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志望理由書の添削お願いします!

志望理由書の添削お願いします! 今焦ってます。たくさんの方の意見が聞けるとうれしいです! 時数は800文字ですが、ギリギリより多めに書いていらない部分は消す形にしようと思っています。 小さい頃から人と関わる事が好きだった。相手を知り、また自分をもっと知ってもらうとする気持ちが大きすぎて、ところ構わず話してしまうのが珠に瑕だった。そして、大きくなるにつれて、コミュニケーションの手段はたくさんあることを知り、その中でもひと際私の心を奪ったのは、TVのコマーシャルだった。 たった15秒。その短い間に、印象的に商品が紹介され、人々の目を奪う。全く無関心だった人にも興味を持たせ、そのたった数十秒で全く知らない他人を魅了する。終わったあとも音楽やフレーズがリフレインし、多い時には日本中の人々が口ずさむ。たった数十秒で自分を知ってもらい、会社と消費者の唯一コミュニケーションが取れるCM。作った人の考えが数十秒に詰まっていて、それが多くの人に伝えられる。自分を表現し、相手に認められようとする。コマーシャル以外にもラジオなどのCMやネットや紙上での広告があり、私は広告ほどたくさんの人とコミュニケーションが取れるものはないと考え、どんどん惹かれるようになった。 しかし、近年、情報が量・質ともに増大する時代になった。情報洪水により、人々は昔より自己防衛力が高まり、それに合わせてメディアも様々な形に変化し増加していった。消費の変化とともに広告やコミュニケーションの形も変わり、昔より遥かに、人と人とのコミュニケーションが多様化した。その結果、人々は知りたい情報だけを選んで知れるようになり、人と人とのコミュニケーションが薄くなった。特に不景気の今、広告はその大打撃を受けている。あらゆる企業が広告費を削るようになり、コミュニケーションが減ってしまった。このまま、広告という一種のコミュニケーション文化を滅ぼしてしまって良いのだろうか。 そこで私は、様々なコミュニケーション方法や、現代の文化現象を特にメディアの点から考えて、将来はコミュニケーションを目的とした広告を作り、より人との関わりを大事にする社会にしていきたいと思う。そのためには日本のメディアと言語・コミュニケーションの関係だけにとどまらず、現代の文化現象や、人間の感情、他者と自分についてなどを研究していく必要がある。そこで(ここには講座内容などが入ります。)など、過去や現代から様々な文化を多元的にアプローチしていく貴学部の複合文化学科にぜひ入学し、広告で他人とコミュニケーションを取るために必要な能力を身につけていくとともに、情報過密化社会においての、文化現象のあるべきところについて考えて、深く広く「伝える」ことを率先して行っていきたい。

みんなの回答

  • snaporaz
  • ベストアンサー率40% (939/2342)
回答No.2

広告が多様化し細切れになったことは「オンデマンド」になって 進歩したのかもしれないし、大掛かりな宣伝が不要になり、 コストは削減したのではなく、安く済むようになっただけかもしれない。 自己防衛力が上がったとすれば、それも消費者としての進歩 かもしれない。 『現状批判』を通じ「刷り込み」に近かった過去の大量広告 への『回帰』を望んでいるのだとすれば、根拠として弱いのでは ないか、ということです。広告とコミュニケーションを結びつける のはいいのですが、結局「論が立っていない」のです。 一般論はまぜてもいいんですよ。 しかし「たった15秒。~滅ぼしてしまって良いのだろうか。」 までの全体の半分以上が一般論なので、あなたの個人的な 理由を述べなければならないはずの『志望理由』としては枠を 取りすぎだと言っているのです。削るならここを思いきりカット すべきです。思い入れが強すぎるわけです。カットすると、 言うべきことがクリアになり、変わってきます。 がんばって仕上げてください。

  • snaporaz
  • ベストアンサー率40% (939/2342)
回答No.1

コマーシャルは基本的には一方通行です。少なくともつい最近までは。 ネットの普及で宣伝はようやくインタラクティブになろうとしています。 だから広告というコミュニケーション文化が「滅びようとしている」と いう認識は正しくないでしょう。形を変えようとしてはいるだろう けれど。紙媒体は確かに転換期を迎えていますが、大手広告代理店は 今も昔もコネ入社も抱えられるほどの人気企業。「あらゆる 企業が広告費を削るようになった」というのは根拠のある事実? しかしそれでも広告は黒子でしょう。「(広告を?)作った人の考え」を 広めることが目的ではなく、あくまで伝えるべき主役はクライアントの 製品やサービスです。「コミュニケーションを目的とした広告」って、何? そして「志望理由」なのに、最後の数行を除けばコマーシャルに ついての持論、というには目新しさのない一般論。「私」がどこにもない。 かなりピント外れだと感じました。そもそもその論法で広告や コマーシャルとコミュニケーションをつなぐことに無理があるのでは。 あなたが広告業界に行きたくてたまらないことは伝わりましたが、 私が添削講師なら、全面書き直しを指示します。

shinee-hello
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 広告コミュニケーションの本来の基本概念は企業と消費者が双方的であることであるので、 それに対する今のコミュニケーションの一方的なところを伝えたいと思っていました。 削るようになったというのは事実です。 現に日本経済研究センターによる統計で08年から09年にかけて媒体別の総広告費が15パーセント近く減ったという結果があります。 自分の興味を持ったきっかけ→一般論とその問題点→自分ができること のような体系で書こうかとおもいましたが、 一般論があることはいけないのですね。初めて知りました。 自分としては、コマーシャルに限らず、TVや写真などのメディア媒体はすべて コミュニケーションをとる道具だと思っています。 ですが、snaporazさんのように思われることもあるので、考え直してみます。 ありがとうございました!

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