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就職活動におけるゼミ、卒論の必要性について

私立大学の経済学部に通う2回生です。 後期の授業(10月の末)からゼミが始まりました。 このゼミは元々、自分の希望していたゼミではなく、第一、第二希望のゼミに落ちてしまい仕方なく所属したゼミなのですが、 授業の中身も興味がわく内容ではなく、教授も厳しい方なので、正直、憂鬱そのものです。 先日、ゼミに所属しなくても(≒卒業論文を書かなくても)卒業に必要な単位をきちんと取れば卒業できることを知ったので、このゼミを辞めようと思っています。 しかし、1年後の就職活動のことを考えると、こんな甘い理由でゼミを辞めてしまうのはどうなのかな…と思ったりもします。 現に、自分の学部でゼミに所属していない学生はほんの僅かで、ほとんどの学生がどこかのゼミに所属しているようです。 実際、就職活動においてゼミや卒論は、どのくらい重要なのでしょうか? ゼミに所属していないと、卒業論文を書いていないと、やはり不利になるのでしょうか? 就職活動を経験された方、もしくは就活中の方、教えてください。 本当に悩んでいます。

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noname#111034
noname#111034
回答No.4

・大学(学部)が制度的に「卒業論文を書かなくても卒業に必要な単位をきちんと取れば卒業できる」と規定しているなら,書かないのはあなたの自由です。それによって生じる利益も不利益も,すべてあなたの責任でまねいたものです。 ・「卒業論文を書かなくても卒業に必要な単位をきちんと取れば卒業できる」とか,「第一、第二希望のゼミに落ちてしまい仕方なく所属したゼミ」という制度は,経済学部ならではのものです。ちゃらんぽらんな教育をしているということです。自分の周囲を見ただけではそれを自覚できないでしょうから,この機会に肝に銘じたほうがいいでしょう。 ・就職活動の面接で,卒論のテーマについて尋ねられることがあります。内容がその会社に合っているかどうかを確かめたいわけではなく,1つの仕事に取り組んだ経験があるかを知りたいのだろうと思います。「そのために形だけ卒論を書きたい」と学生からあっけらからんと言われると,教員としては内心で激怒しますけども。

k5nano
質問者

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回答ありがとうございました。 確かに、他の学部の友達の話を聞いていると経済学部は楽だと感じることが何度かありました。 卒論に取り組む意味をきちんと考えて、これからのことを考えていきたいと思います。

その他の回答 (3)

  • east-with
  • ベストアンサー率41% (85/207)
回答No.3

 卒論についてですが、論文を書く事が社会人になってから役立つという考え方があります。テーマ設定→文献探しや実験・調査→集計や解析→論文のアウトラインの作成→論文執筆。  そんなに上手くはいきません。問題の切り口を変えたりしながら悩んでする。それが大切です。  しかしながら、卒論を書くメリットは一つです。それは大学院修士課程を受験するときに卒論の内容も評価に入る可能性があります。それと修士論文の基本は卒論です。修士論文は独自性やオリジナリティしか評価しません。ただ卒論の段階では論文として不備があっても努力を認めて卒論の単位を認める教員もいます。その不備も少し論証が弱いやグラフや表や調査の欠陥だけです。

k5nano
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 今のところ、大学院への進学は考えていないのですが、そうすると卒論のメリットは社会に出てないということなのでしょうか? 

  • publicpen
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回答No.2

卒論書きました。個人的に言えば書かなくていいのなら書かなくていいと思う。書いたこと自体は後悔はしていない。もう少し効率的に書けたとは思うけどね。多くの学生が「悩み苦しむこと」を目的にしてるような気がするけど、長期休みなど利用して3週間ぐらい毎日を短期集中講座でやればずっと短い時間で良いものが出来ると思う。 そういうシステムを取らないのは大学の怠慢だと思う。 自分では悩んでる風に見えて何もしてないことが多い。 僕は確かに履歴書には卒論のことを書いたけど突っ込まれなかったし、たまに喋ってる奴がいると「馬鹿だなあ」と言う感じに見えた。なんせ「私は広告について学んだので広告のことは分かります」と言うようなことを平気で言うのだから。週に僅か100分、しかも年の半分は休みで1,2年やったようなレベルは週に60時間以上をフルタイムでやってる社会人からすれば「ままごと」だと思う。これは当時も思ってたし今も思ってる。 気をつけるべきは、「不真面目な学生」と思われないように、それに代返するような能力や実績を持つことだと思う。体育会の学生なら相手も納得するだろうし、留学経験や成績優秀者なら、ゼミや卒論をやってないことで不真面目なイメージがつくことはないと思う。 また職種は絞れないはずだから、専攻と違うタイプの職種ではどんなこと話すんだろう?と。 ゼミや卒論の問題点は、 教授やTAや大学や先輩を含め、手伝う姿勢がないからです。これは多くの教授や大学に問題があると感じます。いわば山を1人で登るのに似てますね。問題はそれに対する見返りが少ないことです。教授になろうなどと言う意志の無い者からすれば、完全な自己満足の世界です。自己満足に過ぎないもののレベルや内容のチェックは教授などによって行なわれる。 まったく第三者から口だけ出されるような嫌な気分になりますよね。 彼らもその授業態度が自分の進退や給与に反映されないし、研究者意識が高い以上、ボランテゥア的態度、奉仕的態度になるのは仕方ない面もあると思う。 「口を出すなら責任も取って欲しい」と言うか取るのが人間としての最低限のことだと思うのですが、そういうシステムにはなっていません。本来、行為として学生を手伝わなければ、口も出すべきでなく、また審査で必ずしも論文を通すべきでは無いと思う。留年と言う結果があってもいいと思う。 これもまた口出しされない以上は本来、自己責任だから。教授や大学は就職実績や来年も同じ学生を教えたくないために行動は何もしないのに口は出すと言ったおかしな行為も感じる。 やる気ないならやらなくていい。 ただしその代わりの「何か」は持つべきですね。 資本主義国は競争社会ですから。勝ち負けはっきり出ますよ。

k5nano
質問者

お礼

回答ありがとうございました 卒論を書かないのであれば、それなりのPRポイントとなる武器を持たないといけませんね。

noname#245936
noname#245936
回答No.1

んー。 私の場合は、卒論は人生の足しになりました。 貴方のように厳しいゼミの先生の指導のもと。 寝る間も惜しんで書きましたね。 自分が今まで生きてきて。 どんなタイトルとはいえ。 どんな稚拙な内容とはいえ。 原稿用紙何十枚も何百枚も、作家のように書くという行為は、 作家にでもならないかぎり一生に一回あるかないかの話であり。 大学というか、Universityに行く醍醐味であり、とても足しに なると思います。 というか、やらなければ200万ぐらいドブに捨ててるようなものでは? また、「大学で何をしたか」と言ったとき。 話のテーマにもなりますし。 今、私は卒業して11年たちますが。 当時の内容は今でも言えますし、当時より深い論旨ができます。 あれほど、嫌で、最低で、でもベストを尽くした文章は無かった。 あのおかげで、僕は、今の仕事でも文章をかけますし。 本を読む癖もつきましたし。 造詣が深くなったような気がします。 長沢先生ありがとう!…というのは、ま、僕の話なんですが。 こういう経験、悪くないですよ。 「無用の用」…役に立たないものはひとつもありませんからね。 逃げるな、若者。

k5nano
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 自分は、目先の就活や卒業に必要という点だけで卒論を見ていたような気がします。 もっと先のことも考えて決断しようと思います、

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