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何故人を殺してはいけないのか?

頭が悪いので考えても分かりませんでした。 仕方ないので、いけないからいけないって事にしてる訳ですが、ここは偉い人ばかりなのでやっぱり違うんでしょうね。 ちなみに宗教的見解は勘弁してください。。(汗)純粋な哲学的証明が聞きたいのでよろしくお願い致します。

  • sudx
  • お礼率73% (60/82)

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  • ベストアンサー
  • ratesu
  • ベストアンサー率13% (16/122)
回答No.15

哲学的証明は不可能。

sudx
質問者

お礼

回答ありがとうございました。

その他の回答 (17)

noname#101110
noname#101110
回答No.18

わが国の(おそらく他国でも)遵法精神に基づいて、殺人はしてはならないということです。もちろん汎世界的な哲学的価値観(基本的人権の尊重・最終的には宗教的なものもなしとはいえないでしょう)に基づいたものですが複雑で、全面的にだめだということではありません。したがってせこく考えれば矛盾にみちています。自分を殺すこと(自殺)は日本では罪にはなりませんし、自分を殺そうと向かってきた相手を避けるために殺してしまったという場合も多分、許されます。また死ぬことが明らかで、生きていることで非常に苦しんでいる人を死なせることも罪にはならない場合があります。また、決められた法的な手続きを踏んで死刑が確定した人間も殺すことは法的に許されています。他国と戦争になった場合も敵国の侵略を許す前に相手の兵士を殺害することも近未来にはありうることです。 そのほかにもいくつかの殺人が法的に許されるばあいがあります。興味がおありになれば深く研究されることです。私は余り興味がありませんので、お付き合いはここまでにしておきます。 ご参考になれば。

  • owlsjp
  • ベストアンサー率18% (23/127)
回答No.17

「人を殺してはいけないのか?」ではなく、「何故」人を殺してはいけないのか?と、何故 をつけているということは、「それは正しい。しかし、何故なのか?」と思っているということでしょうか.「殺してはいけないことは解っているのだが、それを論理的に証明してくれ」ということですね、しかしそれは無理です.その、「殺してはいけない」という仮説が間違っているからです.  結論から言えば、「○○○をしてはいけない」とか、「こうでなければならない」とか、「これは絶対的に良いことだ」などということはありません.  つまらない解答となりましたが.

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.16

「いけない」というより「だめよ」って感じですかね。 「盗んではいけない」など、他人に迷惑をかけるからいけない、ということではなく、 「台風が来てる時に泳いではいけない」など、自分自身にとって良い結果にならないから、 ということだと思いますね。 人間は、動物の一種ではありますが、単に本能だけではないものを生まれつき備えています。 これを理性と言ってもよいのでしょうが、超自我と呼ぶこともあります。 この超自我性は本能を抑圧(抑制)することによって発揮されるものです。 超自我性という精神作用は、嫌々現れるわけではなく、むしろ自然な欲求として人には備わっていると思いますが、本能もご承知のように強い欲求のひとつとして私たちに備わっています。 殺したいという欲求と殺してはだめという、本能と超自我の綱引きが始まりますが、本能のほうが本来的(基本的)な能力なのでどうしても本能が優勢になります。 その優勢さに歯止めを掛けないと、超自我から出ていた「殺したくない/殺してはだめ」という、もうひとつの欲求を忘れてしまい、後で後悔します。 端的に言うと、 「人を殺すということは、人としての自身もまた他人に殺され得る存在である」ということを自ら証明してしまうことになり、そして、その記憶によって後から苛まれる状況に陥ることが明らかだから。 といったことになると思います。 これは、「自分が殺されたくないから私は人を殺さない。君も殺されたくないだろうから人を殺すな」という、社会契約的な値打ちも伴なってはいますが、あくまで付随的な意味になるでしょう。  

回答No.14

数学でいう「背理法」(だったと思う)で(行けるところまで)いってみます。 かりに「わたし」が「人を殺した」と思考実験してみます。 ――どうでしょう。 わたしは確実に「自分自身」の何かをも破壊したことを知らされると思います。 あるいは「わたし自身の何かが破壊されていたから」「殺人に及んだ」のかもしれません。 「自分自身を殺さずには人を殺せない」ということではないでしょうか。 逆に「人を殺さねばならない」場合もあるでしょう。たとえば「義」のために。 フランスの哲学者シモーヌ・ヴェーユは、人間は魂の奥底で「自分が他人から傷つけらることはない(傷つけられてはならない)」という信念をもっていると考えました。人から肉体を傷つけられるときは魂が傷ついているのだと。これを「不正」と呼んでいます。 わたしたちは母親に生み育てられ、なんとかここまで生き延びてこれましたが、わたしたちはそういう原初の「弱さ」を自力で克服したわけではけっしてないのを考慮すると、根源において「他人の善」を呼び求める(一見やすっぽい性善説に見えるがそうではない)ヴェーユの考えも分かるような気がします。 なお一般論としていうのですが、気をわるくしないでください。「自分は頭が悪い」から質問するというような言い方は、回答する方としては急に力が萎えてしまいます。こちらも「悪い頭」をフル回転して必死にお答えしておりますから、そのへん何卒宜しくお願いします。

sudx
質問者

お礼

タイトル通りの回答で恐縮です。哲学的で考えさせられました。 あああ、、、すみません。。気を悪くされないでください。。 回答ありがとうございました。

  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.13

この掟は共同体内のみ通用するものです。 例えば日本という共同体において、殺人は禁止です。 どの国でも同一共同体において殺人は禁止ですけどね。 では、どうして殺人は禁止なのか。 <信頼関係で成り立っている共同体を破壊する行為> だからです。 「他者は自分を殺さない」という信頼関係の上でこの日本という共同体は成り立っています。 殺人はその自らも安全を保障されている共同体の信頼を<裏切る>行為です。 通り魔などの殺人者は、「自分は死刑になってもいいから殺した」と言います。 共同体の一員ではもやはないという証が殺人なので、この外部の攻撃者に対しては、共同体では殺していいことになります。(死刑) 戦争による殺人もその一例です。

回答No.12

 こんにちは。  ★ 何故人を殺してはいけないのか?  ☆ 《殺してはいけない》というよりも《ころさない》だと考えます。  そもそも 人間にとってすべてが自由です。すべてが益になるわけではないけれど 自由だと言われます。  自由意志の思惟や想像は そのみづからの限界を知らないだけかも知れませんがそれを別とすれば 限界を知りません。自由意志による行為も 可能であれば自由でありやろうと思えば何でもやります。  自由意志の自由をみづから制限して奴隷になり半人間であることに甘んじることもしますし 自由にともなう答責性を見ないことにして変な自由を行使することもしますし あるいはその自由意志の元であるみづからの存在じたいを無くすことさえ自由におこないます。  そして一般には ひとはひとをころさないのでしょうね。たぶんころさないという能力があるからだと思います。  そしてこの能力に反する行為をするのも 自由意志にさからう自由意志があるのと同じように 現象として起こるようです。  いけない いけないって言い過ぎかも知れませんね。

回答No.11

自殺、安楽死、死刑、独裁等とも関連し論点が多いので、完全な証明はできない命題じゃないでしょうか。 単純に、日常生活でトラブルの相手を疎ましいから殺していいかどうかにします。 本人には、相手への憎しみがあり、殺したいという衝動がある訳です。本人は殺す行動をとる選択ができますが、これを実行してしまうと自分が自分の周囲を殺し殺される殺伐な環境にしてしまうという強い拘束を受けると同時に人間性の担保を自ら放棄することになるんです。 その放棄も人間の自由であるとも言えますが、これは、人間が自然に有する自由-平等軸の極端を自ら選択していることであって、外道、畜生に自らなりさがり、自律した人間としての自由さえ放棄していることにもなるんですね。殺しますか、人間やめますかってことです。

noname#194289
noname#194289
回答No.10

人を殺すというのも時と場合があります。戦争だったら勲章がもらえます。尊厳死に手を貸すというような場合もあります。一方大家族を抱える従業員の首を切る場合もやはり一種の殺人です。詐欺で被害者に多大の損害を与え、その人を死に追いやるのもやはり殺人です。欠陥車を世の中に送り出して大きな事故を起こさせるのも殺人です。バブル経済の勝者もやはり大量殺人者でしょう。死の商人の最たるものだと思います。子のように考えると、おそらく殺人はいけないというのはそれほど自明のことではないように思います。

sudx
質問者

お礼

殺しも相対的ですか。。哲学は難しいですね。 回答ありがとうございました。

回答No.9

 この問題は、倫理・道徳という面から答えを導き出そうとすると、様々な意見が出されます。  それは、それぞれの人の、性格や体験、そして得られた価値観の違いから、考えが導き出されるからです。  でも倫理、道徳ではいけないと云うのが常識的に答えとなっています。  それではなぜ倫理、道徳ではいけないとされるのか。  倫理、道徳は善、悪という基準で判断すれば、善の範囲にはいります。  いわゆる「良心」という心の働きが倫理、道徳を作り出しました。  この倫理、道徳を作り出した「良心」が、人を殺すといった残酷なことをするでしょうか。  「人を殺すようなことをしてはいけない」と云うのは、人の好ましい心、良心(やさしさとか)の声だと受け止めても良いのでは。  ☆ 倫理、道徳以前に好ましいほうの心が、悪いことと感じて、してはいけないと考えるのだと思います。☆  そうすると、答えは『良心に反する行為だからしてはいけない』ということになります。  

sudx
質問者

お礼

善とは何か?良心とは何か?良心に反すると思ってるから殺してはいけないなら、良心に反しないと本人が思い込めば(あくまで哲学的には)いかなる殺しも正当化されるのか? 反論とかではないです。。すみません。何とゆうか哲学なので・・。 回答ありがとうございました。

  • ESE_SE
  • ベストアンサー率34% (157/458)
回答No.8

哲学では門外漢ですが社会契約論からの引用っぽい感じで。 二人(A、B)で原始的な生活をしているとしましょう。 Aが猪を捕まえてきました。Bは猪を食べたいのですがAが分けてくれません。 そこでBはAを殺して猪を奪い食べました。 その後。 Bは猪を捕まえられないので、猪を捕まえられるCのところへやってきました。 CはBと一緒に生活出来ますか?殺されたり食べ物を奪われたりする可能性を考えたら一緒に生活なんて出来ませんよね。 ならばBはどうすればいいでしょうか? 約束をすればいい。 ・お互いに殺さない。 ・お互いのものは奪わない。 ・余分にとれた獲物は分け合う。 ・一人で出来ない作業があれば互いに協力する。 こういうルールをお互いが守れば、協力行動で今までよりも大きな獲物が捕れるかも知れません。 つまり、 「僕がルールを守るからルールも僕を守ってくれる」 ということです。 そこで。貴方が 「そんなルールに守られる必要は無いから俺は人殺しでも何でもする」 とでも発言し、それが認められたとしましょう。ならどうなるでしょうか? 納税義務は無くなりますし法律を守る必要も無いから人も殺したい放題、他人のものも盗み放題です。 でも、その代わりに自分が殺される可能性もありますしそんな時に警察は貴方の身を守ってはくれません。 警察は法律に従い国民の命や生活を守っているのですから、そのルールから外れた貴方は警察が守る対象では既に無いのです。 詐欺に遭おうが所有物を盗まれようが放置。ガスや電気を勝手に止められても文句を言えません。 ましてや、税金で作られている道路を歩く権利すらあるかどうか怪しいところです。 どれだけ自分が法律や制度に守られているか、 そしてそれを守るために自分がどれだけのことをすべきか、 その辺から考えてみてはどうでしょうか。 もっと単純に言えば、 「人を殺しても良いのではないか?」 という考え方は 「俺や俺の知り合いは別に他人に殺されても良いよ」 という考えと同じなんですよ。 「自分がされて嫌なことは他人にしてはいけない」ということです。

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