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独ソ戦が生起しなかった場合の満州防衛

sudacyuの回答

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  • sudacyu
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回答No.7

 参考までに。  日本参戦までのスターリンの認識と戦略。 ・ナチスドイツの民族主義的拡張主義的な性格から見て、ドイツ対ソ連=ゲルマン民族対スラブ民族の全面戦争は不可避。 ・日独伊三国同盟の存在により、早期に独ソ戦が始まれば、日本も対ソ参戦し、ソ連はヨーロッパと極東の二正面作戦を強いられて、勝てない。 ・日本は中国戦線が泥沼化している上に、中国をめぐってアメリカと対立している。日米開戦の可能性も高く、ソ連と先に戦うならば、アメリカに対して譲歩せざるを得ない。(日本が、中国・ソ連・アメリカと戦うのは、三正面作戦で到底勝てない。)  →日本政府はソ連との全面戦争を回避するはず。  という認識に基づいて、   1.ドイツがソ連国境で戦争準備を完了するまでに、ソ連軍機甲師団主力を極東に移動する。(ヨーロッパ側国境は、ほとんど歩兵のみ。) 2.対日戦闘準備を完了した上で、日本軍現地部隊を挑発する。 3.日本軍現地部隊は、中国戦線と同様に、東京の参謀本部・日本政府の指示に従わずに、応戦し戦闘規模を拡大してくるはず。 4.日本軍を完全に撃破し、日本軍現地部隊に恐怖心を植え付ける。 5.国境戦闘のみとし、満州には侵攻せず戦線は不拡大とする。日本と不可侵条約を結ぶ。 6.満州国境の主力部隊は、全てヨーロッパに移送して、ドイツに備える。(満州国境は、二線級歩兵部隊のみとする。)  この時点で、スターリンは対ドイツに傾注していたでしょう。  日本軍に対しては、防衛に回った場合の頑強さと、補給力のなさを知ったはずですが、既にある知識を確認したにすぎないでしょう。  ですから、元々二正面作戦を取るつもりはない(=満州・朝鮮の支配は予定にない。)上に、日本がシベリアに侵攻する可能性がほとんどないことを確認したことで満足していたでしょう。  もし、本格的日ソ戦が始まり、ソ連が満州に侵攻するような場合、元々共産主義嫌いのアメリカが、中国をめぐる政治的駆け引きで日本と妥協して、日中停戦実現に動くかもしれません。  日本軍が中国から引き揚げ、その兵力で満州を戦場にソ連と戦う状況は、アメリカにとって満足以外の何物でもありません。 ・中国戦線からの日本撤退。 ・中国をめぐるライバル日本が、自分の費用で共産主義ソ連の中国進出を食い止めてくれる。 ・日本は対ソ戦で、アメリカの工業製品を大量に買い込み、戦争でどんどんスクラップにしていく。  アメリカにとって、大きな勝利・これ以上ない美味しい話と言えます。  そのような愚を、スターリンがあえてするはずがありません。  尚、ドイツが完全に負けてヨーロッパの自由主義圏・社会主義圏の境界が確定した段階では、ソ連軍主力はどこにでも持っていくことができるようになり、主力が対米戦争に駆り出されて、二線級部隊がほとんどとなっていた満州・朝鮮は、極めて侵攻しやすい地域でした。

noname#105097
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 大変参考になりました。本当に最もそのとおりの理屈で世界は動いていました。

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