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社会主義と資本主義

漠然となのですが・・・ どうして社会主義と資本主義は対立するのでしょうか。 国のあり方だけではすまない、国の間の問題というのが、いまいち理解しづらいのですが・・・ お答えいただけると幸いです。

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  • tanuki4u
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回答No.2

二つの視点 1 資本主義否定としての社会主義 2 民族解放支援としての社会主義国 資本主義と社会主義が元々あったわけでなく、19世紀の社会を研究したマルクスなどが当時の社会体制ではだめじゃんというので構想したのが社会主義。だから元々社会主義は資本主義を否定します。資本主義を是とするならば、社会主義者は体制転覆を図る反逆者です。 19世紀段階のマルクスらの考えでは、「イクナイ資本主義は自然に社会主義になる。一番資本主義の発達した西欧が一番イクナイ状態だから、西欧から社会主義になる」と考えていました。 ところが20世紀初頭に、ロシアで社会主義が成立した。資本主義国としては最も遅れていた国です。 それでも、ロシアから始まって、順々に社会主義になると考えた、だってイクナイ資本主義は自然に社会主義になるはずだもん。 ところが、そうならない。そこでスターリンなどは「一国社会主義」を唱えて、トロツキーなどの世界革命論(世界中がすぐに社会主義になるべきだ)の人間を排除しました。排除したからって、一国社会主義がロシア一国だけ社会主義になって、他は知らんということでなく、社会主義の基地としてまずロシアをちゃんとしようというのが一国社会主義であって、世界中が社会主義になるべきだというのを諦めたわけではない。 実際に、中国国民党に支援していたのはソビエト共産党だったりしたわけです。革命を世界にです。 第二次世界大戦の結果、東欧が社会主義化します。 !! やった社会主義が拡がるのは歴史の必然だ。 じゃ、今後どうやって社会主義を広げるか? ということで、ソ連の支援先は、植民地国家に向かいます。 西欧資本主義の国家の支配にある地域の独立を支援し、独立させることは、社会主義が拡がることであり、植民地国家の国民にとって自国が西欧資本主義植民地から独立出来るという意味で、利害の一致があります。 ここに、ちょっと錯誤があります。 社会主義を採用しても、ソ連の影響下にはありたくない!というのが1950年代後半からの中ソ国境紛争。 モンゴルが16番目のソ連の加盟国と言われたように、中国が17番目のソ連の加盟国になるのが、正しいというのが究極的にはソ連の考えであり、中国は中国だというのが中国の言い分。 主義の違いよりも、国家を優先させる!というのが、1972年のニクソンに寄る中国訪問です。なんぜイクナイ資本主義の総本山であるアメリカと手を握るのですから。 ソ連のスタンスでは、社会主義の拡大と、ソ連という国家の影響力の拡大が一緒。ソ連=社会主義の本山。 植民地の人間にとって、現存の西欧の代わりにソ連という国家の影響下になることと、社会主義を選ぶことは別問題です。「別問題じゃん!」と激しく言い立てたのが1978年ころからのアフガニスタン紛争です。 ソ連の影響下にあるアフガニスタンがソ連からの影響を脱するために、アメリカの支援を得るという構図。

noname#246737
質問者

お礼

なるほどですね・・・ こっちの主義がいいよ!のみならずどうしても干渉がつきまとうのですね・・・ 結局は国の陣地がほしいがゆえに戦争を繰り返したのと一緒で、国の存在に関しては植民地ではない、他国に対する優越がほしいということなのでしょうか。 うーん、むずかしいですね ありがとうございました!!

その他の回答 (1)

回答No.1

 どちらも価値観の出発点が違うからです。  歴史上、人が重きをおく価値は大きく2つにわけられます。一つは「平等」もう一つは「自由」ということです。それぞれを極端にしてみると、平等では完全な監視社会になり、自由では弱肉強食になります。そのため、互いに少しすり寄って、自由も少し認める社会主義と、平等も認める資本主義が現在のスタイルです。  ただ、人間の経済はいろいろな落差や格差がないと動きません。古くは陶器や磁器は日本と中国の独占でしたから、アジアからヨーロッパへ商品が移動する反対方向にお金が動き、現代ならアメリカ中心に情報が世界へ発信され、それを周りが買う形が主流になっています。こういった地域の差がないと、みんな満ち足りてしまい、移動させる必要もなくなり、わざわざ商品やお金を動かす必然もまたなくなってしまい、ありえませんが経済が死んでしまいます。  その例が平等を先に考えたソビエト連邦の崩壊です。ただ、根本が違うとはいっても、どちらも同じ目標を求めています。地球全域を束ねる中心点、すなわち最終的な権力の掌握です。目指すは、その権力による世界の安定です。これは、同じ市場を目指す企業が競争状態になるのと同じで、2つの価値観同士が、同じ目標を目指して、自分たちの仲間を広げるために競争するということになります。根本が違うので、妥協はできません。発想の元が違うので、論理がすれ違ってしまいます。  無政府主義というのがあります。徹底的な弾圧で消えてしまいましたが、無政府主義は政府の存在すら許さないという立場で、これを極めると、中心の権力体としての政府がなくなる状態というわけです。そのため、右と左の挟み撃ちに会って、壊滅してしまいました。つまり権力の有無をめぐる、価値観の違いという訳です。

noname#246737
質問者

お礼

すごくわかりやすかったです。 自由と平等・・・ 正直に言うと国のあり方ってすごくマクロというか、自分が小さすぎるので実感がわきません。国や世界単位となるとそうやって主義とか形態が必要になってくるのですね。それがぶつかり合うのはあって然り、なんでしょうか。 ありがとうございます!!

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