• ベストアンサー

インド人:呼称がGoswamiだったら僧侶と考えて間違いないですか?

こんにちは、お世話になります。 ちょっと、興味がある心理学の本の裏表紙に、「~~ Goswami(イギリスの大学の関係者らしい)」という方の推薦の言葉があるんですが、Goswamiってヒンズー教の僧侶の位だったような気がします。 (宗教とは無関係な)普通の心理学の本を探しているので、Goswamiが単なる名前の可能性もあるのか? 気になります。  著者はイギリス人なんですが、あやしい教団の信者が書いたのかもしれないと思うと購入する気が失せます。 Goswamiさんが、僧侶なのか人名なのか、教えてください、よろしくお願い致します。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
noname#150961
noname#150961
回答No.1

ウィキペディア英語版によれば、ジャーナリスト、科学者、詩人、俳優、スポーツ選手などにGoswamiという人がいるようです。 http://en.wikipedia.org/wiki/Goswami 問題のGoswami氏については、ファーストネームや所属が表示されているでしょう。推薦文がカバーに載るほどの人物であればウェブ検索で手がかりが得られると思われます。

zatousan
質問者

お礼

御回答ありがとうございます。 英語版ウィキは見たんですが、Goswamiが、僧侶のナンタラカンタラの部分しか読んでいませんでした。  その下に、goswami姓の有名人がズラーと並んでいたことに気がつかず、、、。 早速、ウェブ検索してみます。 ありがとうございました。

関連するQ&A

  • サラリーマンでありながら僧侶でもある男性

    生まれも育ちも普通のサラリーマン家庭で、本人の仕事もサラリーマン。 でも、ある時出家して僧侶の資格(?)をもっている男性とお付き合いさせて頂いているのですが(婚活イベントで知り合いました)、彼との関係を続けるか迷っています。彼は僧侶として働いでいる訳ではなく、普通にサラリーマンをしています。 彼は、まさか自分が宗教にはまるとは思わなかったと言っていました。 ただ、僧侶としてのもう一つの名前(?)ももらっているみたいで、その名前を見た時感動したとも言っていました。 職業柄、心理分野の資格も持っていて、更新制の資格なので休みの日などは、 心理分野の勉強や活動、神社でのカウンセリングみたいなこともされているようです。 最終的には、本人にもっともっと聞いて判断しようとは思っていますが、 まだ飾っているのか、深い部分を話すと嫌われるという不安があるのか、 率直に応えてくれそうにもないので、質問させて頂きます。 最近、オウム真理教元信者のニュースがあったので、妙に過剰に不安になっている部分もあるかもしれませんが、 宗教にはまったという発言を聞いて、サラリーマンの傍ら、正当な正規の仏教の修行とはいえ、それを終え実際僧侶の資格を得(要は出家したという事らしい)、心から信じている雰囲気を感じ、妙な不安が消えません。 更に、心理分野の活動もされているので、宗教と心理学という2つの答えのない目に見えないものにはまっていそうな彼が、どの程度どっぷりつかっているのか不安です。 上手く言えないのですが、宗教や心理学に偏見を持っている訳ではなく、もちろん個人の自由なのでそれは全く問題にはしていません。 彼が出家しようと決断した本当のきっかけを聞けていない事も不安ばかり抱える原因かもしれませんが、 弱っている人の話を聞くことで自分の弱さを克服しようとしているのか、弱い自分を保っているのか、根本的に精神的に弱いから宗教に頼ってしまう事が多いのか、まだまだ判断しきれていないのです。 もちろん、自分がしっかりしていないと、強い人間でないと、弱い人を助けられないし寄り添う事なんてできないとは思います。 一方、(私も過去に少し経験があるのですが)その頃の自分を振り返ると、 弱い誰かの悩みを聞くことで弱い自分が強く思えたり、そんな自分を何とか普通に保っていた部分があったのかな、結局、弱い誰かにもたれて偽の強い自分を作っていたのかなと思う事があったので、今の彼が当時の自分と重なる部分があって精神的に自立しているのかという懸念があります。 すみません。彼の何が不安なのかわかりにくいですよね。 彼は、優しいし、仕事はキチンとされているし、お父様を30代で亡くされているので、経済的には自立した気持ちをお持ちだと思います。学生の頃の話を聞いてもそういう自立心はお持ちだと思っています。 ただ、ずっとお母様と同居で、きょうだいもお姉さまがいて(だからという訳でもないのですが)、話や行動の端々に精神的な甘えみたいなものを感じています。 だからといって私ができた人間でもなく、私にも彼に甘えている部分があるとは思います。 ただ、彼は私に「心強い。しっかりしている。すごいね」等々と言ってくれて、 ありがたい反面、普通だけどと思うような事でもそう言ってくれるので、 それが私を立てて言ってくれているのか、彼にとっては本当にすごい事だからなのか判断しかねています。 私も母を亡くしているので、人間として社会人として大人として、 『いつまでもあると思うな親とカネ』という覚悟をもって日々生活していますが、 彼がどの程度自立した気持ちや考え方を持っているのか未だにわかりかねている部分があります。 結婚となると、もっともっとそういう自覚や覚悟は必要だと思っていますし、 他人同士が生活を共にするのだから、必ず問題は発生するとも思っています そういう事が発生した時、彼は、どの程度自分の事として自覚や覚悟をもって今、私とお付き合いしてくれているのか、そういう不安が消えずにいます。 言葉ではもっともらしい事は言いますが、イマイチ行動やメールの内容等々に不安が残っています。 僧侶と結婚して普通の結婚生活が送れるのかという事ではなく、 彼が精神的にどの程度強いのか(or弱いのか)、 お姉さまやお母様に甘え依存した独身生活だったのか、 (男女差別する意図は全くありませんが)年下の女性にいざという時は甘えてしまうのか、その辺が気になっています。 もちろん、男性が女性に甘えることも年下に甘えることも普通にあると思いますが、 それが自己が精神的に自立した上での甘えと、そうでない甘えは、どちらか片方への「依存」になってしまう気がして、それなら片方が極端に負担になる結婚生活、最悪は共倒れになってしまう心配があります。 その辺を見極めるには、彼とどうお付き合いし、どういう視点で判断していけばいいでしょうか。わかりにくい質問で恐縮です。助言いただけたら嬉しいです。

  • 本の表紙デザイン

    本を出版するとこになりました! それで、僕は本の表紙・裏表紙・背表紙のデザインをしただけなんですが、本の最後の方に名前を出すことってできるのでしょうか? (著者、出版社などが書かれているところです。) もし出せるならどんな項目で出せますか?「デザイン」ですか?

  • 「方丈」は僧侶の謙譲語でありやなしや

    字面からすると「方丈」は僧侶の謙譲語のような気がします。その一方、超俗を旨とする世界であることを考えると矜持を秘めた語のような気もします。事実、広辞苑には「師への敬称としても用いる」とあります。 乏しい体験からいうと、映画の中で僧侶が自らを「方丈は」と名乗っている場面があった気がします。この用例は謙譲語です。一方、俗世の人間が僧侶を直接「方丈さん」と呼びかけている事例も法事の席で目撃しています。こちらは尊敬語で広辞苑の記述に合致しています。 そこで質問ですが現実はどうなのでしょう。「方丈」は謙譲語なのか、尊敬語なのか、両方を兼ねているのか、どちらでもないのか。 僧侶が自らを「方丈」と名乗ることは普通のことなのか、普通だとして禅宗以外の僧侶もそう名乗るのか。 俗世の者が僧侶を直接「方丈さん」と呼ぶことが可能だとして、禅宗以外の僧侶に対しても失礼ではないのか。 この辺りのことを解説して下さると有り難いです。 お願い1 内容によっては「補足」や「お礼」の欄を用いて回答者に問い合わせをすることがありえます。その際、「知らない」、「嫌だ」、「勝手に調べろ」、「愛想が尽きた」・・・など何でもよいのですが、何がしかの返事をして下さる方の回答を希望します。返事がないと締め切ってよいものやら、いけないものやら非常に困惑します。この質問が締め切られるまで、ご自分の投稿のその後に関心をもって下さる方の回答を希望します。 お願い2 僧侶や教団の関係者とは限りませんが呼ばれる僧侶の寛容によって通用してきたという裏話が隠れていては困るので、単にご自分の経験談や印象・感想ではなく、仏教界に明るい事情通の方の客観性のある回答を希望します。 よろしく、お願いします。

  • 本のタイトル

    本のタイトルが思い出せなくて、困っています。 どんな本かというと、 ・シェフがレストランの酷い裏事情を暴露するという内容だったと思います。 ・著者は日本人ではなく外国の方です。 ・表紙が黄色くて、黒字でタイトルが書かれていた気がする・・・(これは自信がありません。) ・最低でも7年前ぐらいには刊行されている本です。 ・結構話題になった本です。 以上の曖昧な情報ですが、これかなと思う本がありましたら、教えてください。 よろしくお願いします。

  • ほんみちさん。相談にのってください。

    職場の部下に、ほんみちさん(女性)が入ってきました。 私自身が、さまざまなことに興味があるので、いろいろほんみちさんのことを聞きたいのですが、失礼でしょうか?(積極的に勧誘等をしていないようで、わからないことが多く気になります。) また、同僚として食事に誘うなどは嫌がられますか? 教団の教えで、信者以外とは特別仲良くは出来ないなどあれば、あきらめようと思います。 私は特定の宗教を肯定も否定もしていません。 下心はありません。ただ、自分をサポートしてもらう以上、信頼関係を気づきたいと思っています。

  • 洋書のレビュー:意味と文法について

    いま挑戦している本の裏表紙に、この本のレビュー(推薦文?)が幾つか載っています。その中に、意味と構文が分からないものが一つあります。 "Blazed a trail as a media savvy, energetic, original thinker." 著者についてのコメントだと思われるのですが、こういう新聞の見出しっぽいのは苦手で、、、。 辞書で"Blaze"や"trail"を調べていたら、"trail-blazer"が「先駆者」という意味だと知りました。だとすると、なぜ、この文では分詞構文(?)になっているのでしょうか。 どなたか、よろしくお願いします。

  • 錦秀会阪和病院グループと新生佛教

    錦秀会准看護学院を目指していますが ネットで錦秀会の創設者が宗教団体の信者であることを知り 病院ではどうなのか職員の方・元職員の方がおられましたら 宗教とのかかわりを教えて頂きたいのです 別に強要されなければ、誰がどんな宗教をしていても関係はないのですが 教団のHPに病院にも「御堂」等と言う宗教関係の物?場所?が有るみたいに 書いてあったのでチョット不安になりましたのでお聞きしたいと思います 病院で働きながら准看護に通いたいと思っていますので この学校を第一志望にしたいと思っています 情報があれば宜しくお願い致します

  • 加藤諦三さんはどういう心理学者ですか?

    簡単な対人関係や自分の意識改革について調べてたら 加藤諦三さんの本を見つけましたが種類が多くてどれがいいのか 分かりません。 私は実践的というか普段の生活で感じる対人関係とか相手の心理が 分かる本が欲しいのです。 よく、外国人の難しい本やら大学で学ぶ心理学や、難しい言葉など 並べた、心理学では常識というような難しい本は必要ありません。 心理学を勉強するのではなく、あくまで仕事や生活に生かせるのが いいのです。 上記著者の本でそういう本ありますか? また上記著者以外でもあれば教えてください。

  • 自分が著者の本に自分の名前を書く事

    自分が著者の本を友人等に差し上げる時、本の裏表紙等に直筆で自分の名前を記述することを漢字二文字で表すと何がありますか。。 なお、「落款」「款記」「署名」「サイン」等一般的ではない表現を探しています。 よろしくお願い致します。

  • DV加害者の特性のうちの一つに・・

    お世話になります。 DV加害者の生育環境等、基礎的な傾向とされるものについては、おおよそ知っています。 また性格的傾向も、一般的にいわれている程度には抑えています。 あるサイトに紹介されていたのですが、その傾向の一つにDV加害者は熱心な宗教な信者であることが多い、という記述がありました。 この記述は、サイト独自で作ったものではなくて、専門家の書籍からの転載だといことです。 一見何の因果関係もなさそうなのですが、私が知る限りなぜか当たっています。宗教の信者というより、迷信深いといった方が適切かもしれません。特定宗教をあつく信じている場合もありますが、方角とか誕生日占いとか、そういうものを人一倍気にしている人がなぜか多いのです。 これはどういうわけでしょうか? 因果関係について、何か考察されていますか? それとも、本当にたまたまのことでしょうか? 私がDVの相談等を見ている限りでは、著者のいう傾向は、ある程度はあるように見受けますが・・。