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嫌みというものの建設的な妥当性
嫌みというものの建設的な妥当性 とはどういうことですか?
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質問者が選んだベストアンサー
前回のスレで何故そんなことを書き込んだか、ちょっと忘れちゃったんだけど、 もともと「嫌み」に対しては、何の価値もないもの、人を嫌な気持ちにさせて しまうだけで、いいことは一つもないという価値観を持っていました。 しかし、他の回答者様の機転のきいた回答をみて、思慮深く機転のきいた人 だなと感心し、それに比べて私の、その前の回答があまりにも凡庸でつまら なかったものですから、恥ずかしさを隠す気持ちもあったかもしれません。 口で洒落たことばっかり言って実行力が伴わない人に対しての言葉だったと思い ますが、でもこれも、相手をかえってしょげさせたりと、マイナスに働くことも ありますから、必ずしもいつでも建設的だとはいえないですよね。 いじわるな言葉よりも、あたたかな励ましの方が、いい場合かもしれません。 しかし「この言葉は重いですよ。」まではよしとして、 「ちゃんと理解していてその様な美しい言葉を吐いたのですか」については、 正直、きょとん?でしょうね。別段難しい言葉を使っていませんから、言葉 自体を理解していないと考える方が不自然です。 ですから、その言葉の裏を読まなくては、相手の本当に言いたい事が分からないと いうことなのでしょう。仮に、後で、嫌みの本当の意味が分かっても、だったら そう言えばいいのに、本当に嫌味っぽい人だなとあまりいい気はしません。 やはり実践では難しいかもしれません。 もう一回、文章で読んでみて、では、はたして、この場合、ストレートに伝えて うまく気持ちが伝わったかと考えると、そうとも思えないし、この嫌みを言われ た人が、はっと気づいて、自分は綺麗事ばかり言っているなと感じられるような 効果が一番いいのでしょうが、難しいですねやっぱり無理じゃないでしょうか。 第三者的な立場でなら、まだ分かるけど、もし実行力をつけて、欲しいなら、 「こうした方がいいと思いますよ」と具体的にひとつひとつ、無理のないように 丁寧に言った方がいいんじゃないでしょうか。
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- Alkindus
- ベストアンサー率18% (10/53)
嫌味に建設的な妥当性などはない。
お礼
ありがとうございます。
- tak7171
- ベストアンサー率40% (77/192)
単純な判別方法があるならこちらが知りたいくらいですw 言い手と受け手の関係、嫌味を言われる前の状況や会話の流れ、 そこから自分なりに推測するくらいしかできないと思います。 それで辛口の忠告と受け止めるか、単に悪口と受け止めるか。
お礼
ありがとうございます。
- tak7171
- ベストアンサー率40% (77/192)
嫌味というものは 「間接的な表現で相手に自発的理解を促す」 ための手段のひとつだと思いますが、嫌味と言うだけあって 受け手側の感情を逆撫でするような辛辣な表現になります。 だから受け手の取り様によっては 自己に対する攻撃や嘲弄に取られかねません。 (攻撃や嘲弄を目的にした嫌味も確かに存在しますが) もし受け手が嫌味を感情論で排せず、 理性的に謙虚に捉えることができるなら、 それによって自分の考えや行動を修正できるかもしれませんし、 少なくとも自分と違う意見の存在に気づくことができます。 そう考えれば、嫌味にも前向きに捉える価値がある、ということになります。 これが「嫌みというものの建設的な妥当性」の意味ではないでしょうか?
お礼
ありがとうございます。 >攻撃や嘲弄を目的にした嫌味も確かに存在しますが 大多数だと思います。 また、「相手のため?の嫌味」との判別方法があれば教えてください。
- tumaritou1
- ベストアンサー率28% (260/913)
前回の質門での、私の答えは「つまり自身が強く希求し続けた経験なしに吐いては「いけない」と思うのです。」と言う決め付けです。 人には普通誰でも『考え方』を強要(強制)されたくないと言う意思があります。その意思が個人を護っていて、個人を個人たらしめています。 その事と関わっていると思いますが、貴方が感じて貴方が思う事は『貴方の問題です』その事を貴方に対して、こう思わなければいけないと言う風に言われた場合には貴方は、どう感じますか? そういう事で、自分の考えに無理に同調させようとする事が『嫌み』という事になります。返って反対になりやすいと思います。そういう言い方ではなくて、(貴方は貴方の自由でよいですから)という前提で話の内容を引き出すなら、当然違う内容になります。 B:「人は学ぼうという姿勢があれば何からでも学べると思います。」この言葉を受けて、そうですね、私もそう思います。だけで切り上げた場合には、Bさんは快くもっと具体的に体験を話していたと思います。 他人の心に強要したり、強制したり、或いはズカズカと入り込まない事が大人の対応という事になります。まして貴方は、「いけない」という指導まがいの事をやってしまったと言う事です。 是は強制されたと感じてしまって、黙って去って行ったと言う事かも知れません。親子であっても友人であってもしてはいけない事の一つかも知れません。 飽くまでも、自分と他の人は、全ての面において『違う存在』と言う観点が欠けている事が、Aさんが、無視された原因と思います。逆に言うならAさんが今言ったことを無視していたのかも知れません。 それは『人間は』能力や金銭や社会的なものの有る無しを超えて、自由に生きたいと言う本当の自由を束縛されたと、感じてしまうからと思います。
お礼
ありがとうございます。 えっと、、これはURLの質問に対する回答ですよね。(汗 できたら私の疑問にもお答え下さい。
お礼
ありがとうございます。 要するにAは思い上がっているということですね。