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デカルトが形而上学の革新者と呼ばれるのはなぜなのでしょうか?
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それはデカルトが精神と物体を「実体」と認めたからです。 厳密な意味でいえば実体の定義に当てはまるのは神だけです。 なるほど「精神」と「物体」は存在し作用するのに神の協力を必要としますが、神以外のものには依存せず、したがってその意味で独立した存在と考えられる。そこで彼は神を無限実体と呼び、精神と物体とを有限実体と呼んだのです。 精神と物体とはそれぞれ独立した存在ですから、両社は何ら共通した性質を持たず相互に作用しあうこともなく、したがって一方が他方の原因であることもない、、両者は、それぞれ独立し完結した自己固有の体系を有している。デカルトの世界観はこのように典型的な二元論であるということです。
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