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善と悪
生まれつき善良な人間は成長していくうち生き苦しくなり悪に染まりやすい気がします。逆に悪で生きてると徐々に改善され善人になる感じがします。 というのも子供の頃暴れん坊が大人になり落ち着いたり、優等生が大人になりすれたりします。 性善説とか性悪説とかありますが人によって生まれつき悪と善がいる気がします。因みに生まれつき悪の方が善人になり生まれつき善が悪人になるような気がします。どう思いますか?
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我侭なクソガキは、より強いガキ大将の下につき、 周囲の人間関係の中で次第に磨かれていきますが、 優等生は扱いやすい奴隷みたいなものなので、 周囲に利用されていくうちに腐っていく。 他人を顧みず自己中心的に振舞う事を「悪」と呼び、 他人の言い分を良く聞き、それに振り回される事を「善」と呼ぶなら、 あなたの主張通りだと思います。 でも、これは善悪云々ではなくて、 自我の強弱ではありませんか?
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言葉そのものの定義のように思えるのですが….. goo辞典 性善説:人間はもともと善の端緒がそなわっており、それを発展させれば徳性にまで達することができるとする説。 http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/122101/m0u/ 性悪説:人間の本性は悪であり、たゆみない努力・修養によって善の状態に達することができるとする説。 http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/120924/m0u/ つまり、 「人は生まれつきは善だが、成長すると悪行を学ぶ」というのが性善説 「人は生まれつきは悪だが、成長すると善行を学ぶ」というのが性悪説 生まれたときは逆ですが、成長後はそんなに変わらないというものかと。
>生まれつき善良な人間 =善 → 生き苦しくなり悪に染まり >優等生 =善 → 大人になりすれたりします >子供の頃暴れん坊 =悪 →落ち着く >悪で生きてる =悪 →徐々に改善され善人になる 上記のような例があるといわれるのですね。確かにそういったことはあるかもしれません。 >人によって生まれつき悪と善がいる気がします こう考えられる根拠は何でしょうか?普通人間はまっさらの心で生まれるとされています。きわめてまれに生誕してすぐ「自分だけが世界で一番偉いのだ!」との溜まった釈迦のような例もありますが、これも善でもなく悪でもなさそうです。単なる自己ちゅー? >生まれつき悪の方が善人になり生まれつき善が悪人になるような気がします 人がとちゅうで性格を変える例があるのはそのとおりだと思います。程度の差はあってもむしろ変わらない人間が少ないのではないでしょうか。そのために少年院やら刑務所ヶあるのでしょう。
- Y Y(@yy8yy8az)
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あえて、細々としたことは言いません。 質問者さんに考えてみて欲しいので。 キーワードは“向上心” 生まれつきの性格の中で、「向上心」がどの程度あるか、ないかで結果が現れます。 向上心があれば・・・・・ 向上心がなければ・・・・・
- mmky
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因みに生まれつき悪の方が善人になり生まれつき善が悪人になるような気がします。どう思いますか? ○ 親鸞の「悪人正機説」のような考えですね。 でも生まれてきた時はみな善人なんですよ。子供時代の天真爛漫の程度で善悪を決めてはいけませんね。 生まれてきたものは全て生存環境になれる必要があるわけですから、その過程で多少の行き過ぎもあるわけです。生き抜くための智恵を獲得する必要がありますからね。成長するにつれ各人の個性、つまり本性がじわじわと出てきます。そのじわじわと出てくるものが善性か悪性かで人の価値は決まるものです。 でも、どのような悪性が出ようともその都度、反省し善性に変えていけば必ず立派な善人になれますし、逆に善性がでても社会で経験する悪性にそまって行けば悪人になってしまいますね。 質問の要旨は、本性の部分との関係についてということでしょうから、多少詳しく答えときましょうね。 あなたの質問は、悪人として生きた者が死に、また生まれ変わって善人になる。逆に過去善人として生きた者がまた生まれ変わって悪人になる。このような場合が多いというように見えているのでしょう。 生まれる時はみな過去を清算して生まれますので、過去の善悪はないのですね。すべてのものが新しい出発ですからね、でも過去で積み上げた傾向性というのはなかなか変わらないのですね。それでみな進む道が違ってくるのですね。善人悪人も大人になるに従いその傾向性が出てきます。ということで子供時代の善悪はいたずらの程度出しかないのですね。染み付いた善性も、染み付いた悪性もなかなか取れないのですね。毎日毎日、心の鏡に浮き出る悪性を拭いて綺麗にして、善性を広げていくことが善性を保つ秘訣ですね。これをしないとみな心の悪人になってしまいますからね。 これが禅でいう心の塵をとるという修行ですね。こんなのはどこででも誰にでもできることですね。 善人は知らず知らずのうちにそれをしていますね。悪人はそれをしないで悪性を野放にする傾向性がありますね。それで本性悪人は悪人になりやすいのです。一方、善人は善人に成りやすいかといえば、現代では厳しいとこはありますね。
- hekiyu
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簡単に善悪といいますが、善、悪、て何でしょうね。 犯罪のことですか。 犯罪なら、染色体によって支配される犯罪、て話が あります。 生来的犯罪者論を裏付けるような話ですが。 これなら、悪人は悪人として生まれる、ということ になります。 そもそも善悪なんて、時代によっても変わるでしょう。 民主制は少し前まで、世界のどこでも悪でしたよ。 大それた犯罪を侵している連中は、子供の頃から 小さな犯罪を侵している場合が多い、という結果が 出ています。 それで、小さな犯罪をこまめに取り締まるのが大切だ ということになり、米国でも日本でも大きな効果を 出しています。 貴方の説は、現実とは合っていないように思いますが。
- 雪中庵(@psytex)
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あなたの指摘する、成長していくうちに悪に染まるような 「善良な人」というのは、真に「良い人」ではなく、目先の トラブルを避け、他人に合わせる、「都合の良い人」に 過ぎません。 「善悪」は相対的な価値であり、誰にとっても善であろ うとする時点で既に、当人の「善」の基準を持たない、 潜在的悪に過ぎません。
- zebura23
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善と悪、とニ極論に分けるところに無理があると思います。 実際には、色にたとえると、 真っ黒な色が少しずつ黒色が抜けていき、薄まってグレーの色になり、 限りなく白に近くなって行き、 今度は純白が少しずつ輝きを増して、白光になり、次第に金色の光になり、、、 という具合に非常に幅があるわけです。 ですからある時はちょっと黒くなったり、でも晩年はちょっと白くなったり またある時は「灰色」だったりするのだと思います。 私の考えでは、生まれたばかりのときは金色だと思います。 幼い子供時代が純白で、その後ちょっと汚れた白になります。 その後、成長の度合いや学びによって、ちょっと金色が混じったり、 またある時は嫉妬に狂って、ちょっと黒が入ったり、、、、、。 ですから「生まれつき」、とは言えないのではないでしょうか。
赤ちゃんに善悪があると仮定して、では赤ちゃんの善悪は どこからきますか? 産まれたとき時 すでに善悪があるとすれば それは親からの影響でしょうね。胎教は大事ですから。 産まれた時(悪)とすればその親も(悪)になります。悪親が悪子を育てるんですよ?そうしたら 育っても(悪)になるよね? ここで あなたの見解は? あなたの見解から考察すると(善)の親しか(善)の子は産まれない事になります。 最も、環境や他人との出会いで 人は 如何様にも変わりますから、善→善、 悪→悪とは 限らない。 では、(善)で産まれて(悪)になるのは?その逆は? 赤ちゃんは純粋無垢で産まれてくる。 昔の人は そんな考え方です。何物にも染まっていない 無垢。まぁ、胎教を考慮すれば 一概には断言出来ないけど。昔々は胎教と言う概念はあまり重要視されていなかった、にしても。 善→善とは限らないのであれば 善→悪とも限らないですよね。
お礼
たくさん回答を拝見し自分の考えが偏ってると考えさせられました。 特にこの考えはなかったのでベストアンサーにしました。