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何故、日本はお正月を西暦でするように??
おっさんになるまで、1月1日はお正月と信じてきました。 でも、まわりにアジアの人が増えるにしたがって、太陰暦のお祭り を、太陽暦である西暦で祝うことに違和感を感じない自分が不思議 で仕方ありません。 日本人は、いつから西暦になじんだのでしょうか?お盆は、以前と して旧盆で祝う地方が多いのに、お正月だけは全国統一で西暦の ような気がするのですが、それっていつごろからの風習なのでしょう か??
- tac48
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#2です 明治の暦の変更理由は、 もともと、江戸幕府は年俸制でしたが、 新政府(明治政府)になって月給制に変更しました、 しかし、明治6年を旧暦のままにすると、 閏年で1年が13ヶ月の年に当たり、 他の年より1ヶ月多く給料を払わないといけなくなるので、 新暦にすれば12ヶ月ですむという財政的な問題で決定したそうです。 また、暦を売っている業者には、旧暦の大小暦などを作る独占契約金を納めさせてから、 新暦変更の発表をしたそうです。 農家からも反発が出たのですが、農業は24節気に基いていたので、 新暦に変更したからと言って不都合がなかったのですが、 ものの勢いで、新政府のやることに不満を抱いていた農民達が一気まで起こしたそうです。 官庁の営業日などは明治6年1月以降は新暦によって決定されていますので、 都市部では仕方なくあわせたのではと思います。 農家のかたは新暦の正月と旧暦の正月を祝うところもあります。
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- michael-m
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正月の変遷に関しては、基本的にグレゴリオ暦です。 どうも明治維新をリードした偉人達を過大評価している書物が多いようですが、実は彼らには日本が遅れていて、諸外国が進んでいる位の認識しかなかったようです。(近年実際には日本の学問も諸外国に引けをとらなかったことが判ってきています。) 朝廷も大政奉還後に自分達で政治をするノウハウがなかったので、結局、参謀に江戸幕府の重臣を置きました。そして彼らを根絶してしまった明治政府には、参謀すらほとんど居なかったのが実情です。 だから全てを外国に頼るしか術がなかったのです。 明治政府のプロパガンダと強硬な禁止政策は、結局根拠に乏しい改革が所以です。 作物は暦で行うものではなく気候の変化(要するに月の変化)で、何をすべきかが決まります。穀雨を基準に農作を行い、珊瑚も魚も満月を基準に産卵します。だから現在でも旧暦に近いサイクルで農業も漁業も進んでいます。 新暦7月15日前後は、旧暦の6月で梅雨明けの最も忙しくなる時期です。 つい先ごろまで、関東甲信越の学校でも農繁休暇という休日や半ドン日を設けている地域が多くありました。だから、農家の人たちはお盆などと言っていられないのです。そのため旧暦に準じて8月15日近辺にされました。 それに、様々な本を読んでみると、実際の民間までには明治政府の通達も殆ど伝わっておらず、更に禁止令が出ても旧暦で行事をする住民が多かったようです。地方の揉め事は旧来の暦で行事をする住民と政府の規制を強引に進めようとする官憲との諍いが発端になっている事が多かったようです。 盆や彼岸などが、自然の周期に従って営まれる魚農業との関わりが深いのに対し、新年が比較的容易に統一された要因としては、期日の変更が魚農協への影響が少ない事があると思います。しかも商業にとっては統一される事は給与面だけでなく、取引においても、むしろ歓迎すべき事だったのではないでしょうか。 中国のように毎年正月が変わるのも大変だと思いますが、彼らを見ていると、何もかも欧米に迎合する事が必ずしも国際化ではないという気もします。 私は気学をやるので、今でも新暦の正月と節分の年替りの両方を見て行きます。月初めも毎月違います。その経験からも、旧暦の方が人のサイクルにあっていると思われます(日本人に関しては・ですが)
お礼
マンション暮らしの私にとって、お正月に、門松を立てることは かなわぬ夢かと思っていましたが・・・いつの間にか高価なものを 外に立てると盗まれるかもっていう時代で・・・それに道交法にも 問題が・・住宅街でも門松を発見するのが難しいのが実情・・・ とてもさびしく思っています。 中国では、春節は街中が赤い提灯で飾られます。ヒルトン、シェラトン と言った西欧を代表するホテルにも、決して似合うとは思いませんが、 それでも無理やり提灯でお化粧してます。 そんな風景を見て、さびしいと思う人間が私だけではなさそうだと わかっただけでも嬉しいです。何か大事なモノを失いかけています よね。
- takuranke
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日本では明治5年(1872年)に採用し、明治5年12月2日の翌日を明治6年1月1日(グレゴリオ暦1873年1月1日)としました。 決定したのは明治5年11月9日のことで、「太政官布告(第337号)」に書かれていました。 すでに、旧暦で暦(今でいうカレンダー)ができていたので、業者は大損したそうです。 また、すぐに新しい暦になじめと言っても、なじめるものではないので、 明治42年の暦まで旧暦の日付が参考として記されていたそうです。 明治43年以後は公的な暦からは旧暦は全く姿を消したそうです。 30年以上かけて周知したということでしょうか。 ただ、祭りなどは旧暦で行っているところもありますが、 旧暦だと氏子の休みが合わないなどで、新暦に移行した神社もあると聞いたことがあります。 それと旧暦1月1日は、通常雨水(うすい:2月19日ごろ)の直前の朔日(さくじつ:ついたち)のことで、グレゴリオ暦で1月22日ごろから2月19日ごろの間を移動します。 なので、公布した後数年もかからず、都市部では利便のためにグレゴリオ暦での1月1日(正月)を祝っていたのではないでしょうか。 新暦に伴い公官庁では確実にグレゴリオ暦で1月1日を祝っていたと思いますので。 それと、正月は旧暦の正式名称で、1月が異名になります。 ちなみに「太政官布告(第337号)」をよく読むと、ユリウス暦じゃないのかなと思う記述があり、 明治31年「勅令第九十号」で修正されています。
お礼
うわ---すごい回答、ありがとうございます。 歴史で明治5年は習ったのですが・・・そうですか・・・明治43年 まで残ってたのですか・・・。 明治の人たちは、官庁が強かったから、その影響で祭事もグレゴリオ 暦って受け入れられたんでしょうかねえ。 とても勉強になりました。
- lions-123
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>何故、日本はお正月を西暦でするように?? ↓ 勝手な解釈・理解ですが・・・ 聖徳太子の時代から、「和を以って尊しと為す」と言う精神・気風で良き物を取り入れ、新しき技術や学問を調和させ、新旧をアレンジさせたり取捨選択して来た、異文化コミニケーション・和魂洋才の歴史だと思います。 周辺の国々からの人・物・学問宗教を排除の原理ではなく、交流し、組み合わせ、相互に活用して来たのが、我が国の歴史であり日本人の英智・美風だと思います。 それが、仏教であり、文明開化であり、太陽暦であり、メートル法・世界中の料理が集まり共存している社会だと思います。 資源の少ない我が国は、勤勉性と創意工夫により、英智を集め、海外からもたらされた新たな発明・発見について、頑なに、伝統に固執せず、旧き物と新しき物の利点を活かし合ったり、補完させたり、取捨選択を大胆に繊細に融合させたり、共存させたり、新たな物(価値)を生み、創り変えたりして来ました。 これらの事象・事柄・成果の要因を一言で表すと ※「和魂洋才」だと思います。 ※《「和魂漢才」の類推から明治になってできた語》日本人が伝統的な精神を忘れずに西洋の文化を学び、巧みに両者を調和させること。
お礼
いつからとは思わず、喜べと・・・。 う~ん、ひとつの見識っすねえ。 ありがとうございます。
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