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スピリチュアルな質問です。

スピリチュアルな質問です。 障害を抱えて生まれてきたり、戦時下の国に生まれて来る人間は、 耐えうる強い魂を持ったものとして、選ばれてきたからなのだ。 と聞いた事があります。 今生で、心を磨けば磨くほど次に生れてくる時は 苦しみを抱えて生きていかなければならないのでしょうか。 なんだか解せないんです。 ご解答お願い致します。

みんなの回答

noname#154609
noname#154609
回答No.5

私は霊魂を信じていますが、本来「輪廻転生」は霊能者が知覚したことです 自分に備わっている霊能力は偉大な方、とか偉大な霊からの伝言であるので自分の考えではないと状況の霊能者さんは多いかと思います そこで偉大なるお方が人間的であるとすれば、人間なので間違い伝達もありうるということがないだろうか懸念はあります 神の声なので霊能者さんは逆らえないという事です 輪廻転生に関しては大宗教、キリスト教などが認めていないこともありますが 見えにくい物質である「霊魂」が新しい肉体に影響しているかも知れないですね 質問者様のいうとおり現世の人間が望む現象が一人歩きで混乱している可能性もあります

  • xxLOVEx
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回答No.4

まず障害を持って生まれてくる魂というのは、 カルマを創造しない存在なのです。 最初からカルマを創造しない存在となる、と選択してきています。 (う~んとつまり、何かをしてそれが返ってきたりしない、一定の状態。) つまり障害のある人というのは、 障害のある子を産む親や周りの人が、 「障害を持つ子を育てる、接する。」という課題を持ってます。 だけれど、魂が成長すれば、 カルマを創造しない人間として産まれてくるかと言ったらそういう問題ではないのです。 戦時下の国・・・う~ん、、、 それも選んでることなので、魂が成長してるからという訳でなく、 ただ単に経験として選んでるんです。 そして魂は別に強くなったり成長したりはしません。 いつも一定で、ただ観察しているのです。(魂、という視点では) だから生まれ変わりが多いほど、不幸な環境を選んでくる訳ではありません。 すべてはカルマのバランスを実現するために選んでるので。 わかりにくいかもしれないですが、 不幸な状況や、波乱万丈な人生は、 別に魂レベルが高いとかそういう問題では・・・ないのです。 某有名サイキックの方はそういった考え方をされるようですが・・・。 仏教的な考えをもとに考えるとそうなるんじゃないでしょうか。 修行すればするほど魂が磨かれる・・・というのは一種の考え方なので、 別にそうではありません。 この考え方は流行りみたいですが、 もっと詳しくスピリチュアルを知ってみると、 そうではないらしいことがわかります。

noname#189246
noname#189246
回答No.3

●再質問に対して アウシュビッツであったり、原爆であったり、何の罪もない人が大量に殺されるという現象は、霊的に解釈するとどういうことになるでしょうか。 まず、カルマの清算は数学的正確さを持っているようですから、死亡した一人ひとりが何らかのカルマを解消するために、その苦しみを受けたとも言えます。 しかし、これらの死に方は必ずしも苦しみの中で死ぬ人ばかりではなく、苦しむ間もなく一瞬にして亡くなる場合もある訳ですから、そういう場合は出来事を利用して、カルマの清算の必要なく、普通に寿命を迎えたということもあります。 苦しむかどうかはカルマの清算をする計画の具合によります。 戦争という、人間の自由意思に基づく殺し合いは、人の人生を学びの途中で奪うことになる場合も多いと思います。しかし、戦争という、自由意思の殺し合いではあるけれども、国家意識という良い動機の場合は、人間によって学びの途中で人生を断たれても、早く再生できるという特別の配慮がなされる場合があります。人の人生を途中で奪うということは、霊界での意識に反するのであり、人間の自由意思が愚かに使用された結果です。霊界の方向と矛盾する出来事もたびたび起こるということです。 戦争と一言で言っても、死に方には様々な種類があるので、結論をひとつに絞って、「こうだ」と言えない難しさがあると思います。事故と同じ原因で亡くなった人も居るし、殺人のカルマの場合もあるし、国家意識の貫徹とか、色んな学びが混沌の中で起きていると思います。 人間は愚かです。愚かさの中で学ばなければならない教訓がまだあるということです。 残忍な出来事を経験し、二度と同じ過ちを繰り返さないように学ばなければならないのです。 人間社会全体、第三者にとってはそういう教訓の出来事なのです。 耐えられるかどうかですが、耐えられていない魂はありません。皆霊界に戻って学びを続けているのです。 次に、魂は過去に生まれ変わることはありません。世界には時間というものは存在しないので、人間が言うところの「未来」にしか再生しません。時間は人間が勝手に作り上げた概念です。太陽の動きを人間が区切っただけです。元々はタイムストップしたまますべてが動いているのです。永遠にタイムストップしているのです。だから、魂は永遠だし、過去に再生するということもありません。動いている「今」に再生するだけです。ということは人間が言うところの「未来」に再生するのです。 あなたが「未来」にどんな苦しみを体験するかは、あなたのカルマによります。だから、愚かな学びをしないように気をつけて生活すればよいでしょう。

noname#189246
noname#189246
回答No.2

根本的な問題は、まず人間は現世に自分を磨く修行のために生まれてくるという、 現世を生きる上で最重要な事柄が質問者様の意識の中から欠落しておられるのではないかということです。 正直申し上げて、現世はスピリチュアリズムでは最も苦しみの世界、地獄です。 愉しみ、喜びは本来霊界にあります。現世は愉しみ、喜びを求める場ではありません。 魂には無限の向上心があります。それを満足させるために現世は大霊の計らいによって作られているのです。 無限の霊界生活の中で、現世という修行場に居られるのは、1回100年以内です。 次に生まれ変われるのは数百年後です。 その限られた時間の中で、魂は出来るだけ多くの学びを得て、霊界に帰りたいと思うのです。 現在現世で苦しんでいるすべての人は、その苦しみを体験するために生まれてきたのです。 身体障害を負っている人の魂は、それによる苦難を修行として選んでいる魂です。 もちろん、人間は耐えられらる苦難しか体験しません。 霊界であらかじめ耐えられるだけの計画がなされるのです。 どんなに苦しそうでも、魂は耐えられているのです。 選ばれてきたというよりも、自分にかける負荷を自分で調整してきたと言った方がいいです。 その結果が身体障害ならば、もちろんそれによる苦難に耐えられるということです。 今世で心を磨けば磨くほど、霊界で高次元の領域に意識を高める事が出来、 より高次元の方が明るく美しい世界だといいます。 魂の望みはそこにあり、現世での愉しみなど眼中にありません。 ただのトレーニングセンターだからです。 こういうことを認識すると、 「今生で、心を磨けば磨くほど次に生れてくる時は 苦しみを抱えて生きていかなければならないのでしょうか。」 という疑問がとても違和感のあるものに感じられないでしょうか。 そもそも、現世自体が地獄であり、魂は、本当は次に生まれたくもない場合が多いです。 ただの修行場であり、愉しむ場ではないのだから、 「よし、小学校の次は中学校だ」 と思うのが普通じゃないでしょうか。 「小学校やったのに、今度は中学やるの?、やだな…」 これが質問の状態です。お分かりでしょうか。

hatena-archi
質問者

お礼

ありがとうございます。 「人間は耐えられらる苦難しか体験しません。」 とありましたが、 アウシュビッツの収容所で苦しんで亡くなっていった方々、 ヒロシマ・ナガサキで犠牲になった方々、 耐えらる苦難だったんでしょうか。 想像するに耐えがたい、耐えがたい苦しみに違いないと思うのです。 そんなにも地獄を体験しないと高次元には行けないのでしょうか。。。 また、過去に生まれ変わる事もあると聞いた事があります。 アウシュビッツに収容される運命に生まれ変わる可能性もあるなんて、 怖くてたまりません。。。

  • sanori
  • ベストアンサー率48% (5664/11798)
回答No.1

こんにちは。 私は、こう考えます。 障害を抱えて生れてきた子が、頑張ること、努力をすることで何かを成す。 これは健常者に感動や希望を与え、あるいは、やる気や勇気を与えます。 それは、障害者が生きることの大きな意味であり、むしろ、健常者にはできないこととも言えます。 そして、 戦時下や貧困の社会で生れ育ち、必死に生きることは、生きることの大切さを感じることです。 今の日本では豊かな暮らしができますが、何がいちばん大事なのか、生きていられることは幸せなのか、という意識が希薄です。 デフレだの円相場がどうだの、それで幸・不幸が変わること自体がおかしいです。 また、皆が皆困っていれば、互いに助け合うという行動を生み、連帯感も生れます。 阪神淡路大震災のとき、被災者が明るく声をかけ合いながら、互いに助け合う姿をテレビで見て、感動しました。 周りが恵まれて、自分だけが恵まれていないとすれば話は別で、明らかに不幸です。 しかし、多くの人と困難を共有することは、幸せであるとも言えます。 「次に生れてくるときは」という言葉そのものを受け入れる考えは、私にはないです。 しかし、周りの人に影響を与えること、必死に生きた姿を周囲の人の目に残すこと、 それらが後世の人達に与える効果はゼロになるはずがありません。 それは、その人の心の一部が、後に生れてくる人間達の心の一部になることです。 つまり、その人の一部の生まれ変わりとして、多数の人がその人の一部を引き継ぐと解釈して構わないと思うのです。

hatena-archi
質問者

お礼

ありがとうございます。 苦しみの中に感動やいたわり等素晴らしいものがある事は理解が出来ます。 そんなに素晴らしい事が満載なのなら、 世界中で戦争が起こればいいと言う事になります。 私はどんなにそこに素晴らしい心触れ合いがあろうとも 戦争の中に飛び込みたくはないです。 戦争の中での助け合いを美談に出来るのは 戦争を実際に体験していないからなのではと思います。 戦争の中にあるのは悶絶する苦痛や やりどころのない怒りばかりなのではないでしょうか。 私は生まれ変わって戦時下に生きるのも嫌ですが、 生まれ変わらないとしても、 例えば自分の子供にも戦争は体験してほしくありません。 と私は考えます。 正しい答えはないかもしれませんね。 スピリチュアルな考えを信じているので、 その観点からこの事を知りたいと思います。 ありがとうございました。

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