• ベストアンサー

マズローの自己超越について

マズローの自己超越について 先日、前職の上司の知人で心理学者をしてるという方に 現在自分が模索していることなどの話をしていたら それはマズローのいう自己超越の欲求だと指摘されました これは自分と同じ欲求を持つ者は少ないという事でありショックでした そこでマズローの自己超越をしてる方をご存じの方は教えて下さい 自分の新たに踏み出す事への参考になるので

noname#144523
noname#144523

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.1

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%B7%B1%E5%AE%9F%E7%8F%BE%E7%90%86%E8%AB%96 2%程度ってことは、50人に一人。正規分布しているなら偏差値でいうなら69くらいだから、そんなレアな存在ではないですよ。 気になさらずに結構です。

noname#144523
質問者

お礼

自分の文章が稚拙なせいで誤解させてしまったみたい。 新たな道。 その為には自ら組織を作る事以外、まだ目の前は濃霧です もし自分と同じ欲求を持つ人が多ければヒントも多く得られますよね? でも少数であれば得られるヒントも少ない ショックだったのはそういう意味合いからですよ(・・;) でも僕が気にしてると思って回答された気持ちは頂きました ありがとうです。

その他の回答 (7)

  • eiji285
  • ベストアンサー率38% (5/13)
回答No.8

こんばんは。 私はマズローには直接習っていませんが、マズローのいた研究所にいました。私の直接の先生はマズローと友達でした。 また私たちはマズローの人間性心理学、人間性回復運動、トランスパーソナル心理学等を日本人で最初に勉強した世代の人間です。 さて、ご質問では、「自己超越の欲求をもつ者が少ない」とされていますが、そんなことはありません。 20年ほど前になりますが、一時期日本でも非常にもてはやされ、人間性回復運動・トランスパーソナル心理学(当時は「トラパ」と言っていました)関連の本が大手書店の店頭で平積みにされていました。まあ、多くの人は、マズローの自己超越の欲求が、彼の考えていた5段階の上にある欲求だということを知らないで、なんとなくとっつきやすい心理学みたいな感じで、「トランスパーソナル心理学」をうけいれていたようなところがあります。当時はアサジオリ・グロフに混じって、「宇宙からの心理学」「自己の外側にある何か=「火の鳥」みたいなもの」というようなものがあったように思います。 当時、私の友達でグロフの弟子がいまして、彼がグロフ夫妻を日本に呼んで講演会をしてもらったりしていました。ご存知かと思いますが、グロフのやっているホロトロピック・ブレスワークは、クライエントをわざと過呼吸にして、そこで起こるトランス状態から「自己を超越した何か」に繋がろうとする技法です。 前置きが長くなりました。ここからが本題です。  既に何人かの方が答えていらっしゃる通り、「欲求を持つ」ことと「その段階に成る」ことには、大きな差があります。他の方は、あなたのお気持ちを慮って、回りくどくおっしゃっておられるので、あなたはお気づきでないようなのではっきりと申します。 つまり、あなたのお知り合いの「心理学者」がおっしゃったのは、あなたが「欲求をしている」ということであって、「自己超越をしている」とは、おっしゃっていないように思います。もっと言うと、あなたは、5つの段階の内容があまり分かっていらっしゃらないように思います。特に4段階目の欲求(自己受容の欲求)があまり満たされていらっしゃらないように感じます。 ご質問の答えですが、マズローやアサジオリたちの考えていた「自己超越した人」は、普通の宗教者です。特に日本の真言密教や韓国の陰陽道(タイチー)の修行者に興味を持ち盛んに研究していました。 また、「自己超越した」というのが非常に厄介な問題を持っていまして(いまだにトラパ業界では、アウトラインさえ出せていないようなところがあります。)簡単に言いますと「自己超越=超謙虚」なんです。(思いっきりわかりやすく書いています。詳しく言い出すときりがないんです。)だから、研究の対象としては、「あなたは自己超越していますよね?」って言えるんですが、本人は自分が「自己超越している」ことに気づかないのです。更に宗教との距離感や超常現象、トランス、超能力等々との距離感も大切であって、マズローさんご本人は、どれくらいの距離間のものかをはっきり認識していたわけではないようなのです。 もうひとつあなたは、「自己超越した人」はみんな「同じ方向へ進む」みたいのことをおっしゃっていました。しかし、私の知る限り(宗教の人たちを除いて)1人はハワイでサーファーやっていますし、ある人は普通の主婦をしています。少なくともマズロー本人は「同じ方向へ進む」みたいなことは言っていないはずです。 私の感じでは、80歳ぐらいのまじめに宗教されている方(一般信者の方でも)のほとんどが、「自己超越」されています。あなたのご年齢がわかりませんが、もし祖父・祖母が生きていらしたら、その方に会いに行かれることをお勧めします。きっと「自己超越」の意味がお分かりになると思います。 マズローやアサジオリ、ユング、ロジャーズ等の西洋人(キリスト教を主体としている人たちというぐらいの意味です)は、概ね東洋の神秘にあこがれる傾向があります。それで、彼らは東洋を勉強したいと考えます。しかし、彼ら西洋人の考える「自己超越」程度のものは、東洋にはそこいら中に転がっています。(逆に彼らのキリスト教の中にも転がっているのですが。) 以上、長文ですがまだまだ説明が足りないかもしれません。 この長文で私があなたに本当にお伝えしたかったのは、「他の方々も一生懸命あなたのご質問に答えていらっしゃいました」ということです。 マズロー先生が研究されたのは、人間の心の成長の過程についてです。マズロー先生の名前を見つけたので、ちらちら見ていると、せっかく答えてくださっていることに対して、少々失礼なあなたのご返答が気になりましたので、回答しました。ぜひ、もう一度謙虚にみなさんの回答をご覧ください。

  • jinseiwalk
  • ベストアンサー率23% (372/1603)
回答No.7

あなたの求める自己超越が、回答を聞いて違うというのならもう回答があなたの中にあるのでどのような回答を聞いても受け入れられないのですね。 超越は言葉でありますが、実態はないので空です。あえてことばにすると超越は完全であり、完璧であり、以下永遠、完成、未完の完、絶対、無限などとイコールです。 これら超越、完全、完璧、永遠、完成、未完の完、絶対、無限、究極に対する欲望こそが、マズローの頂点にある超越の欲望です。 最初に言ったようにこれらでないというのならあなたにはもう別の答えがあるかもしれませんね。

noname#144523
質問者

補足

質問をもう一度よく読んで見て下さい。 僕は自己超越してると先生に言われました、、つまり求めてはいない。 マズローはですね 人間には、生得的・本能的で、基本的な欲求があり、階層的に存在している。基本的な諸欲求を適度に満たされれば、人間は、停滞することなくますます成長し、心理的にいっそう健康になっていく つまり欲望を満たすともうそれにはあまり執着しなくなり、次の異なった欲望が現れてくるということであると言っています (1)生理的欲求 (2)安全と安定の欲求 (3)所属と愛の欲求 (4)承認欲求 (5)自己実現の欲求 そして次が自己超越の欲求になるわけです 僕の質問を分かりやすく言いますと この自己超越後は皆、新たな社会的行動を起こした場合、同じ方向を向きます 要はその行動例を教えて頂きたかったのが、僕の質問でした

  • jinseiwalk
  • ベストアンサー率23% (372/1603)
回答No.6

自己超越が究極でないとしたら自己超越とは何になるのでしょう。神ではないです。 永遠または絶対とも言い換えることができます。言葉でいえないその存在は空と表現してもいいです。超越は言葉で表現できませんがあります。 自己超越というとてつもないことは既成の概念既成の教育しか受けてない現代人には非常に理解が難しいものですが、わたしのように自己超越を目指し同化する者はいるのです。

noname#144523
質問者

お礼

自己超越は言葉で説明できますし、現実的な欲の話ですよ それを理解していないから奇妙な話をされるんです 僕ではなく、その方面の話のわかる方とお話しされるか マズローを勉強して下さい。

  • jinseiwalk
  • ベストアンサー率23% (372/1603)
回答No.5

誤解してますよ、「究極」には神はいませんので心理学です。

noname#144523
質問者

補足

いずれにしてもマズローとは全く関係ないんですが… 仰る内容が仏教に近いんですが あなたの言う自己超越と究極とは? 何を望み目指しているんでしょうか!?

  • jinseiwalk
  • ベストアンサー率23% (372/1603)
回答No.4

自己超越化を理論化し誰にでもできるようプログラム化しました。心強化法とも言います。 23ランクに分けていて心を強化したい、人生の究極を理解したい人に勧めています。 20ランクまでを心検定と言いその上は悟りや唯識検定ですが、まだ大々的に実行してません。 最後から3番目の検定の一部をお話しますと 大地は空、地獄は極楽、イエスはノーを説明せよというものです。問題の説明をすると答えに抵触するので書きませんが、きちんと納得のいく説明ができなければ回答になりません。 トップの究極に近いのでこのぜんの覚りを理解するにはなかなかでしょう。 ちなみに初級は有難う、おめでとうなど100単語をイメージするだけです。そんなもの難しくないと大抵の人は言いますが、だめな人がいるのです。 究極までいっても、このような人を救済しています。

noname#144523
質問者

お礼

それは哲学ではなく宗教のお話ですね(>_<) 頑張って修行に励んでください。

  • nyan_nya
  • ベストアンサー率0% (0/1)
回答No.3

No.2 です。 あれから、また考えてみたのですが「自分の新たに踏み出す事」に迷うことがあれば、 愛してる物や人や現象のことをじっくり考え、分析し、 そう思う時の感覚をしっかりと感じることをじっくり繰り返すと、 それが不思議と答えが向こうからやってくるような現象に出くわします。 そのとき、びっくりしないで素直にしたがうと、 知らないうちに世界が開けてくるような感覚になります♪ そういうことを話したりすると、 友達がひいて、他の人と違うような感覚を覚えて、 寂しく思うこともあるかもしれませんが、 飄々と自分を信じて楽しく生きるのがいいです。 ちなみに、私は特に宗教やってるわけでも、 自己啓発セミナーに行ってるわけでもない、 普通の30代女性です(笑) 偶然こちらの質問に出会えたことで 色々また考えることができ、嬉しく、感謝してます!

noname#144523
質問者

お礼

何かご自分に言い聞かせているようなんですが、大丈夫ですか!? 僕の質問の事より、あなたの事が心配になってしまいましたよ…

  • nyan_nya
  • ベストアンサー率0% (0/1)
回答No.2

自分もそうかもしれないと思っています。 結局、昨年会社を辞め、自分で会社を作りいくつか仕事をやった後、 急に「経済」というものに対する人々の価値観が異なることに興味を覚え、 色んな階層の人に会って見解を聞いて回ったり、お金を使いすぎたり、 節約したり、色んなことを感じながらとことん探究しました(笑) それも結論は出ず、というか結論を出さないでそのまま見たまま感じたままを 捉えるのが好きで…ゆっくりと自然に探究が終了したところです。 「いい」「悪い」の概念がなくなるんで、一応法律守って非人道的なことを しないように意識しつつ、色んな人との触れ合いで「そういう考えもあるんだ、オモシロイ」 と思いながら、日々旅にし旅を住処としながら暮しています。 多分、私が知ってる範囲の昔の人では 松尾芭蕉、古田織部、ニーチェなどがそうだったと感じます。 結局、ちょっとユーモア残しつつ独自の世界感を生み出す感じに落ちつくんだと思います。 独自の世界観も「何かを成し遂げたい」より 「これってこうやったらどうなるんだろう」的なのの繰り返しで、 気付いたらそうなってた的な感じです。 あ、ここからは自論ですがマズローが言ってる「欲求段階」ってのを 特に信じすぎてるわけじゃないですが前提に考えると、 段階降りたりもするし飛び級したりもすると思い、 悩んで眠れなくなって人格崩壊気味になったりすると一時的に「安全欲求」に戻ったり、 「人のために役立つこと探そう」という「自己実現欲求」が現れたりすると思います。 まあ、あんまり深く考えずに気楽なアホッぽい人生が送れて、 人から好かれるし、心に暗いところがある人は怖がって近づいてこなくなるんで 楽しいですよ!

関連するQ&A

  • マズロー理論は正しいか?自分らしさを欲求する心理

    「動機付け」や「モチベーション」という言葉を聞くと多くの人々がマズロー理論を思い浮かべると思います。 大学の心理学や経営学それから教育学の講義では必ず紹介される学説だし、ビジネス書でも盛んに紹介されています。 また2003年にはセンター試験の現代社会でもマズロー理論が出題されたことからも、高校生の間でも知られている非常に認知度が高い学説だと思われます。 今更説明する必要はないと思うけど、人間の欲求には5段階があり、上位の欲求を求める者にとっては下位の欲求は当たり前すぎて動機付けにならない。また優秀な人間ほど早く欲求の階段を駆け上がるのが早いと紹介しています。 下から順に並べると 1.生理的欲求(衣食住を満たす) 2.安全の欲求(安全に生活する) 3.親和の欲求(仲間を得る、仲間と楽しい時間を過ごす)) 4.自我の欲求(他人から尊敬されたい、感謝されたい) 5.自己実現の欲求(自分らしく行きたい) 5の自己実現の欲求は、金銭欲や名誉欲などの欲望を超越した究極の欲求としています。 僕は大学1年生の心理学の講義で初めてマズロー理論を知って感銘を受けました。その後、経営学の講義でも習ったし、大学卒業後もビジネス講習などで繰り返しマズロー理論に接してきました。 日本の企業はマズロー理論を経営に活かしてきたと思っています。 給料を支払うこと(生理的欲求)は勿論、福利厚生(安全の欲求)、クラブ活動や社員旅行・忘年会(親和の欲求)、昇進制度や改善活動(自我の欲求)を利用して、従業員の永続勤務(のための動機付け)を図ってきたと思います。 私が経営する会社でも、上記のことを実践してこようとしました。 30人くらいしかいない会社なので大企業並みに行うのは無理ですが、それでも大体上手くいってきました。 ところが、時々「自分らしさ(自己実現の欲求)」を主張する従業員がいて困っています。 特に短期雇用のアルバイトに、「自分らしさ」を主張する傾向があります。 僕・社長「お客様には笑顔で接してくださいね」 従業員「私は笑顔が苦手なんです。笑顔の私は私らしくないので嫌です」 僕・社長「黒髪の方が好感度が高いから茶髪は禁止ですよ」 従業員「それなら仕事辞めます」 僕・社長「もう夏なんだから黒い服をやめて、明るく涼しげな服を着てください」 従業員「明るい服は私に似合いません。強制されるのなら仕事を辞めます」 一昔前だったら「収入に多少不満があっても人間関係が良ければ簡単には辞めない」と言われていたのに、現在は本当に簡単に辞められてしまいます。 本来自己実現欲求というのは、金銭欲や名誉欲を十分に満たした者が主張することなのに、日々の収入さえ不安定な人が自己実現欲求を求めるのが不思議です。 もっとも世の中には、自分らしい髪型やファッションのためにフリーターを続ける人もいます。 そこで最近は、自分が信じていたマズロー理論が間違っているのではないかと思い始めました。 経営者としては、会社存続のためにも、従業員に給料を払うためにも売上を大きくしたいし、費用を圧縮したい。 そのために従業員の質も高めたいし、ある程度長く努めて欲しい。 研修中もお金を支払わなくてはならないのだから、すぐに辞められたら困る。 そのために従業員にとっても魅力的な会社づくりをしたい。 1~4の欲求に対しては対策を立てられます。ところが5の自己実現の欲求に対しては対策の建てようがない。 すべて従業員の自由では組織とは言えないと思う。 僕の感覚だと、自分らしさなんてどうでもいいから、たくさんの収入があって、仲間から祝福された方が幸せだと思う。 そこで質問です。 1.広く普及してるけど、マズロー理論は正しいのか? 2.収入や仲間や社会的なステータスに関心を持たず、ひたすら「自分らしさ」を求める人の心理を教えてください。

  • 人生は、自我と無自我の調和を目指す営みなのか

    こんばんは。 私の質問に興味をお持ち頂きありがとうございます! かの有名な心理学者マズロー博士は、欲求階層説を提唱し、人間は以下の順で欲求を抱くと論じました。 それは ひとりぼっちは嫌だ欲求 ↓ 誉められたい欲求 ↓ 自己実現欲求 の順です。 ところでこれ、冷静に考えてみると… 無自我を志向する欲求 ↓ 自我を志向する欲求 ↓ そのバランスを整える欲求 って言い換える事できませんか? 集団に溶け込むには自我が強いのはだめ でも自我を強く感じたい時もある 年をとってくるとそのバランスを取れるようになる… マズロー博士の理論はこういう事を示唆してはいないでしょうか。 面白い回答お待ちしております!

  • 所属欲求と人生の停泊地を超越した先にあるものは?

    なぜ、 人間は長らく生きていると 所属欲求が湧き上がるか、 人生の停泊地に 留まろうとするのだろうか? 所属欲求と 人生の停泊地に留まろうする人間と しない人間、 それぞれの心理、哲学、心情とは? 所属欲求と 人生の停泊地に拘れずに 所属欲求と、 人生の停泊地を超越した先には、 何があるのだろうか? 自己実現なのか? それとも、、 哲学、心理カテゴリー皆さんの ご回答のほど、 お待ちしております! 関連 知恵袋 哲学、美術カテゴリー http://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/q11154663926

  • 超越神

    教えて下さい。 個人の宗教的な信条とはまったく関係ありません。 学問的にどうなのか知りたいんです。 間違っていたらご指摘願いたいのですが、 ユダヤ教やキリスト教で「神」と言われているのは、 超越神の事ですか? そうだとしましたら、超越神とは宇宙の事なのですか? それとも宇宙を超えた何かなのですか? また、汎神とどのように違うのでしょうか? ちょっと本を読んでいたら、そのあたりが急にわけが分からなくなってしまって・・・ ご存じの方、教えて下さい。 あるいは、「これを読めばよい」という情報(本、WEB)がありましたら、ご教示願います。 繰り返しますが、個人的な信条のお話はお控え願います。 純粋に学問的な内容が知りたいだけなんです。。 よろしくお願いいたします。

  • 「人間の欲求『心理学」について」←現在参考書を購入して郵送待ちの状態ですが、どうしてもわからないことがあります。

    人間の欲求を説明する場合 人間の欲求を説明する場合 人間の欲求を説明する場合、1次・2次的欲求・・マズローの5段階説 マレー・・などがありますが 1次・2次は並列的?に人間の欲求を述べたもので マズローの5段階説は、段階的なものですよね? これら二つを説明しないと、人間の欲求を「心理学として」説明するでは×でしょうか? 迷っています。。 ちなみに教科書では、1次・2次について深く記述されており マズローは名前程度でした。 正直、どのように説明すればいいのか迷っています。。。。 心理学に詳しい方教えて下さい。

  • 「自己承認欲求」について教えてください

    自己承認欲求とはどういう心理なのでしょうか?自分で自分を肯定することではないのですか?その自分を他の人に認めてもらいたいという欲求ということなのでしょうか?

  • 自己実現欲と承認欲の違い

    はじめまして。 マズローの欲求5段階説についての疑問です。 承認欲…低いレベルの尊重欲求は、他者からの尊敬、地位への渇望、名声、利権、注目      …高いレベルの尊重欲求は、自己尊重感、技術や能力の習得、自己信頼感、自立性 (wikipediaより) とあり、他者と比較して相対的に自分がどうか、というところに承認欲があると捉えました。 自己実現欲について、どのようなものかがいまいちわかりません。 今のところ私が思う「自己実現欲」とは自分の能力を活かしきること、と考えています。 自己実現欲と承認欲の違いについて詳しく教えてください。

  • 自己愛を捨てるということ

    私は大学で心理学を勉強しています。 まだ1年生なのですが、先日の臨床心理学の講義がショックで、相談させて下さい。 その講義は、自己愛についての講義でした。 ナルキッソスが出てきて、自己愛を調べる心理テストもやりました。 結果は、そんなことだろうと思っていたのですが、自己愛がかなり高かったのです。 その後、先生が 「今、思えば、私がカウンセラーになる道は、自己愛を捨てる過程でもありました」とおっしゃって。 「自己愛が強い人は、カウンセラーに向きません」とも仰って。ちょっとショックです。 勿論、そんなところでショックを受けるより、勉強をしている方が有益だと思います。 ただ、1年生の頃から「向いてません」宣言をされるとは思っていなかったのです。 自己愛の強い人は、どの様な面でカウンセラーに向かないのでしょうか?クライアントの意見を「そんじゃないでしょ!」と自分の意見を押しつける・・・・・・とかでしょうか。 勿論、これくらい言われただけで諦めるつもりではありません。

  • 自己愛が強いと分かる雰囲気とは?

    こんにちは、おかしな質問かもしれませんがよろしくお願いします。 前々から、知人(複数)から「自己愛が強い」と言われていました。 それからはなるべくそのような態度や雰囲気を出さずに過ごしてきたつもりです。 しかし、知人達から見た時にはどうしても雰囲気で分かってしまうらしいのです。 過去ログを見たところ私と同じような質問をしている人もいましたが、 どうして雰囲気で分かってしまうのかという事が検索しても出てこなかったのでここで質問してみました。 恥ずかしい話ですが、自分としては普通にしているつもりなのでまったく分からないのです。 私は昔から、可愛くなりたいという欲求が強いために 自分から見た可愛い人達の行動などを真似していた事があり、今でもたまにそういう事をしてしまいます。 ↑少し習慣になっているのかもしれません。 それが雰囲気として表れているのかなと考えています。 ・自己愛が強いと分かる時はどんな時(雰囲気)か ・自己愛の強い知人がいたらどう思うか 些細な回答でも構いません。 長々と書いてしまいましたが、回答よろしくお願いします。

  • 鉄道マニア・アイドルマニア等の心理について

    いつもお世話になっております。 「マニア」に関する欲求の心理について質問したいことがございます。 【質問内容】 私は鉄道ファンであると同時に私自身も気をつける事でもありますが、ホームの白線より外に出たり立ち入り禁止内で撮影するなど、マナー違反をする鉄道マニア(オタク)の方々をよく見かけます。鉄道員の方が注意をしても、なかなか言うことを聞きません。この心理は、鉄道マニアのみならず、アイドルマニア(オタク)等にも同じことが言えるのではないかと思います。 この背景には、心理学者マズローが提唱した「欲求段階説」の4番目にあります”承認の欲求(自我・自尊の欲求)”が満たされていないからではないかと感じました。言い換えると、ありのままの自分自身を受け入れていないからであることも言えるのかもしれません。(さらに言うなら、職場・学校・家庭など自分自身を取り巻く環境に恵まれていないからであることも考えられます) 実際のところは、如何でしょうか? 失礼な事を書かせていただきましたが、御回答の程よろしくお願い申し上げます。