日本には、キリスト教の伝来とほとんど同じ頃、西暦が入ってきました。現在見ることができる最古のものは、「真仮名本の奥書」にある「御出世以来千五百九十四年」というように「西暦」の代わりに「御出世以来」を使っていました。芥川龍之介の「奉教人の死」にも記載があります。キリスト教が禁止になり、これは使われなくなり、江戸時代後期から明治にかけて、留学生がヨーロッパに出かけ、日本の年号より便利なため、津田真道が明治2年、年号をやめて、日本が建国したと考えていた神武天皇が即位した西暦紀元前660年を紀元元年とした日本紀元を採用する(当時キリスト教は西洋の圧力でしぶしぶ解禁したので国民の意識は江戸時代とあまり違いませんでした。だから、西暦など無理なことです)ように「年号廃止の建白」が出されました。しかし、このときは採用されませんでしたが、太陽暦が採用された後、年号とならんで日本での正規の紀年法となりました。西暦は、一部のキリスト教徒は明治の初めから使っていましたが、日本での正規なものは、日本紀元(皇紀)となりましたので、細々と使用していました。大正になり、西洋の自由な空気にあこがれる雰囲気が出てきて、知識人は西暦を好んで使用していましたが、戦局の激化に伴ない、使われなくなりました。戦争に負けてからは、GHQにより廃止が指令され、西暦のみが使われる様になりました。
参考URLは世界のいろいろな紀年法です。
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