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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:死刑は許されるべきか)

死刑は許されるべきか

このQ&Aのポイント
  • たとえどんな悪人でも、救われるべきだと思う。
  • なぜなら、その人が悪人になったのは、悪にならざるをえない過去があったから。
  • 死刑は、その人に更正をする機会を奪うものである。ただでさえ不幸な過去を生きた人間から、命まで奪うのか。

質問者が選んだベストアンサー

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  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.43

#22です。 >私たちは、他の生命を無駄に奪うことには抵抗がある生き物である それを取っ掛かりとして、どのような考えを生みますか? : そうですね。 まず、この「>取っ掛かり」は、人間が人間足り得ている基本的な要素であるように思われます。 つまり、私たち人間が他の生命を奪う必要性に直面した場合、それが「本当に必要であるのか否か」つまり、「無駄な殺戮ではないのか」「それを避けるためにあらゆる工夫がなされたか否か」ということに関して、日常的にという意味ではなく、あくまで理念として、ですが、常に問い続ける必要があります。(念のためですが、私は菜食主義者ではありません) その理由は、単に、私たちが「他の生命を無駄に奪うことには抵抗がある生き物である」という事実があるから、というだけに過ぎない、ということです。 殺戮に直面している対象に対する思いやりでも憐憫でも、高尚な論理でもありません。 そうするのが自然なように人は作られているし、そのようにするのが人間として無理のない行動である、ということです。 殺戮とまで言わなくとも、他者に危害と加えようとする者の顔は必ず歪んでいます。 良心の呵責なしに他者を誹謗中傷することは人間にはできません。 殺戮や無意味な誹謗中傷が回避されるべきであるのは、このような単純な理由によってです。 悪という現象は存在しますが、人間が、その悪自体であることはあり得ません。 ゆえに回避されることによって救われる者が必ず存在することになります。 回避しないことによって救われる場合もありますが、これは、そのような土壌に、はっきり言うと、不自然な精神状態に、その人自身が立脚してしまっているからにすぎません。 この場合は、また別の問題になりますが、長くなるのでここでは述べません。 やや前置きが長くなりましたが、 「他の生命を無駄に奪うことには抵抗がある生き物である」という認識は、様々な方向に敷衍できるでしょう。 たとえば、 ・人間にとっての無駄とは何か。 ・「他の生命を無駄に奪うことには抵抗がある生き物である」と考えてはみた(誰でも、特に幼い頃に、このように感じたことの無い人はいないことでしょう)ものの、それを自らの自然な欲求として発揮できない結果にしばしば至ってしまう、という現実があるのはなぜだろうか。 などといった検討課題が思い浮かびます。 たた、この「(超自我的)取っ掛かり」は、もうひとつ別の「私は私として生きなければならない」という「(本能的)取っ掛かり」とセットになっているという事実があります。 これらを統合するのが「(これら両者の)バランスを適正にとることによって自らのアイデンティティ確立を果たす」という「(自我的)取っ掛かり」と言えるでしょう。 「>どのような考え」を生むかと問われれば、多様すぎて一概にはお答えできませんが、方向性としてはこのような視点で常々捉えるようにしています。 ひとつだけ述べてみると、 たとえば、殺人者にせよ、悪態をつくことしか知らない駄々っ子にしろ、彼らにとっては、それが精一杯の自己表現である、ということになるでしょう。 本来的にそうしたくないことでもやってしまう、せざるを得ない、殺人者の哀しみ、駄々っ子の辛さ、というものに思いを致すことができなければ、根本的な解決への道はおそらく開けません。     

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その他の回答 (42)

  • AXIS_
  • ベストアンサー率12% (9/71)
回答No.32

 とにかく、No.12さんの言っていることを皆が実感できるようになるには気づきを待つしかないでしょう。  馬鹿の考え休むに似たり。

Tetsugakusya
質問者

補足

彼の世界観をエミュレートして実感することはできても、彼の説を受け入れはしません。 人間(生物)はそもそも社会のために生まれてくるわけではないと考えているので。 というか、何のためにこの「回答」を書き込んだんでしょうか

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回答No.31

他の人も理解できないみたいですが… その人しだい…と過去に原因がある…は、行動原理が違うものなので同時に成立しません その人しだいということは善悪や行動の判断は己自身にあるということです これでは責任だけを原因に委ねることになる 都合良い部分だけ紡いでも哲学とは云わない それは可哀相だからという感情と何ら変わらないものです ま、哲学としては論外ですね

Tetsugakusya
質問者

補足

>ま、哲学としては論外ですね そういうのは、私の主張を理解してからにしてください。 あなたが「論外」の人間だとわかっていますか?

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  • cyototu
  • ベストアンサー率28% (393/1368)
回答No.30

あんたがあんたの意見を持つようになったのは、あなたがたまたま今まで生きて来た時に遭遇した、親、教育、友達、環境、情報、要するに、あんたの埋め込まれた文化と歴史の結果じゃね。あんたがたまたま遭遇した文化や歴史が違えば、あんた違ったこと言っていると思うよ。それがあんたの質問に対するあたしの回答じゃ。 だからあんたが何でそんな風に考えるよになったかを分析したいなら、あんたの頭の中で思い付く論理的な整合性だけを論じてたっていつまでたっても判りゃしないよ。あんたが何人で何語を話、何時の時代に生まれて来たか。その時代の前にはどんな歴史があったのか。あんたの国じゃ戦争に負けたことがあったのか、無かったのか。植民地にされたことがあったのか無かったのか。あんたの産まれる前の前の前はどうだったのかちゅうことを徹底的に論じなきゃ駄目だ。一寸下尾た話になるが、あたしゃ、とっくに亡くなったあたしのお袋からいつも「お前は木の股から産まれたわけじゃなかろう」って怒られてた。 また、あんた哲学って何なんか本気で掘り下げたことがないようなので言っておくが、哲学は原理に拘るもんじゃとは、何ともまあ哲学したことのないお方の言い草じゃな。先ず原理っちゅうが、この世の中に原理っちゅうもんがあると言う根拠はどこにあるんじゃ。そもそも原理って何じゃ。原理とは所謂統一原理のことで、だから原理とはたった一つ切りないんなもんで、他の物はそれから演繹されて出てくるちゅってんのか。それとも、原理は幾つもあるもんで、二元論でも多元論でも認められられるちゅってんのか。多元論における原理って原理なんか原理じゃないんか。 あんたもお判りだと思うが、文化っちゅうのは個性のことじゃね。個性っちゅうのは固有な世界観ちゅうことじゃ。だから統一した文化なんちゅう言葉は、カレー粉の入っていないカレーライスっちゅうくらい意味の無い音の振動じゃ。 学問には皆それぞれ固有な文化を持っちょるが、あたしの知ってる限り原理を本気で拘っている学問は物理学だけじゃ。原理なんちゅうもんがあるかどうかなんて物理学者だって判っている訳じゃない。だから拘るんで。だから物理学って物理教と言っても良いんじゃよ。化学には化学固有の文化があり、生物学には生物学固有の文化があり、数学には数学の個性があり、社会学には社会学固有な文化があり、民俗学には民俗学固有の文化があり、歴史学にはれ歴史学固有の文化があり、、、そして、哲学には哲学特有な文化がある。そのように各々の学問には各々の個性、各々の文化がある。そして、それは一列に下層から上層へと階層的に並んでいるようなもんじゃない。そんな物の見方がこの世界を多様で豊かにしているんじゃ。階層的なそんな主張はカレー粉ぬきのカレーライスと同じゃ。だから、それぞれの学問に別々な名前がついているのじゃ。 哲学に興味があんなら、あんた哲学って何なんだと一度ぐらい考えなきゃいかんだろう。哲学が何時から原理に拘る哲学教になったんかね。哲学が何時から物理教に吸収されちまったんだね。まさか、哲学が物理学と同じ個性をもているって言う訳にはいかんだろう。哲学の個性って、原理以外の何かなんじゃないのかね。人に「お前は哲学の議論をしたことが無いお方じゃ」などと言う前に、あんたも哲学の個性って何だか一度ぐらい考えてみな。

Tetsugakusya
質問者

お礼

それと、私の知る限り、どの学問も原理によって作られています (原理という言葉についての説明)科学においても当て嵌まる概念だが、用語としてはかなりの拡大解釈を受けている。 このような説明もあります。 あなたは原理という言葉に対して、非常に小さな概念しか持っていないようですね。

Tetsugakusya
質問者

補足

原理(げんり、羅: principium、英: principle、独: Prinzip、仏: Principe)は、哲学や数学において、学問的議論を展開する時に予め置かれるべき言明。 そこから他のものが導き出され規定される始原。他を必要とせず、なおかつ他が必要とする第一のものである。 あなたが哲学をそこまで深く掘り下げているのなら、私の言ったことに対して、しっかりした反論ができるのではありませんか? あなたが言っているのは、「俺は哲学をお前より知っている。そしてお前の言っていることは間違っている。お前は俺より劣っているんだから間違いない。俺に従え。」ってことですね。 それほど言うのなら、私の主張を簡単に説明して、簡単な反論をお願いします。 それから、ぜひあなたの考えた立派な学説を聞きたいものです。

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  • rin00077
  • ベストアンサー率21% (117/534)
回答No.29

>あなたはたまたま善良な人間になれるような親、教育、友達、環境、情報 を得た。 あなたが善人になれたのは、運がよかったから。 それはそのとおりだと思う。 >もし、そうでない、不幸にも悪人になった人間に、本当に再起不能な罰を与えるのか。 そもそも、量刑はそういう被告人の生い立ちも勘案されている。 昔、父親を殺した娘の裁判があった。 当時、親を殺せば普通の殺人罪と違い、死刑か無期懲役しかなかった。(尊属殺人) しかし、その娘は執行猶予がついた。 通常、仮に裁判官が最初に無期懲役を選択したとしても、無期懲役はそれからどんなに 減軽されても法律上、執行猶予はつかない。 これは異例の判決であり、それが原因で尊属殺人というのが刑法上消えた。 つまり、その娘にそれだけ同情する理由があったという事です。 裁判官は杓子定規で量刑を決めているわけではありません。 それどころか、日本は量刑に甘いと思いますよ。 死刑に問われる者は、生い立ちを勘案してもそれだけの理由があるという事です。 逆に死刑を免れた者は、情状酌量の面がある、という事です。 それでも何が何でも死刑をなくするべきだという考えもあるでしょう。 それはそれで、そういう考えを持つ人がいてもいいと思います。 いや、そういう人もいたほうがいいかもしれません。 ちなみに僕は、死刑はあったほうがいいと考えています。 それは、恵まれない境遇であったとしても、それを上回る酌量の余地がない被告人も いると思うからです。

Tetsugakusya
質問者

補足

よくわかりますが、No24の補足を読んでみてください。

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  • AXIS_
  • ベストアンサー率12% (9/71)
回答No.28

 快楽犯について述べている人が見受けられますが。  それも何らかの原因によらなければ「人間性を失う」ことはないでしょう。ようは、負のかたちで現れるか、その反対のかたちで現れるかの違いがあるだけだと思います。  プライドなどが高ければ快楽的な形で現れるのでしょう。  「人間性を失っている」という短絡的な思考を、少ない経験から導き出す人もいるようですが、これは「狂気」の一言で済ませているキグルイと同じです。  しかし、やはり死刑制度とそれについて反対、賛成を述べても真の解決にはならないでしょう。

Tetsugakusya
質問者

補足

>真の解決 あなたには別の問題があって、その解決を求めているようです。 あなたが真の問題と思っていることはなんでしょうか。

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  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.27

>私が言うのは、現在の原因は過去にあるということです。 >そして自分という結果は環境という原因によって作られるということです いいえ、過去は原因じゃないです。 関東大震災で家族が大怪我をして家が倒壊した二人の女性。 二人とも寝込んだ。 心が生活を続けられないほど憂鬱になり寝込む というのは自然反応です。 ところが1人は3日後にベッドから起き出し、炊き出し部隊に参加した。 もう1人は、そのままずっとベッドから出れずうつ病を発症した。 後者がうつ病になった原因は、阪神大震災によって大きなダメージを受けたせいじゃない。 何故なら 前者は同じ境遇にあい寝込んだが、3日後には復活しているから。 阪神大震災は誘因です。 原因は気質です。 阪神大震災でうつ病にならなくても、そうなる素質を十分持っており、離婚でうつ病になったかもしれないし、親が無くなったことで、うつ病になったかもしれなかった。 大きな精神的ショックを受けた人はうつ病になるか。 なるとしたら、第二次世界大戦の時代、終戦の時代を生きていた日本人は全員 うつ病になっているはずです。 不思議なことに、戦争が始まると精神病院は閑古鳥が無き、平和の時代になると患者であふれかえる。 人は自由意志を持っている。 やる自由と やりたいという欲望を抑える自由。 やりたいままやるってのは、自由ではなく不自由。 やってはいけないとわかっていても やらずにはおれないというのは不自由。 いっくら悲惨な体験をしても人は殺さないという自由人か、自分の復讐心に負けて不自由人となり復讐心の奴隷になるか。 前回 クリミナルマインドの1エピソードを書きました。 「人を拷問して殺すのが楽しくって仕方ない。どんな道理も自分には通用しない。快楽殺人を誰も止めることはできやしない。誰も俺を説得して改心させることなどできない。 俺は神だ」的な人。 この人は不自由人。 胎児の頃に薬物により脳にダメージができて生まれた。 親の衝動を止められないという資質を遺伝で引継ぎ、親が発作的に暴力を振るう自分を抑えきれず、子供に暴力を古い不信という根を植え付け、資質ゆえに子供もかんしゃくもちになり、当然周りの人と迎合できず、信頼関係の構築のチャンスがいくらでもあったのに、特徴ゆえにどれも不発に終わるしかなかった。 親の暴力性が受け継がれたので、暴力を振るうことに快楽を感じ、麻薬が切れたように中毒になり、再度暴力をふるわずには どうにもおさまらなかった。 生まれつきの殺人鬼なわけです。 片方の親のみが衝動的であれば、子供が衝動的になる確率は50%。 衝動的な人が衝動的な人を好んだ場合、結婚し生まれた子供は衝動的になるのがもっと高くなる。 衝動的で感情が爆発しやすい子供を育てるのは一苦労でしょう。 それで耐えられず、虐待するか、逆にネグレクト(育児放棄)をすることになる。 育児放棄をされた子供が施設に入り、どうするかというと、かんしゃくをすぐ起こす。 押さえつけられることがなくなったので、今まで我慢していた主張をするのかというと、もともとかんしゃくもちだったから、親が手を焼き暴行を加えたか、育児放棄せざるをえなかった可能性もあるわけです。 犯人は誰かめぼしをつけるとき、最近会社を首になった、左遷された、離婚した などを経験した人を候補に上げる。 原因つまり殺人鬼の資質を持っている人が殺人を必ずするわけじゃない。 誘因となることが起こらないと、殺人はしない。 生まれつき資質があっても、生まれ育った環境が苛酷でも、人は他人を殺さない。 誘因が起こったとき、資質がある人に点火が起こり、殺人をする。 資質の奴隷になり資質に殺さないという自由を奪われる。 と私は考えています・ では、もともと殺人鬼の素質を持った人が、悪環境に長年さらされ、世の中を憎み人を殺して、それでも悪びれることなく、「死刑にしろよ くずどもめが ケタケタケタ」と笑っていた場合、どう思うか。 一番むごい仕打ちは、その人に罪を自覚させること。 自覚しなければ、勝ったと思っているわけですから。 その人にとってみたら、罪を認めることは社会に敗北することになると思っているから。 本当は社会に負けたのではなく、生まれ持った自分の資質に負けたわけです。 環境じゃあない。

Tetsugakusya
質問者

補足

長文ご苦労様です。 >いいえ、過去は原因じゃないです。 では何が原因になるのか、一文でお答えください。

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回答No.26

そもそも反論と決めつけているのはアナタ自身です 犯罪者になるのは原因があるというのと、犯罪者になるのはその人次第というのは同時には成り立ちません 犯罪者の過半数以上に対する行動原理などの法則性がなくては哲学としては成り立ちません 哲学は、物事の概要と問題点と改善策を法則性に沿って明確にすることです アナタの示した一例くらいでは、社会的に誰も認めるものにはなりません それでは個人的な願望の範囲です 社会というのは規範意識や共通認識があって成り立つものです 犯罪者を裁くのは大多数の心理的趣向…それが共通認識や規範意識になってくるものです それらを法則性もなく歪めて社会へ所属することに有益性がなくなれば、人間である必要性まで失うことになる 犯罪者になれば勝ち組という認識を広める恐れも生まれる 実際、犯罪抑止力に言及していないことからアナタの意見は俗に云う感情だけの奇麗事と判断できます 感情論は食べ残してご馳走さんですね(笑) ↑本来論理にこのような感情は必要ない しかし相手によっては感情論でなくては伝わらない場合もある 感情論者は、もう…たくさんです(笑)

Tetsugakusya
質問者

補足

>どうやら、あなたはこれ以上の反論ができないようなので、もう結構です。 この一文が読めなかったのでしょうか。 あなたが言うことはわかりますが 私の言っていることをまるっきり理解していないので、何の価値もありません。 残念ですが、他の方のレスを読むだけにしてください

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  • miko-desi
  • ベストアンサー率19% (69/352)
回答No.25

人間は社会性を持つ動物であるので、 個人が努力によって獲得した発案も利益もいずれ社会に還元されるべきものである。 それなので悪人の定義として 「一個人が、多数の利益を損なわせ、還元することなく利益を独占すること」 と私はしてきました。 殺戮者ならば殺戮者の「生き方」のどこに 利益がもたらされるのか?どういう損得勘定(感情)故であるか? それによっては、死刑宣告された被告人全てが この悪人の定義にあてはまらないことも。 自殺は、自らで行為することなので死に方というより、生き方。 生きた心地のない生より死の情景に救いを求めるという生き方。 孤独死を怖れ逃れる為に「想われて死ねる」死刑を望む場合も多いようです。 時間を置いて再構築してみます。

Tetsugakusya
質問者

補足

>「一個人が、多数の利益を損なわせ、還元することなく利益を独占すること」 たしかに自分が社会の中で生きることを選択すれば、それが悪になりますね。 またまとまった思想ができたら書いてみてください

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回答No.24

アナタは僕の犯罪者には2通りある…ゆえに分別するべきという意見は無視して自分に都合良い部分だけ拾ってますね >善人になった原因が必ずある ↑これだけで説明したことになるのかな?論といえるかな? 好き嫌いや、私は認めないというだけで反論といえるのかな? これは子供さんと推察するに充分でしょ そもそも言いたいことを言うだけの個人的な趣向程度なのだから反論もなにも成り立ちようがないですよね

Tetsugakusya
質問者

お礼

>そもそも言いたいことを言うだけの個人的な趣向程度なのだから反論もなにも成り立ちよう >がないですよね あなたが哲学をそのように理解しているのであれば、「あなたにとって」は全くの無駄ですね。

Tetsugakusya
質問者

補足

さっきは社会システムで、今度は反論のしかたですか? 自分の基準で相手を子供扱いするのが好きみたいですね。 さて、本題に入りますが あなたがした分別論ですが、私にとって都合が悪いのではなく、私の説に全くの的外れだったので反論する必要がなかったのです。 自分の体に向かってくるのでない刃物を、どうして防ぐ必要があるでしょうか。 とりえあず、私の出した反論だけでは理解できなかったようですので、詳しく説明します。 犯罪には二通りあるそうですが、私は犯罪の専門化ではないので、その二通りだけかはわかりません。 いずれにせよ、あなたは私の主張を理解した反論ができていません。 まず生活苦で犯罪を犯した人間についてですが、これについては「必然的」と言っているので、犯罪の原因が環境と過去にあることを認めていますね。 しかし「必然」ではありません。現に犯罪を犯さずに、餓死して死ぬ親子がいます。 罪を犯すかどうかはその「人」しだいなのです。 次にあなたの言う異常犯罪などの「真に外道」なものですが なぜその人は普通の人と違って異常になってしまったのでしょうか。 何の原因もなく異常になってしまうのでしょうか。 そんなはずはないですね。 もし生まれつきというのなら、それは障害者と同じようにその人自身の責任ではありません。不幸な過去(過去にあったモノも含みます)が原因です。 では後天的なものだとしたら、それはどのようなものが原因なのでしょう。 たとえばレクター博士が人食をするようになったのは、彼が子供の頃 戦争時にそれとは知らず妹の肉が入ったスープを飲んで 精神が異常をきたしてしまったからです。 その他の異常も、何らかの要因があって、精神の構造上の理由から、異常をきたします レクター博士が異常になってしまったのは、彼が悪いからではありません。 だから彼の異常性を見て、彼を「外道」と非難するのではなく 彼を異常にしてしまった過去と、その過去を受けてしまった彼に同情すべきなのです 彼の異常性に彼の罪はありません 次に犯罪を犯すことですが、これはさっき「その人しだい」だと言いました。 しかし、その人をつくるのは、その人の過去です。 もちろん生まれてきたばかりの赤ん坊は、みな初期値が違います。 その上に、親、教育、友達、環境、情報によって、その人の人間や思考を形作ります。 その人がその人になったのは、その人の責任ではないのです。 その人に罪はありませんし、功績もありません。 もう一度わかりやすく言いましょうか ある人は、同じ条件下(現在という意味です)で「罪」を犯し、ある人は「罪」を犯しません それはその「人」によります。そしてその人を作ったのは過去です。 故に、罪の原因は過去なのです。 こうして、彼の異常性にも、彼の間違い(罪)にも、罪がないことがわかりました。 あなたのように二種類に分けようが、三種類に分けようが、意味がありません。 罪の重さは等しくゼロです。 私の主張に全く的外れであることがわかったでしょうか。 >>善人になった原因が必ずある >↑これだけで説明したことになるのかな?論といえるかな? >好き嫌いや、私は認めないというだけで反論といえるのかな? あなたの引用ですが、正しくは >原因なくして結果は生まれないからです >善良である人は、善良である原因が >逆も然りです こうなります。 これは上に書いた長い文の要約です。 好き嫌いでもなんでもないですね。 一番上に書いた質問文とあわせれば、他の質問者さん達のように容易に意味がわかるはずですが・・・。 どうやら、あなたはこれ以上の反論ができないようなので、もう結構です。

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回答No.23

察するにアナタは子供さんですね 社会システムを知らずの哲学はゴッコにしかなりません

Tetsugakusya
質問者

補足

私に反論できないからといって悪態を突くのはどうなんでしょうね 負けを認めるようなものですが

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    死にたいと思っても死刑に成るために誰かを殺す・・・なんて人は少ないと『思います』。 ぶっちゃけ過去「死刑になりたかった。」と犯罪犯した奴はいますが 正直そいつらも本当に死刑が目的? って思ってしまいます。 単に自分の人生に悲観してそう言う犯罪犯しただけであり死刑がなく 無期懲役が最高刑なら「無期懲役になりたかった。」 と言い方変わるだけだったと思いますね。 本当に死刑と言う死を目指しているなら・・・ 無差別殺人ってかなり遠回りな気がしてしまいます。 武器を持って群衆に突撃しないといけない。 確実に数人殺さないと死刑になれない。 下手したら生き残る可能性もある(5人刺したが5人とも命は助かるなど) そうなると殺人未遂どまり。死刑までは求刑されないだろうし ※個人的には死刑を視野に入れて欲しいけど 見事に殺せても裁判で数年。下手したら弁護士が無罪にしようと 必死に動いちゃう(笑 見事に死刑判決受けても執行までどのぐらいかかるやら・・・ そう考えると本当に死刑(死)望んでるのかな?と思いますね。 単に僕の人生不幸だったんだ。同情してくれよ。 的意味合いが強い感じがしますね。 さてさて、話戻すと悪い事したんだから罰を受けるのは当然。 人の命を奪ったんだから命奪われる制度にガタガタ言うなと思います。 命奪っても多くの法律が奪った人の命を庇う制度もいっぱいあるのに。 それすら突破したやつを庇う必要性は感じませんね。 みなさんは どう思いますか?

  • 高学歴女性には“悪女”が少ないと思いますか?

    以下、どうしようもなく愚かでマヌケな会話ですが、w あなたなら、A君とBさんの意見、 どちらがよりまともだと思いますか? あなたの意見の近い方を教えてください。 また、この後あなたが口を挟むとしたら、 どのような意見を言うと思いますか?      ~~~ 某月某日、すすきのの飲み屋にて・・・。 A君 『生まれつき性悪なオンナっていると思う?  私は絶対いると思う。  育った環境だけでは説明が付かない。』 Bさん 『いいや。悪人はいるけど、生まれつきじゃない。  頭のいい人とか学歴のある人とか、  親の愛情をきちんと受けて育った人に、  あんまり悪い人はいないよ。』 A君 『いや、頭の良さや学歴は関係ない。  頭のいい女は自分の醜い本能を隠すのが、  フツーの女よりうまいだけ。』 Bさん 『理性は、低級な本能の欲望を抑えるのよ。  だから、頭を使っている人間には、  (表面上だけではなく)本当に悪人が少ない。』 隣の知らない酔っ払いオジサンC 『そもそも、性悪って本当に悪いこと?  あんた達がいるのだって、  ご両親の原始的欲望のおかげだよ。  人間を動物としてみれば、  低級な欲望がなきゃ絶滅しちまうべさ。』 A君 『まあ、確かに、そもそも善悪なんて、  人間が作ったものに過ぎないし、  悪や悪人も必要だから存在するんだろうけど。  ちなみに、犯罪者が心底から性悪とは限らない。  本当に性悪な人は、そういう社会的悪人とは別。』 Bさん 『私は理性のある人に悪い人はいないし、  善悪の基準は絶対的なものだと思う。  悪は悪。人は原始的動物とは違う。  全てのものは良い方向に進化しつつあるもん。』 A君 『いあ、生まれつきの善人・悪人はいる。  高学歴者とそうでない人を集めて比較しても、  善人と悪人の割合はさほど変わらないと思う。  高学歴者の性悪女は、自分を隠すのがうまいんで、  高学歴者ほど善人が多いように見えるだけだよ。』     ・・・・・・

  • 善悪論と善人悪人論とは まったく違う。

     善悪論と善人悪人論とは 根本的に違う。  ひとを《善人や悪人》に分けることが マチガイ。  そのように捌くことができるというおまえさまは いったいなにさまだい。  を問います。賛成票をもどうぞ。  人は 自然本性なる善を基礎として 心のへそ曲がりを 止む無くにしろすすんでにしろ・多かれ少なかれ おこなって来た意志行為とともに自己形成して来ている存在である。時に悪をも引き受けている全体を成す人格としての存在である。  善人と悪人とに いったい誰が分けるのか。  善人なほもて往生をとぐ いわんや悪人をや は揚棄されるべきである。  善人ゆえにだいじょうぶだとか いやいや悪人ゆえにこそすくわれるのだとか そのレッテル貼りから自由に成らざるべからず。

  • この世の善と悪の法則

    質問です。 この世の善と悪の法則について疑問に思ったことがあります。 悪(過ち・犯罪・いじめ)を犯した人は必ずと言っていいほど、何かしらの罰を受けますよね? 多くの場合、それらを犯した直後もしくは近日中に捕まったり、交通事故に遭ったり、病気になったり、家族の誰かが亡くなったり、といった何かしらの付けが回ってきます。 ゲームや漫画、映画、ドラマでもそうですよね。悪は最終的に滅びる~的な。 他方、善を行った人には、悪(人)と違って、それ相応の”善いこと”が返って来なかったり、貢献したのにも関わらず、その思いが届かなかったり。めぐって来るとしても10~20年先になる。また、善いことを行ったけど不幸(最愛の人の死、疾病等)が返ってくる場合も当然あります。 さしづめ、 悪➡それ相応またはそれ以上の罰を受ける、罪を償う 善➡必ず返って来るとは限らない。良いことをしたのに不幸が巡って来る どうして善人の立場は複雑で苦しい立場なのでしょうか? これだと、「良いことしたのに不幸しか起きないじゃん。時間の無駄じゃね?」っていう考えが芽生えて悪に陥ると思うんですよ。 教えてください。