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人間の罪
人間は80年近く生き、他の生物の生殺与奪を握り、生きる上で必要な以上の生物を食として、神の如く君臨してます。また地球の有限の財産を自らの発展の為に費やし、環境破壊を進めています。 それは果たして罪でしょうか。 私は最近教会に礼拝に通っております。そこで神父さんが「罪深い我らを赦したまえ」とおっしゃいますが、私には差し当たり思いあたる罪がありません。 その罪とは具体的に何を指しているのでしょうか? どなたか親切な方、以上二つの質問にお答え願います。
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善悪や道徳といった他律的価値は、本質的には(十分に社会生命的自覚(愛)があれば)自己の充足量の最大化という、真の生きる目的に吸収されるべき、必要悪です。 物体に本質的な目的(価値性)はありませんが、それゆえエントロピー増大=淘汰として、常に生物の目的を「生きること」に収斂させます。 それは、個人の意識において、「意志の達成=充足の追及」となります。 つまり、「人生を通算した精神的充足量の最大化」のみが、本質的目的です。 それは肉体に付属した感覚器官に基づくものゆえ、短絡的・即物的になりがちですが、3つの点で、そうではありません; 1.「人生を通算した充足量」を構成する関数は、欲求の強さや達成率だけでなく、それを感受する上で「認識の深さ」が大きな要因であり、麻薬的な感覚的快感とは反対の方向性を持つ。(意味的深さ) 2.「人生を通算した充足量」を目指す上においても、「認識の深さ」によって人生全体を見通し、短絡的衝動をコントロールする必要がある。(時間的長さ) 3.分業化や組織化において人が社会性をもつにつれ、自己の生存の成立に、社会全体の活動が必須となり、真に「利己的」であるには、社会全体の自己の肉体と同等の自覚化(他我化=愛)が必要となる。(空間的広がり) こうした「自己の肉体の外における『人生を通算した充足量の最大化』の要因=社会行動」を自覚的に行なわずに、政治(法規)や経済(お金)、宗教(善悪)、慣習(道徳)、など、他律的に行なう時、そこに先入的価値が生じるのです。 社会性の発達において、他律的方法論をとったという事は、自発的な意思によって生きていない=「精神的充足量の最大化」という真の目的において、人類は退化しているという事だ。 いわば善悪や道徳といった既成概念そのものが、「自律的生存=社会生命的自覚化」を省略して自己チューなまま安易に社会化する社会システムのための、必要悪です。
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- kigurumi
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神様のいいつけを守らなかったから。 この宗教ではこうです。 アダムとイヴは楽園に住んでいたのですが、神様のように物事がわかるようになる知恵の実を食べたので、知能は神と同等になったんです。 人間と神の違いは永遠の命があるか無いかだけ。 知恵の実を食べた人間が生命の樹の実まで食べると永遠者になり、神様と変わらない者になってしまうので、急遽二人を楽園から追い払い、楽園の四隅をケルビムに守らせ、人間が生命の樹に近づかないようにしたんです。 で、おそらくこの物語の前の物語だと思えるのが、バビロニア地方に伝わっていた神話。 (アブラハムはバビロニアがあったあたりの地域出身ですから、当然その土地の神話を携えていたわけですね) 創世記の前の物語だと、最高地位が創造主のティアマートなのですが、彼女の地位が欲しくて神々は謀反を起こしたんです。 で、神々はまっぷたつに分かれて大戦争をしたわけですが、キリスト教では天使が神側と悪魔側に分かれt大戦争をしたとなっています。 結局 創造主を殺しちゃったんです。 万物を動かしていたティアマートを殺したために、この世を自分たちが動かさなければならなくなり、忙しくなって、身の回りのことがおろそかになった。 で、マルドウックに「お前がティアマートを殺しちまったために、俺たちは忙しくなり、自分の身の回りのことができなくなったじゃないかー」と不平たれたんです。 で、マルドゥックは八つ裂きにしたティアマートの肉体とティアマートが石版を渡したキングーの血をこねて人間を作った。 そして、人間は神々の身の回りの世話をするために作られたと人間に立場を教えた。 主と従の契約で、人間が神との契約を忘れないために、空に虹をかけた、というのが、その前の物語。 キリスト教徒が「虹は神との契約の証です」って言うのは、その物語からきている。 主従の契約をしたのに、奴隷が主人のいいつけを破り知恵の実を食べちゃったことが罪。 実と食べたってことが罪じゃなくて、いいつけを守らなかった、従わなかった 神の言うことより、蛇の言うことを信じたのが原罪としているんです。 ちなみに、この蛇ティアマートだと思う。 神は食べると死ぬって言ったが、蛇は大丈夫死なないって言った。 そればかりか神のように真実が見えるといった。 その通りで、食べても死なずに、知恵を得たことで、真実がわかり、自分は創造主を殺した奴の奴隷にさせられていたと知ったわけです。 で、真相がバレたので、あだ討ちされると危険なので、楽園から追い出したわけです。 で、記憶喪失になったようで、自分の親のようなものを殺した仇をまた崇拝するようになった。 罪深いのは謀反を起こして創造主を殺して最高地位を略奪しが強欲なこの神の方なのにね。 なんで責任転嫁して人間が罪だってするんでしょうね。嘘ついたくせにね。 親を殺しておきながら、その子供に「お前は穢れているから反省しろ」言うようなもんで・・・・ うーーん。 これは実際 この神話の元になる事件があったと思います。 紀元前3500年ほど前を最後の母権社会はなりをひそめた。 それまでは女性側に相続権があって、女性が認めた人にリーダーの地位を与えていたのだと思います。 誰かがいつまでも財産が自分の自由にならないことや、権威を与えることを自由にできないことに不満を持って、母権社会のトップを殺害したんだと思います。 その母権社会の生き残りをうまく言いくるめて 使っていたんじゃないか と。 まっ ともかく 神の言うことを信じず蛇の言うことを信じた つまり神を最高だと認めなくなったことで、主従関係が壊れたってことで、奴隷の地位に戻りたければ、こっちの言い分のみ信じろってことで すね。 無理。。。知恵の実食べちゃったもん。 騙されないだけの知能もっちゃったもん。
お礼
ユニークな長文ありがとうございました。笑いながらも大変勉強になりました。ありがとうございました(^^)
お礼
自律的な生存の達成が困難な人類は存在自体が不十分、罪なんですね。模範のような人類にとってのバイブルのような3つの項目まで示して頂いて、非常に感謝しています。 ありがとうございました。