。
補足コメント
gatto

お礼率 31% (20/64)

ご回答ありがとうございます。
では、自殺、自傷はなぜいけないのでしょうか。
実はこの点についても、わかりません。
というのも、自分のことを自分で決定して何が悪いのか、という考え方が
あると思うからです。
たとえばたばこを吸うという行為がありますが、
これは健康に良くないことを承知ですっているわけですから、
自殺、自傷と同類であると思いますが、人がたばこをすっていても
無理矢理やめさせると言うことはしませんよね。
(愚行権ということばもありますね)
できましたらもうすこし詳しく論じていただけないでしょうか・・・
投稿日時 - 2001-04-16 17:33:36
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