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電車を乗るとき、お年寄りに席を譲ると思うけど、断われた場合が多い。お年

電車を乗るとき、お年寄りに席を譲ると思うけど、断われた場合が多い。お年寄りの心理はどう考えてるか。理解できない。誰が分析してくれないか。お願いします。

みんなの回答

  • booter
  • ベストアンサー率34% (269/769)
回答No.7

他の方も書かれている通り、社会的弱者と認識されてしまう事を拒否しているのですね。 ご婦人の場合には大概「これはレディーファーストですよ」と言えばOKです。

  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.6

ああ、外国の方ですか。 外国だとものすごくハンディーキャップがある人に対して特別の配慮をするように教育されますよね。 身体障害者が車椅子でバス亭に行くと、みんなよってきて、車椅子をかかえあげ、バスに乗せますよね。 車椅子の人が十分1人で乗れるように改造されたバスにもかかわらず、車椅子の人が自立して乗ることを阻止し不必要な援助を強引にやる。 自立を認めない。 ヨーロッパではレディーファーストと言って、エレベーターで女性がいたら女性に「先にどうぞ」と道を譲りますよね。 とても紳士的な行為だと思えるが、実は根底は女性を軽蔑する心があるからなのだそうです。 男は完全な人間だが、女は不完全だという認識。 これはキリスト教の影響です。 男は完全なもので強者であり、一人前の男であれば不完全な弱者である女に道をゆずるものだという考えが根底にあるからなのだそうです。 女を男と対等な人間だと認めておらず、自分は一人前の男であると誇示するため、不完全な存在だと自分が思っている女に道を譲るのだそうです。 男を完全だとするために、不完全な存在が必要になり、それが女であり高齢者であり身体障害者だとしたんです。 相手を一人前の完全な存在だとするためであって、親切心や敬愛が根底ではない行為。 高齢者に席をゆずって自己満足している人もいるが、それは敬愛というより「なんてすばらしいんだ自分」と自画自賛するために高齢者を利用している人もいるのではないかと。 自分がそういう差別をされたらどう思います? 1人の人間未満だとして、その人用に対応をされたらどうします? そんな失礼な差別にさらされたら「結構です」と言いませんか? もちろん そういう他人の自分に向けた差別に気づかず、ただ体力を維持するために、席を譲られても立っている人もいるでしょうけどね。

  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.5

維持をしたいからじゃないかと。 例えば人間は楽なやり方を提供され甘んじていると、できることができなくなるか、することが難しくなるじゃないですか。 人生経験が豊富な高齢者は、<甘え>の恐ろしさをよく知っている。 若者は電車の中で毎日座っていても、立っていられる時間に変化は無い。 だけど、どんどん体力が落ちていく高齢者は、立っていることが少なくなると、立っていられる時間が短くなる。 1週間前はできたことが、1週間身体を使わなかったことで、できなくなってしまう。 それを防ぐために朝、散歩をしているわけです。 暇だから散歩をしているんじゃないんです。 体力の維持をしないとどんどん落ちていく年代だから、維持し体力の低下を遅らせるために散歩をしているわけです。 そういう散歩を日課としなくても、日常で維持をしている人もいる。 例えば、自転車に乗らずに歩いていく とか、荷物を店に依頼して自宅まで届けてもらわず、自分で持って家まで帰るとか。 そういう日常生活でも、体力の温存ができる。 「この前まではできたことが、今日はできない」ということが、ものすごい心理的にダメージを与えるわけです。 自分を律し甘えないことで、立っていられる時間が短くなることを遅らせる。 やれることが減るのをなるだけ遅らせることができる。 自分に厳しいことで、体力の低下を遅らせることができる。=幸福感・満足感の継続⇒安心感。 甘えってのは、自分ができることなのに楽したいから他人にかわりにやってもらうこと。 できないことを他人にやってもらうのは甘えではない。 高齢者は葬式に出る回数も増えるわけですから、老い・死を身近に感じるわけです。 歩けなくなった友人が身近にいるわけです。 そういう人をみると甘えて他人に依存した生き方をした人だったりするわけです。 「他人になんでもやってもらっていると、そのうち体が動けなくなるよ」と警告していたが、性格は変わらないので言われても自分でやらず甘え続けた人が、とうとう本当にできなくなってしまったということを目の当たりにする年代なわけです。 そういう反面教師が回りにいる年代なので、体験を通して学習しており、学習に沿って行動を決めているわけです。 あと、家族に譲られたら遠慮しないが、赤の他人に譲られた場合は遠慮するってのは正常な心理だと思います。 他人さまにご迷惑をかけたくないって普通の心理ですもん。

lcq903861
質問者

お礼

答えてくれて、ありがとうございます。本当に助かりました。自分は外国人で、最近も席を譲るというテーマについて作文を書いています。母国と違いと思って、面白いと思います。kikurumiさんは何を研究していますか、もし、また問題にあったら、もう一回を聞きたいと思いますが、よろしくお願いします。

  • doorakanai
  • ベストアンサー率27% (758/2746)
回答No.4

あたしゃまだまだ若いよ!年寄り扱いするな!! というやつでは? 誰がどう見ても年寄りでも、本人の自己イメージは 銀髪のダンディーとか、ちょっと中年のレディ なのかも知れない。

noname#128261
noname#128261
回答No.3

ありますよね、そういうこと。 重そうな荷物を持っているおばあちゃんに「改札まで一緒に持ちますよ」と声をかけても、ひどく警戒されたり。 目の不自由な方や、車椅子の方などの障害者に声をかけるのも、少し遠慮してしまうこともあります。 欧米では、声をかけるのが当たり前、助けてあげるのが当たり前の社会で、小さいうちからそのように教育されていますが・・・ 日本では、今のお年寄りが小さい頃、人に甘えるな、人に迷惑をかけるなとおそわっていたはずです。 戦時中か、戦後か分かりませんが、みんながまんして、一生懸命生きていました。 道徳的に考え方が異なるんです。 だから、人の手を借りるのはとても悪いことのように思うんではないでしょうか。 私は今、義父母の介護をしていて、障害の重い子供もいます。 私自身は、障害のある子にたいして、福祉サービスはいろいろ受けていますし、いろんな人に支えてもらって、ありがたい気持ちですごしていますが、介護をうけている義父母はとても気まずそうです。 ヘルパーが来る前に、家の掃除をしたり(私にさせます)、ヘルパーさんに年に何度もお菓子や果物を渡したり、めちゃくちゃ気を使っています。 ヘルパーさんが来るからと言って、フライパンやポットなどの調理器具を新調しました。 私は心理学を少ししか勉強していませんが、今のお年寄り世代にとって、人の手を借りることは申し訳ない、恥ずかしいことだと感じるのではないでしょうか。 私の場合は、おばあさんを見つけると、さりげなく席を立ち、おばあさんに「そこ、あきましたよ。 私はすぐ降りますから」と教えてあげます。 「ゆずりますよ」ではなく、「空きましたからどうぞ」といえば、相手のご老人の気まずさもあまりなくなると思います。

lcq903861
質問者

お礼

答えてくれて、ありがとうございます。私は外国人なので、母国とちょっと違いと思うけど。今度大学の専門も福祉や心理の方面に発展したいと思います。助かりました。もし、わからないと、もう一度聞きます、よろしくお願いします

  • yuipu
  • ベストアンサー率38% (18/47)
回答No.2

私を世間の弱者と見做すな。 かな。

  • carrotcake
  • ベストアンサー率36% (660/1784)
回答No.1

1)降りる駅が近いので、譲ってもらうのは申し訳ない。 2)膝が悪いので、座る動作が苦痛。立っている方がまだ痛まない。 3)動いている電車の中で、席に座ろうとするとかなり不安定になり、転ぶ可能性が大きい。 私も何度も断られますが、あまり気にせず、また譲ると思います。 お年寄りにはそれぞれ事情がありますので、お気になさらずに。

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