• ベストアンサー

アンネ・フランクの父親はなぜイギリスに亡命しなかったのか

アンネ・フランクの父親はなぜイギリスに亡命しなかったのか アンネフランクの本を読んだが、 オランダでうだうだとどまってないで、 すぐにイギリスに亡命していれば 殺されずに済んだのでは?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.2

イギリスとアメリカは日本経由で亡命したユダヤ人をドイツに送り返し、大勢のユダヤ人がゲットーで殺されました。 イギリス・アメリカは心情的には理解していても実際は入国拒否でしたから。 なのでイギリスには亡命できません。 それにチャーチルのユダヤ人嫌いは有名ですよ。 蛇足ですがユダヤ人の虐殺に反対した国は皮肉にも日本・満州・イタリア・フィンランドと全部ドイツの同盟国です。 連合国はどこの国も反対しませんでした。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

その他の回答 (3)

  • bari_saku
  • ベストアンサー率17% (1827/10269)
回答No.4

遠い昔に読んだ、子ども向けの本に書いてあったことなので、どこまで本当のことかわかりませんが、オットー・フランク(アンネの父)は、亡命計画を進めていたそうです。 でも、理由は忘れてしまったのですが、何らかの理由でナチスが迫害の手を弛めた時期があり、その時に亡命計画を中断してしまった、とありました。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • isa-98
  • ベストアンサー率23% (205/859)
回答No.3

当時の欧米はユダヤ人を良く見ていませんでした。 白人ではないですし、宗教も違いますからね。 日本の方針はアメリカの主張通り 満更全部が嘘では無かったようです。 しかし、実行しなければそれは嘘になります。 欧米主義と白人主義はユダヤ人や黄色人種をを苦しめました。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E8%B1%9A%E8%A8%88%E7%94%BB

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • t3-papa
  • ベストアンサー率27% (43/159)
回答No.1

フランク一家は、たしかオランダに住んでいたんですよね。ドイツ国内であれば戦争前に亡命するチャンスはあったかもしれません。ユダヤ人に対する迫害は、ドイツ国内の問題であってオランダには関係なかったのです。それが戦争であっというまにドイツ軍に占領されてしまい、オランダ国民の移動が制限され亡命が出来なくなったからだと思います。ところであのお絵描きは子供が書いたのですか?大人が書いたのであれば、なぜ書いたのでしょう?

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

関連するQ&A

  • アンネ・フランクについて

    小学校の頃に読んだアンネ・フランクの本(題名は忘れてしまったんですが…)では、アンネは夜中に水を飲もうと眼を醒まし、ベッド代わりにしていた棚から誤って落ちて死んだと書いてあったのですが、これは本当なんですか? 友人に尋いた所、彼女が読んだ本では収容所で殺されたとの事なんですが…。 他の人達に尋いてもそれぞれ答えは違い、私は小学校の時のもの以外にアンネの本は読んだ事が無いので結局良く解りません。 私が読んだ本は子供向きに直してあったんでしょうか? 因みにこの本では、アンネが読書中は本に夢中になるあまりに先生がそっと置いてくれたサンドウィッチを無意識に食べ、読み終わってから「またやっちゃった!」と気付く事が良くあったと記されていました。 出版社も訳者も解らなくてすみません。 アンネの本当の死に方を詳しく知っている方がいらっしゃいましたら教えて下さい。 宜しくお願いします。

  • アンネフランクの家

    9月12日にオランダ・アムステルダムのアンネフランクの家に行きたいと思います。 ネットで予約して、チケットを購入してから、行った方が効率がいいですか? 並んで買っても、時間がかかりませんか?

  • アンネ・フランクの類似人物がいるのを聞いたんですけど、誰ですか?

    アンネ・フランクの類似人物がいるのを聞いたんですけど、誰ですか? 昔、ドラえもんの漫画と世界の不思議が載っている本に、アンネ・フランクと似たような生活をしていて、日記までつけていたという少女の話が載っていました。 その少女は洞窟で隠れ家生活をしていて、アンネと名前が似ているそうです。 かなり昔に読んだ内容なので色々間違ってるかもしれませんが、詳細を知っている方がいましたら、回答お願いします。

  • アンネ・フランクの隠れ家について

    こんにちは。 先月、ヨーロッパを旅行して、アウシュヴィッツ収容所とアンネ・フランクの家を見てきました。 同じ人間の行った事とは思えないむごたらしさ、目をそむけてはいけない事実がそこにはありました。 アンネ・フランクについては、アンネの日記もしっかり読んでいきました。 アンネとその家族は、誰かの密告によって隠れ家がバレてしまったと言われていますが、誰が密告したのかは未だにわかっていないようです。 同じ会社で働いている人もそんなに多くないようだし、捜査すれば誰が密告しかなんてすぐわかってしまいそうな気もするのですが、どうして未だに分からないのでしょうか。 アンネ達を助けていたミープやクレイマン達の誰かが密告したわけではないんですよね? その密告者が居なかったら・・・と考えるとショックです。 密告者についてはかなり一生懸命探したのに分からなかったのでしょうか。確定されていないだけで容疑者のような人がいるのでしょうか。だとすれば今後はっきり分かる可能性もあるのでしょうか(多分もう生きてはいないでしょうけど) それとも、今更犯人探しをしてもしょうがないので、密告者の特定についてはあまり重視されていなかったんでしょうか。 詳しくご存知の方おられましたら教えてください。

  • アンネ・フランクの隠れ家について

    アンネ・フランクが隠れていたいた家は、どんな家だったのでしょうか。当時 のユダヤ人はどこら辺に隠れていたのでしょうか。なぜ、隠れていたのにドイツ軍が見つけたのでしょうか。だれかが密告したのでしょうか。教科書しか断片的に勉強していないのでよろしくお願いします。

  • アンネ・フランクは何故、ガス室送りを逃れたのか?

    先日スカパーの「アンネ・フランク」を見て疑問がわきました。 父オットーの友人はガス室で処刑されて、アンネはチフスで病死、母は餓死したそうです。 何故アンネと母はアウシュビッツに着く早々、ガス室送りにならなかったの?

  • 日本が対象の嫌日デモにアンネ フランクの写真

    アンネの日記で有名なアンネ フランクですが、韓国の嫌日デモでの写真プレートに安倍総理と一緒に韓国人により踏みつけにされていますが、なぜ日本が対象の嫌日デモにアンネ フランクの写真が出ているか教えて?

  • アンネの日記って有名ですか?

    去年、友人とアメリカのワシントンにあるホロコースト博物館(ユダヤ人虐殺の歴史を展示している)に行きました。 そこでアンネ・フランクについても日記や彼女の歴史について展示してました で、私が「あ、アンネの日記の人だ」と言ったら友人が「誰それ?」って聞いてきたので 「え?知らない?ユダヤ人の女の子で隠れ部屋に隠れて収容所に連れて行かれるまでの日記を書いた人」 と答えると「えー聞いたことない」といいました。 彼は33歳、大卒です アンネの日記ってそういえば歴史の教科書にもちょこっと出てきた覚えがあるのですが、 彼は激怒して「君が知ってるだけで、普通の人はこんな人のこと知らないよ、マニアだけでしょ、知ってるなんて」と言ってきました。 あら、私って以外と雑学王なのかしら?と思いつつ、アンネ・フランクってあんまり有名じゃないんでしょうか?

  • 「生前のアンネ、動画で登場 オランダ博物館がネットで公開」

    この記事を拝見してYou Tubeで何度も探したのですが、それらしき動画は見つけられませんでした。 すみません、発見できたかた、いらっしゃいましたらお手数ですがURLをお教え下さいませ。 よろしくお願いいたします。 +++++++++++++++++++++++ 【ブリュッセル共同】「アンネの日記」で知られるユダヤ人少女アンネ・フランクを写した唯一の生前の映像が30日、インターネットの動画投稿サイト「ユーチューブ」に登場した。オランダ・アムステルダムの「アンネ・フランクの家」博物館による公式映像。 1941年7月、隣人の結婚式の際に撮影された映像は、アパートの窓から顔をのぞかせるアンネの姿を数秒間とらえている。 このほか、アンネの父、オットー・フランク氏をはじめ、アンネを知る人々のインタビューに加え、現在は博物館となっている第2次世界大戦中にアンネ一家が隠れ住んだ家の展示品や資料も映像で公開され、視聴者はネットを通じて「アンネの家」を訪れることができる。 博物館は「映像を通じて世界中の人々がアンネ・フランクの人生と、その意味を知ることができる」としている。

  • アンネの日記は何語で書かれたのでしょうか?

    アンネの日記はオランダで最初に発売されたそうですが、 アンネ自身はドイツ出身ですよね? ということは日記自体もドイツ語で書かれていたのでしょうか? それとも、オランダに移住した後なのでオランダ語も堪能でオランダ語で書かれていたのでしょうか? どなたか知っている方がおられましたらご回答よろしくお願いします。