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不幸な人がそのまま幸せに
ひとは不幸になってくると、周りに対して険悪になってきて、ますます嫌われるという、不幸スパイラルに襲われます。逆に幸福であると、周りへも好印象で接せられるので、ますます幸福スパイラルがついてきます。不幸→劇不幸 幸福→劇幸福というスパイラルですね。 これはすごく醜い現実です。 なぜ、人生と言うのは、不幸になったらば、自動的に幸せ側に補正されるような、サーモスタット機構のような構造になっていないのでしょうか?
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>なぜ、人生と言うのは、不幸になったらば、自動的に幸せ側に補正されるような、サーモスタット機構のような構造になっていないのでしょうか? 当然です。そんな微温的なシステムにしていたらみーんな平均的な幸福でも不幸でもない灰色の人生になってしまい、誰も生きる甲斐がなくなって自助努力をしなくなってしまいます。ですから神は、不幸なものはあくまで不幸に、貧乏者はあくまで貧乏にはりつき、努力なしでは絶対そこから逃れられない構造にしてしまったのです。 ご参考まで。
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雑魚 海の深さも 山の高さも 何も知らない 濁った水溜りのぬるま湯で水浴びしている 陰気な雑魚
醜いのは見通せない 君の濁った心の眼
君も同じこと陰気にやっているんだよ。 名前は馬鹿で 性格は陰気
- IdeaMaster
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馬鹿 がたまった鬱憤を抑え切れなくて定期的に癇癪(かんしゃく)おこして「自分の糞」を撒き散らすのが 『劇』不幸へのスパイラル と言えそうです... 独り言(またか)
お礼
ご回答ありがとうございます。 確かにそのとおりだと思います。
- mmky
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不幸な人がそのまま幸せに なることがあるのですね。戦前優秀と言われた人は士官学校に入りました。特に優秀な者は飛び級があり早く士官になれたのですね。エリートですね。それをみて成績不良のものや落第者は打ちひしがれ不幸を感じていたでしょう。 ところが歴史のいたずらか、戦争の激化、負け戦で早く士官になったエリートは次々死んでいったのですね。残ったのは落伍者というわけです。戦後社長になったりえらくなった人たちは戦争に負けたことで突如勝ち組になった人も多いのですね。要するに三流が一流になってしまったということですね。体が弱いゆえに兵役につけず落伍者のレッテルを貼られた者が生き残り戦後、大成功を収めたなどという話はいくらでもあるのですね。 人生には大逆転などいくらでもあるのですね。 山崎豊子の小説には大本営参謀のエリートがシベリアで捕虜になりという小説もありますね。人生、努力だけでもないんですね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 お話しのような、塞翁が馬の例えばある程度事実だと思います。 が、もっと大きな枠で考えると、どうしても、幸せは幸せを呼ぶ循環になっているのが支配的である、と言うことは言えそうです。この連鎖が社会に活力を与えるらしいですが、例のような塞翁が馬は一種のスパイスを与えるのでしょう。 いずれにしろ、この世は糞だおともいます。
- 18barbican
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不幸の原因は飢餓です。争いは飢餓からうまれるのですが。 食べ物に飢えている不幸・・・ 愛に飢えている不幸・・・ スイスのように福祉が発達している国ならば・・・もしかしたらば争いは、減るのでしょうか?でも、ファイトや進歩も減ってしまいそうだし。 もしかしたら(^^;)有能なボクサーは育ちにくいかも。 >人生と言うのは、不幸になったらば、自動的に幸せ側に補正されるような、サーモスタット機構・・・ たしかに「自動的に」は、なりませんね。 現状に不満だからこそ、悩んだり工夫したりして・・・必死に希望を持って、戦って、辛抱して・・・そこに文化の進歩や発展があったりして。 でも不幸から立ちなおれない人のこと・・・責められないよネ。おたがい人間は弱いものだし・・・人生って、やはり本当は辛いことが多いよね。 BakaAliceさんの言うところと違うかもしれないけど・・・ 「幸福とは?不幸とは?」と考えるときに必ず、思い出す人がいるのです。 私が中学生くらいのときの話なのですが。親戚のオジサンに「長者番付」に載ってるほどの「大金持ち」なのに、私から見て、不幸な人がいました。「大金持ち」なのに、おじさんケチでね。ケチというより守銭奴でした。このおじさんは、旅行とか贅沢しているの見たことがありません。掘りごたつの中から新聞紙に包んだ「殻つきのピーナツ」をゴソゴソ出して・・・いつも家に、いました。 昔の政略結婚なので、おばさんとは、カタチだけの夫婦で子供ができなかったそうなのですが。叔母さんが亡くなり・・・とうとう一人暮らしになると、あちこちの親戚や知り合いなどに「ウチの養子になってくれないか?」と言うのですが。 (^^;)私も言われました。 「長者番付」に、載ってる孤独な大金持ちに「養子に・・・」 もしアナタが、ある日、突然にそう言われたら? 言われた人は、「まさか・・・」と思いつつも、たいていオミヤゲやプレゼントを持って、とりあえず、おじさんに挨拶しに行くのですが。 おじさんはオミヤゲとプレゼントは、ありがたく受け取るけど・・・ 肝心の「正式な手続き」は、いつも「このつぎに、このつぎに(笑)」ってトボケるの。 「大金持ち」のクセに「貧乏人」の気持ちを、くすぐって、もて遊んではオミヤゲとプレゼントをタダで巻き上げて、せしめてました。・・・(なんてヤツだよ!!でしょ。) 結局は、このオジサンは自殺しちゃったんです。 私のうちは、商売上の取引きがあったので、頻繁に行き来はありましたが、実際の血縁としては、何親等も離れていたので・・・遺産の行方が気になるほどの立場じゃなかったのですが。 「禁治産者」って言葉を知ってますか? 精神的な疾患などで、自分の財産を管理する能力を失っている人を、以前はこういう言葉で呼んでいたんです。 「禁治産者」として裁判所に宣告されると「財産の管理権」を、すべて失ってしまうのですが、オジサンは法廷相続人になる親戚の誰かに、コレをやられて・・・つまり「無一文」になってしまったのです。 ・・・踏み切りへ・・・だそうです。ショックでした。 「守銭奴」で、ろくなオジサンじゃなかったけどね・・ 商売の取引があたころに、一度だけ何かの用事でうちに泊まったことがあったのですけど・・・親たちが出かけてしまったアトに。私ら子供とオジサンだけで、留守番する日があったのです。オジサンが、どうもあき時間を所在無さそうに、過ごしているので・・・ 「お茶でも入れましょうか?」って、私がなんとなく声をかけたことがあるのです。 そのときに、ドケチのオジサンが「あんたの、その優しい気持ちだけで良いよ。良いよ」と、とんでも無く、まるで小さくなって恐縮して「ありがとう。ありがとう。」って何度も・・・そのときに、「オジサンはホントは寂しい人なのかな?」って中学生だった私は、なんとなく印象的に忘れられない一瞬でした。 貧困にあえぐ国の不幸は、想像にかたくないけど・・・ 長者番付に載ってるほどの財産を持っていても、幸福になる「生き方」がない人間も確かにいます。 さて・・・ね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 貴重なお話しですね。お話しからも、やはり、幸不幸はかなり内面の問題だと感じます。 要は、人間それぞれの運命に縛られていて、その中で翻弄されるしかないのだろうか?という諦念に似た気持ちになりますね。不幸の存在が世の中を回す原動力になると言うことは逆説的皮肉ですが、確かにあります。一種の必要悪でしょうかね。
- Y Y(@yy8yy8az)
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不幸が不幸を招く。 それは物理学の慣性の法則が、精神にも通用するからではないでしょうか。 でも、サーモスタットは付いていると思います。 気づくという能力、そしてそして改めようという気持ち(意志)。 だからと言って、改善されるわけではないと思います。 自分だけの世界ではないので。
お礼
ご回答ありがとうございます。 慣性の法則でしょうかね。作用反作用では、必ず摩擦があって運動は収束する方向に向かいますね。共振の法則じゃないでしょうかね。
>サーモスタット機構のような構造になっていないのでしょうか? そんなものは必要ないから。 人間は余計に背負ったり、拾ったりするからややこしい。 いらん物は拾わない。余計なもんは欲しがらない。 それで足りるから。
- IdeaMaster
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幸と不幸の間で右往左往 これが人間の醜い現実
ひとは、人を思いやってこそ一人前。
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お礼
ご回答ありがとうございます。とても明快に疑問に答えていただきました。「甲斐」というものが、崖底を用意することでできるものらしいですね。が、一方過剰に残酷な運命を用意しているともいえます。犠牲者を出すと言うことですからね。